1. 夕涼み

 一番星が瞬き始める夏の夕暮れ。入社して三年目にして初めて社屋の屋上に出た勝田は愕然とした。

「廃墟……?」

「失礼な」

 総務課の先輩社員はたしなめたものの、本音はそう大差ない。コンクリートタイルは割れ、おそらく防水のシーリングもとうに朽ちて、水場の蛇口はメッキが錆びて白い斑点が浮き、繋がれたホースは劣化して粘性を発している。そもそも屋上に出るドアの建て付けも悪くて、さきほどは危うく蝶番を破壊するところだった。

 古い区画だが、周囲のビルは近年続々と建て替わり、つるりとした顔でこちらを見下ろしている。公開空地という名のちょっとした公園みたいなエリアを足元に控えた大きな建物。おそらく同級生たちの多くはこの手のビルに勤めており、それがまた勝田の自尊心に影をおとすのだった。

「会社の上の人たち曰く、昔はここで納涼会なんかもあったらしくて。まあ、そういう時代ですよね。だから、壊される前に若い社員ともそういうことで交流したい、というのが趣旨のようですよ」

 企画は勝田の代に任されていた。勝田大昇かつただいしょう内原梨紗うちはらりさ村澤容子むらさわようこ。中途採用が珍しくないこの業界で、新卒で入社した貴重な同期である。三年目となればひとりでも仕事を回せるようになる、現に二人は先輩のサポートを受けつつ主担当の案件を複数抱えていて、だから勝田はこの三人で括られるのも嫌だった。企画のリーダーを任されたのも、一番暇だと思われているからに違いない。古き良きみたいなノリは嫌いだしまったくやる気がしないが、できないと思われるのも不本意だ。

 一方、内原と村澤のほうは、周囲を見回して爛々と目を輝かせている。

「最終的には壊しちゃうってことは、何やってもいいってことですか?」

「屋上一面でプールとか言わないでくださいね、ご覧の有様なんで」

「そう言われるとやってみたいです」

「面白いですけどやめてね、引越し前に会社が水浸しになる」

 基本的にお祭り好きが多いこの会社で、勝田は自分のことを体力枠だと認識している。だから、アイデアはこの二人にまかせて、自分は事務まわりと力仕事をやればいい。適材適所上等、そう思っていたのだが。

 ライブだ映画だバーベキューだと盛り上がっていた二人が、不意に「勝田くんさ」と振り返る。

「なに」

 嫌な予感がする。

「松橋さんとか藤本さんと同じフロアだよね」

「そうだけど」

「ちょっと話通してもらえると助かるんだけど」

「別に仲良くないけど」

「おねがい」

 先輩社員の手前もある。これ以上抵抗しても印象が悪くなるばかりと判断して、勝田はしぶしぶ首肯する。

「ありがとう、助かるよ」

 村澤のこういう姉貴ぶったところが好かない。内原の見守るような態度も気に食わない。ただ、件の先輩二人がレジャー関係に強いという点において、彼女たちの人選は的確だ。

 高いビルの間を抜けて、すこし涼しい風が通る。このかんじはまあ、嫌いじゃない。

(どうせやるならちゃんと参加するか)

 煤けた色もひび割れも、夕闇に沈んでいく。嫌な部分を見たくない者には、夜はうってつけであった。

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