標本(夏のキャンプ編・後半)
育った家庭がバリバリのアウトドア派の
実は大学まで強豪バレーボールチームのレギュラーだった
通学は山越え、広大な山河を遊び場としていた
キャンプの三日間がはじまって間もなく、
何が休暇だ。これじゃ体力オバケによるアクティビティマラソンだ。
アスレチックにはじまり(結局ジップラインは楽しかった)、川の中でトスラリーをしたり(ボールが流されるので落とすと厄介)、夕食後も肝試しと称してナイトハイキングに出たり(留守番を希望したが却下された)、全員回遊魚なのではないかと疑いたくなるほどのノンストップぶり。白目を剥きそうになっているのは己ばかりで、余暇の過ごし方に圧倒的な格差を感じる。特にプランナー藤本、人生を生き急いでいるとしか思えない。
はじまってしまえば楽しいのだ、ただ、食事のあとの腰の重さと言ったらない。吉田藤本によるひき肉カレーは野菜の甘さと肉の脂が沁み渡って美味かったし、沢村が炊いた飯盒めしはおこげの加減が絶妙だった。アルミホイルと牛乳パックに包んで火に放り込んだホットドッグは焦げ目にうつった炭の香りが香ばしく、溶けたチーズや皮の弾けたソーセージとの一体感がたまらない。
ただ、キャンプだから食前食後にそれなりに準備片付けの時間が発生し、食間はけっこうなボリュームのアクティビティで埋まっているので、休む間はほとんどない。だんだん食欲より眠気のほうが重たくなっていく。
二日目の晩飯は俺と沢村の担当で、俺がローストビーフ係、沢村がソースと米と付け合せ係の予定だった。ローストビーフって外で作れるものなのか。そう言ってテンションを爆上げしていた頃は遥か遠く、風前の灯火のように揺れる俺を見て沢村が言った。
「先輩、ちょっと寝てきていいですよ」
「へえ」
「あーほらもうぎりぎりじゃないすか」
肩をつかんでくるりと反転される。それだけで世界に加速度がついた。止まれない。
「うわやばい、ちょっと、この人寝かしといてもらえますか」
「はいはい、おねんねしましょうねー」
もう眠すぎて言い返す言葉も思いつかない。揺れる上半身を吉田藤本コンビに固定されて、バンガローのベッドに転がされるなり、すべての音がふつりと消えた。
*
「あとちょっとでできますよ……って何してんすか」
「いや、ちょっとした人物標本をね……」
「働かざるもの食うべからず……」
沢村が呼びに来たとき、バンガローの中は静かな興奮に包まれていた。
はじめは手伝ってくれていた二人が調理にひと段落ついたあたりで姿を消したので、てっきり先輩のように寝ているかと思ったのだが。
甘かった。
一心にペンを走らせている藤本さんも謎だが、あの吉田さんがスマホのカメラを構えてイキイキしている。奥のベッドには、先輩が死んだように倒れ伏しているのが見えた。
沢村の脳裏に、〈触らぬ神に祟り無し〉という言葉が浮かぶ。
「あのー、外で食べますんで、七時くらいになったら先輩起こして出てきてくださいねー」
「はーい」
返事はいいが二人ともこちらを振り向かない。一体何が行われているのか、聞きたいような聞きたくないような。
*
「おっ、現代人」
「おはよう現代人代表」
「本能は取り戻せたか」
吉田藤本に一足遅れた休み明け、出社するなりおかしな空気に巻かれて、松橋雅鷹の表情はみるみる曇っていった。
なんだか不名誉なことを言われている気がする。
休暇中に止まっていた時を午前いっぱいかけて動かし、肩代わりしてもらった分の引き継ぎを受ける間に、疑惑は確信へと変わっていった。
正午を知らせる鐘が鳴る。
「おい藤本」
「えっ、松橋さんたら、呼び捨てなんてまだ早いですよう」
反応に間がなさすぎる。明らかに待ち構えていた様子に、確信はさらに深まった。
「御託はいいから、とっとと吐いてもらおうか」
「ひどーい、なんで私って決めつけるんですか」
彼女は口を尖らせてみせてから、うしろの席を振り向く。
「ねえ」
「ふっ、だって藤本もノリノリだったでしょ」
ほら、と吉田さんがスマホの画面をこちらに向けた。
「げっ、なにこれ」
そこには、うつ伏せ半目ずれたメガネで眠りこける己の姿と、きれいにレタリングした字で「野生の本能を失った現代人の姿」と書かれた立て札が添えられていた。
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