第24話 僕の病気はね

  あの日も、確か雨だった。


***


「こんなこと、これからもずっとついて回るんだよ。もう、嫌だよ……。」


 そう言ってシンは涙を流したけど、すぐに指先で拭いて笑顔を作った。無理に笑っているのがモロバレで、胸がぎゅっと痛くなった。


 「笑えるよね。私がオナベなんだってさ。しょうもない噂だよ。気にしなくていいよ。」

 努めて明るく言うと、シンは頷いた。あんまり慰めになっていないのは、分かっていた。


 「大丈夫、心配しないで。学校休んでるのは、お母さんに言われたから。学校がちゃんと対処するまで、休めって。……今も、学校に苦情言いに行ってるんだ。お店、閉めてまでそんなことしなくていいのに。」

 シンは困ったようにそう言って、小さく首を傾げた。それから外を見て、「あ」と小さく声を上げた。


 「雨、降ってきたね。」

 シンはそう言って、お店の傘立てから傘を二本手に取った。


 「家まで、送るよ。」

 シンは、青色の傘を私に渡した。


 さらさらとした絹糸のような雨だった。薄紫の紫陽花が縁取る舗道をシンと並んで歩いていたけど、傘は雨音を立てなかった。シンは真っ赤な傘を差していた。傘の作るほのかに赤い光が、シンの肌をほんのりと染めていた。


 「何で私が青で、シンが赤?」

 ふと気付いて、突っ込みを入れた。これ、学校の奴らが見たら「オカマの真一とオナベの遠藤」の噂にぴったりの絵面だって喜ばれるよ、きっと。


 「那帆に似合う色だと思って。」


 シンもやっぱり私が男っぽいと思ってるんだ。ちょっと、しゅんとした。


 「那帆のパーソナルカラーはウィンターだから、ブルー系のビビットな色が似合う。」

 でもシンは、よく分からない根拠を、ちょっと得意げな顔で言った。


 「パーソナルカラーって、何?」

 男っぽい個性だって言いたいの?と私は内心思っていた。


 「パーソナルカラーは、髪の色や肌の色、瞳の色で決まるんだよ。スプリング・サマー・オータム・ウィンターって、四種類あるの。那帆は肌がナチュラルピンクで、髪はブルーブラック。瞳の色が黒くて力があって、顔のパーツがどれもはっきりしてる。典型的なウィンタータイプだよ。青味掛かったビビットな色をファッションに取り入れるといいよ。」


 無口なシンが、こんなに沢山一気にしゃべるのは珍しかった。


 「ビビットな色?ちょっと抵抗あるな。ってか、いつも何色選んだらいいのか分かんなくて、黒ばっか着てる。」

 今日も、黒字に白いロゴのTシャツだ。シンは小さく首を振った。


 「モノトーンが一番似合うのは、ウィンタータイプだからそれでいいよ。でも、差し色にはっきりしたカラーを入れるとおしゃれ度がアップするよ。」


 シンは私を振り返って、二三歩後ろ歩きをした。


 「詳しいんだね。」

 得意げな顔を見上げて言うと、シンは照れくさそうに笑って前を向いた。シンは白いシャツを着ていて、傘から透ける光にうっすらと赤く染まっていた。


 「……勉強、してるから。色彩関係の資格は、今からでも取れるし。」

 「へー。美術系にでも進もうと思ってんの?」

 それにしては、シンは美術の授業はそんなに好きではなかったはず。シンは振り返り、照れくさそうに首を横に振った。


 「中学卒業したら、通信制の高校に進学するんだ。美容師の資格が卒業と同時に取れる学校に行く。カラーの知識は、美容師になってから役に立つから。」


 「え……。シン、もうそんなこと決めてんの?」


 思わず立ち止まってしまった。私は将来の事以前に、どの高校に行こうかって事すら考えていなかった。適当に勉強して、行ける高校に行ったらいいやくらいしか思っていなかった。漠然と、シンと一緒の高校に行きたいとは思っていたけど。


 「お母さんが、そうしなさいって言うから……。」


 シンは私に合わせて立ち止まり、そう言った。私は思わず、眉をしかめた。


 「また、お母さん。シンはいつもお母さんの言いなりだね。」

 何気なく放った一言に、シンは傷付いた顔をした。その顔を見て自分の発言を凄く後悔したけど、一度口に出した言葉を戻すことは出来ない。


 「……病気だから。」


 シンは、俯いたまま言った。


 「普通に生きていくことが出来ないから、手に職を付けなさいって。……お母さんが、言ったんだ。」


 そう言った後、少し笑った。


 「マザコン、みたいだと思うでしょ?でも、自分じゃどうしていいのか考えることが出来ないから……。」


 さっきまでさらさら静かだったのに、急に強くなった雨が、パタパタとシンの傘と私の傘を鳴らす。


 「お母さんだけが、どうしたらいいのかはっきりと道を示してくれる。それがなかったら、真っ暗闇の中を一人で進んで行くみたいで、怖いんだよ。だから、お母さんの言う通りにするしかないんだ……。」


 私は思わず、シンの手首を掴んだ。


 「私がいるよ。」


 口が勝手に言葉を紡いた。


 「私もシンの灯りになるよ。一人にしない。」


 勝手に口が紡いだ言葉だけど、それは元々心の中にあった決意だと思った。シンの瞳が、大きく揺れた。そして、悲しそうに俯いて首を横に振った。


 「……離れていくよ、那帆もきっと。」

 「行かない!絶対に!」


 手に力を込める。シンはじっと私を見つめた。揺らいだ瞳からポロリと雫がこぼれる。


シンの顔が、クシャリと歪んだ。唇が、小刻みに震える。


シンは震えるような息を吐いた。そこに、微かな声が混じる。


 「……丸山君が、好き、だった……。」


 私は、息を飲んだ。でも、屋上で頬を染めたシンの顔を見た時になんとなくそうなのかも知れないと思っていた。


 「女として……。」


 だけど、その言葉は想定外だった。私はシンの顔を見つめ続けた。淡い赤に染まる頬を、シンが拭う。


 「僕の病気はね……。性同一性障害。」


 傘がパタパタと大きな音を立てていた。

 

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