貼り紙
仕事帰り、乗り換え駅の階段ですごい圧のポスターに出会った。
正確にいうと、枚数の圧である。今週末と来週末、駅のコンコースでマルシェが開かれるらしい。焼き菓子、花、はちみつ、もちろん野菜や果物も。ポスターが、階段の上から下まで続いている。まったく同じ内容かと思ったら、上から貼り紙をしてちょっとずつ変えてあるあたり、なにか異様な執念を感じる。
(行ってみるか)
会期は週末の三日間。休日にわざわざ電車に乗るつもりはないが、金曜の晩ならいいだろう。
そして迎えた金曜日、思ったよりも仕事が押してよほど帰ろうかと思ったが、一度決めたことを覆すのはどうも性に合わない。売り切れているなら諦めもつく、
そう思って覗いてみると、でかいりんご箱のような売り場はたしかにずいぶん空いて、気になっていたパンのブースなどはすでに撤収を始めていたが、一方最後までやる気満々の一画もある。
なんだか既視感のある、くろぐろと光る野菜の山。
「ここんとこの暑さで採れすぎちゃって」
訊いてもいないのに話しかけられた。パネルに描かれた似顔絵そっくりの男性が、わざわざブースを回り込んでこちらまでやって来る。
なぜ、と思ったら俺以外に二、三人しか客がいなかった。夜八時にもなると、みんな早く帰りたいらしい。
「サービスするんで、どうですか。お兄さん、まだまだ食べざかりでしょう」
人を男子高校生みたいに言わないでほしい。そして、男子高校生には肉を食わせてやってほしい。突っ込みどころが多くてちょっとげんなりしたが、サービスとはどの程度なのだろう、と興味もひかれた。
だって、閉店間際とはとても思えないのだ。
この茄子の山。
もとは何本でいくらだったのか、紙を貼り重ねて値札が原形をとどめていない。今は八本で百五十円になっている。大丈夫なんだろうか。
「明日もあるんですよね」
「明日も採れるんだよ」
「そうですか」
生産者の笑顔の裏にうっすらと苦労の影を見て、俺は思わず口に出していた。
「じゃ、ください」
*
同居人は俺が持ち帰った荷物を見て腹を抱えて笑った。
「なんすかその量!」
「いま駅でイベントやってんだけどさ、サービスだっていうから」
「閉店出血大サービスっすね」
「そうそう」
スーパーで手に入るような、普通にたっぷり入るサイズのビニール手提げにこれでもかと詰められた茄子。おじさんの手が袋と山を三往復するあたりから雲行きが怪しくなり、あわてて止めたが止まらず、最終的に六往復で手打ちとなった。詰め放題ならぬ詰められ放題である。
「これで百五十円」
「うっそ」
「だったけど、さすがにアレだから二百円出してきた」
「釣りはいらねえってやったんですか」
「やらないよ五十円で」
テーブルの上で斜めに崩れかかっている袋を眺めて、それぞれにため息をつく。
「やばいっすね」
「なんか、見覚えないか」
「やっぱり?」
思えば、二人で暮らすことになるきっかけも茄子だった。しかもあのときの量を越えている。べつにパワーアップして帰ってこなくてよかったのだが。
今夜の夕食はジャージャー麺、ひき肉だれも盛り付ける具材も揃い、なんなら麺ももうすぐ茹で上がる。スパイシーな香りに腹は鳴るが、冷蔵庫を占拠するであろう量の茄子でちょっと胃が痛い。
そのとき、キッチンタイマーがピリリと鳴った。
俺よりも切り替えの早い沢村は、ざるにあけた麺を流水で揉みながら「そうだ!」と声を上げた。
「藤本さんと吉田さんに持ってってもらったらいいんじゃないですか。あとほら、あの例のめんどくさい後輩にも」
あの二人ならきっと喜ぶだろう。だが、勝田か。あいつ食べ物も粗末にしそうなんだよな。
俺の無言になにかを察したらしく、沢村はざるを一旦置いて振り返った。
「なんか聞いてると、男が料理ーとか言いそうなかんじしますけど、できないよりできたほうがいいとかなんとか言って、うまく巻き込んだらいいんじゃないすか。そんだけギスギスしてるってことは、きっとろくなもん食ってないんすよ」
「なるほど」
沢村の論理は単純でいいなあ、と思う。いや、人間ってだいたいそんなもんなのかもしれない。
「ちゃんとうまいもん食ったら、ちょっとは性格丸くなるんじゃないすか」
「餌付けか」
「そういうことっす」
結局、しょうがとめんつゆでチンして今日のジャージャー麺にも茄子を載せることになった。まだまだたくさんある茄子のうち半分ほどは別の袋に分けて、一旦野菜室に押し込む。これが吉田藤本コンビと、それからたぶん勝田のぶん。
うまいものをきっかけに、彼ともいいかんじに和解できたらいいなあと思う。週明けのみんなの反応が、いまから少し楽しみだった。
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