「いてえなあ」

「どうした」

「同期の結婚式に呼ばれたんすけど」

 風呂から上がったら、沢村が腕組みして唸っていた。盛大に顔をしかめているからどこか痛めたのかと思ったら、その「痛い」ではないらしい。

「誰?」

「石岡っす」

「いっしー!」

 沢村と二人だとそうでもないが、学生時代の知り合いが会話に登場すると途端に記憶が蘇る。そうかそうかと頷きながヤツの手元を覗き込むと、そこには分解された祝儀袋とまっさらな一万円札が三枚、きれいに並べられていた。

「で、ご祝儀」

「祝う気持ちはやまやまなんですけど、痛いっす」

 項垂れる後頭部に「いつ?」と訊くと、沢村は二ヶ月後の日付を口にした。

「え、早くないか?」

「早く準備しとかないと、なくなるじゃないですか」

「なにが」

「さんまんえん」

 意味はわからないが気持ちはわかる。行き先の決まっている出費は、先によけておくに限る。

「とっととしまっちゃえよ」

「名前書かなきゃいけないじゃないすか」

「書いちゃえよ」

「苦手なんすよ……」

 重い溜息をつきながら嫌々筆をとる沢村の手元を見て、俺の眉間に思わず力が入った。

「それで書くの?」

「だめすか」

「だめじゃないけどさあ」

 サインペンタイプの筆ペンは、はらいが極端に細くなったり丸くなったりするから俺は好きじゃない。などと言うと面倒くさいのはわかっているので、ただ黙って自室の物入れから自前の筆ペンを持ってくる。

「かして」

 包み方の説明書に軽く試し書きをして、水引にセットしたときの位置を確認して、立ったままさんずいの一画目を置いた。

「あっ、すげえ」

「ちょっ静かにして」

 毛筆に慣れていると、筆ペンもやわらかいほうが扱いやすい。画数が少ない字と多い字が混在するとバランスが難しくて、案の定、穂の字がすこし大きくなってしまった。

 いまいち納得のいかない俺をよそに、沢村は書き上がった自分の名前にいたく感激している。

「うわすげえ、お手本だ」

「それはないけど」

 言いつつ俺もまんざらじゃない。ちゃんと理屈があって、目指すもののはっきりしている書道は性に合っていたというだけだ。当時ぐずった俺を書道教室に放り込んだ母と、決して脱走をゆるさなかった頑固じじ……もとい先生には感謝せねばなるまい。

「お返し何がいいですか」

 目をキラキラさせた沢村に見上げられると若干照れが勝つ。

「貧乏人から巻き上げたりしないよ」

「んじゃ引き出物のなんかで!」

「そういうのは横流しっていうんだぞ」

「なんかうまいもんだといいすね!」

 罰当たりなのに憎めない強かさ。俺だとこうはいかないから、こいつのこういうところはだいぶ羨ましい。


〈速報:バウムクーヘンでした〉

 しらせは、外で魚粉山盛りのラーメンを食べているときにやってきた。披露宴は十三時半からだと聞いている。ということは、あいつは席につくや否や引き出物の中身を確認したのだろう。なんてやつだ。

「バウムかあ」

 もらって一人で食ってもなあ。甘いものは嫌いじゃないが、どっしり重いバウムクーヘンはそんなにたくさん食べられない。ラーメンなら二玉は余裕なのだが。そこまで思い巡らせて、サッと手を挙げる。

「はーいお客様」

「替え玉一丁」

「はいカウンター二卓様、替え玉一丁いただきましたあ!」


「って言うと思って調べたんすよ」

 翌週末の朝食は大変豪華なものになった。

 フライパンの上にはたっぷりの溶かしバター、小分けにされたバウムクーヘンの扇型が左右にすべる。完成されたお菓子をさらに調理するとは思いもよらなかった。

 きつね色の焦げ目に塩をひとつまみ、皿にはカリカリに焼いたベーコンとカップのバニラアイスをすくって添えて、さらにちょっとよさそうな瓶に入ったりんごのコンポートが登場した。

「りんごも引き出物?」

「これは俺がビンゴで当てました。奥さん、長野の人なんですって」

「へえ」

 甘かったりしょっぱかったり香ばしかったり、手をかけただけあってバウムからいろんな味がする。いつものテーブルが今日はちょっとしたカフェみたいで、せっかくなので箱ティッシュは見えない場所に移動した。

「ちゃんと料理だなあ」

「何言ってんすか。っていうかこれ普通にただのメシだな、カタログギフトのほう要ります?」

「いや、いいや。そっちもなんかうまいもん頼んで食おうぜ」

「了解す」

 食い物のことは沢村に任せるのが一番。俺は俺でできることをやる。我が家の生活は、それで成り立っている。

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