2. 飛ぶ

 最近の沢村は忙しい。

 本業のほうはさっぱりだが、いつもの商店街で評判が評判を呼び、ひっきりなしに声がかかるのだという。

「最近の俺のあだな知ってます?」

「なに」

 土曜の夜。クーラーのきいたリビングで茗荷の千切りが絡んだそうめんをすすりながら顔を上げると、向かいの沢村の顔は梅干しのような渋面を作って零した。

「……リーダー」

「なんの」

「バイトの」

「あ、バイトリーダーね」

 あまりに似合いすぎていて口に含んだそうめんが溢れそうになった。

 急に飛んだバイトの穴埋めだったり、体調を崩した店主の代打だったり、信頼度抜群でやたら世慣れている上、体があいていることが多いからほうぼうで重宝されるらしい。呼ばれたらほいほい出ていく身軽さ、というか気安さも一因だろう。おかげで最近の我が家は食費が浮きに浮いており、いまそばちょこを満たしているめんつゆだって、三日前に沢村が助っ人に入った蕎麦屋から、業務用しょうゆボトルになみなみもらってきたものである。もちろん中身はしょうゆではなく、店主特製のそばつゆが口のぎりぎりまで詰めてあったものだ。

「天ぷらうまかったなあ」

「江戸前の、ごま油のやつっすよね。俺はヤングコーンがよかったなあ」

「あの食感がまたビールに合うんだよな」

 その天ぷらも、同じ蕎麦屋から持ち帰ったものである。

 この時期、揚げ物は大変ありがたい。こう蒸し暑いと、高温の油を扱うこと自体、よほどの気合がないと難しいものだ。メンチに揚餃子にエビフライ、沢村がどこに駆り出されるかによってその日の食卓が華麗に変化する。おかげで、俺も近所の店にずいぶん詳しくなった。

「商店街まるごともってけたらいいのにな」

「どこに。ていうか、先輩めずらしくめちゃくちゃなこと言いますね」

「いや、だって」

 続く俺の発言に、沢村はさらに目を丸くすることになる。

「あの勝田が相談してきたんだよ」

「えっ」


 *


「成長したねえええ!」

 勝田が下手な日本語で話しかけてきたとき、藤本さんはのちの沢村とまったく同じ反応をした。

「藤本さん、そういうのよくない」

「そうですか?」

「ほらもう、怯えちゃってるから」

「ごめんなさーい」

 勝田は怯えているというよりプライドをくじかれて機嫌を損ねているようだった。立派なガタイが丸まって、頑なな気配を発している。藤本さんが自分のデスクに向き直った途端、いかった肩からほっと力が抜けたのがなによりの証拠だ。

(本当に人にものを頼むのが苦手なんだなあ)

 オフィスフロア内はどうも聞き耳が多くていけない。せっかく出た芽を摘むまいと、それとなく勝田を促して階段まで移動する。

 途端に、おそらく彼のなかで引っかかっていた台詞がポンと転がり出た。

「なので松橋さんとかなら、遊び慣れてそうだしなんかいいツテあるんじゃないかって」

「まるで俺が遊び人みたいだな」

「うっ」

 あまりの言い方にさすがの俺もむっとした。思わず大人げない返しをした自分に気づいて苦笑していると、勝田の顔面が岩石と化す。しまった、これはいけない。互いに悪気はないのだ。たぶん。

「まあ話はわかったよ。俺も心当たり考えてみるから、週明けにでもまた声かけてくれたら」

「よろしくお願いします」

 お辞儀だけはきれいなんだけどな、と再び浮かんだ苦笑をなんとか顔の奥に押し込んだのが金曜のこと。

 それが本当に商店街をまるごともってくることになるとは。



 詳細は割愛するが、ビルのお別れ会の形をとった納涼会はお偉いさんにもウケて大成功だった。

 沢村をコーディネーターに立てて、ちょうちんなどの備品は商工会に借り、商店街のほぼすべての飲食店や惣菜店、それぞれの自慢のひと品を、格安で提供してもらったのである。日頃から恩を売っている沢村の顔と値切りの技術がここで物を言い、細かい調整と交渉に当たったのは人当たりのいい内原と村澤、勝田はよくよく聞いてみると父親が大変な趣味人で、仲間が音響機材一式を貸してくれるというので、かねてから楽器の腕を披露したかったおじさんたちの自己顕示欲も満たすことができたのであった。これは、一発芸の類をやらされずにすんだ若手勢にも大変感謝されたものである。

 おかげで勝田は「扱いに困る頑固な若手」から「ちょっとは話のできそうな頑丈な若者」に少々格上げされて、あちこちで先輩社員に絡まれている。

「わっ、この春巻きシソ入ってる」

「なに? この甘いの、チェーっていうの? どこのたべもの?」

 各料理のすぐそばには、提供してくれた店のショップカードやメニューのビラが置かれている。これも格安で提供してもらえた大きな理由である。

「人間、なんだかんだ損得勘定で動きますからね。ちゃんと得っぽさを出すのは大事っすよ」とは、沢村の言である。もちろん、やつも謝礼はしっかり受け取っているのだから、いっそう説得力が増すというものだ。

「風が吹けば桶屋が儲かる?」

「いや、わらしべ長者じゃない?」

「なんでもやっておくもんだよねって思いましたね」

 まもなくおひらきというところ、なんとなく幹事とその周りの若手が集まって喋っていると、やはり沢村の活躍の話になった。勝田もずいぶん態度が軟化して、というか相当飲まされてぽやぽやしている。

「飛んだバイトにも感謝っすね」

「それはちがう」

「えっ」

「うん、感謝の相手、完全に間違ってるわ」

 何気なく発した一言に、容赦のないツッコミが集中する。なんだかいい空気だったのに、いっぺんにぶち壊しにするところが勝田である。

 だが、発言のまずさを笑ってもらえるようになって一緒に笑っている彼は、ようやく打ち解けてきたように見えた。

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