幽暗

「ほ、ほんとにいいんすか」

「いいからとっととポチったら」

「いや、でも」

「ぽち!」

「うわー!」

 悲鳴とも歓声ともつかない声を上げて沢村が顔を覆った。

「夢だったんすよ……」

「よかったな」

 沢村のノートパソコンの画面にあらわれた「お買い上げありがとうございました」の文字。アカウントは本人のものだが、決済は俺のカードだ。まあいつものことである。

 商品は三営業日中に発送とのこと。冷蔵庫の中を覗いて今からそわそわしている沢村を横目に、俺の奥歯のあたりで唾液がじゅわっとあふれだす。


 道具は揃えた。仕事は定時で切り上げた。夏の日は長く、帰宅してもまだ仄明るい空は、薄曇りに夕日が滲んで茜色に染まっている。

「先、炭に火入れときましたよ」

「あー、これだけでうまそう」

「まだなにも焼いてないすけど」

 ベランダにはホームセンターで揃えたアウトドアチェアが二脚、アルミの小さい折りたたみテーブル、そして中心に据えられた、書類ケースほどの物体が本日の主役。

 そう、七輪である。

「もう準備できてるんで、はやく着替えてきてください」

「うん、あ、俺じゃがバタやりたい」

「はいはい」

「これ、キタアカリ」

「わかりましたから」

 沢村に苦笑されながら、スーツはハンガーにかけて風呂に駆け込む。ざっとシャワーを浴びてTシャツ短パンに着替えたら、働いていた俺とはもう別人だ。

 戻ってきたら、こぶし大ほどのアルミホイルの塊がふたつ、網の上に転がされていた。

「うお、でかした」

 色の薄い髪を撫で回してやると、沢村は犬みたいにぶるぶると頭を振ってうらめしげにこちらを見上げた。

「なんか今日めちゃめちゃテンション高いすね」

「逆にお前はなんでそんな冷静なんだよ」

「いや俺、まわりがテンション高いと反動で冷めるんすよ」

 言いながら、彼は熱した網の上へ次々と食材をのせていく。オクラ、ピーマン、なす、キャベツはざく切りの塊のまま、玉ねぎも薄い皮一枚残して四つ切りにしたもの。週末みたいなムードを漂わせているが、実はまだ週のどまんなかである。洗い物が面倒なので、肉はベーコンやソーセージに絞った。

「のせすぎじゃね」

「……間引くか」

 遠赤外線が身体の前面をじりじりと炙る。暑いのは暑いが風が通るのでそれほど不快ではない。

 部屋の明かりはつけて、カーテンはあえて引いて、漏れ出る光だけを頼りに焼き加減を見る。雲が切れた空は天頂に向かうにつれて、淡い白から紫、藍色へと変わり、星が瞬き始めた。一方、日の沈んだあたりにはまだ橙の帯が残っていて、まるで遠くの街が発光しているかのようだ。

「先輩、手元がお留守です」

「あっ、すまん」

 野菜の皮にしわが寄り、ベーコンの脂はぷつぷつと沸きはじめている。そろそろ食べごろか、しかしもはや色がよく見えない。

「食ってみて生だったら戻したらいいんすよ」

「それもそうか」

 活力に溢れた香ばしいかおりがベランダじゅうに満ちる。七輪のなかでは、灰がちになった炭が幽暗な赤を秘めて次の食材を待っていた。

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