第8話 ずっと友達でいてね
確かに、髪は随分伸びていた。私には兄が二人いる。髪を切るのは三人まとめて安い料金で素早くカットしてくれる理髪店だ。理髪店の人は私のことを男の子だと勘違いしているのか、少年のように短い髪にされる。
そこにも、五年生になってから連れて行ってくれなくなった。美容院に行きなさいとお母さんに言われるけど、照れくさくて行けずにいた。そうしている内に、髪は不格好に伸びてしまった。
恥ずかしい気持ちと嬉しい気持ち、居心地の悪い気持ちが入り交じったまま、鏡の前に座る。
さっき憧れの眼差しで見つめていたお母さんの手が、私の髪を撫でた。
「綺麗な髪をしているわね。」
そんなことを言われたのは初めてだった。
「遠藤さんは、美人になる要素を一杯持っているわね。」
「美人になる要素?」
ストレートに美人と言われなかったから、複雑な気持ちになって問いかける。鏡越しにお母さんと視線がぶつかる。お母さんは眩しいものを見るように微笑んでいた。
「美人になるにはね、顔の作りがいいだけじゃだめなのよ。心も体も、丁寧に磨かなければ本当の美人には慣れないの。」
何だろう、お風呂に入るときに身体を洗う方法が特別にあるのかな?そんなことを思いながら首を傾げた。
ふふ、とお母さんは笑った。
「あなたの潔さは、ダイヤモンドよりも高貴なものよ。大切にしてね。」
「潔さ……。」
ただの乱暴者で、向こう見ずで、そんな私のどこに「潔い」なんて言葉が当てはまるのかよく分からない。鏡の中の私は、むっと頬を膨らませていた。本当に不細工だった。
そんな私の髪を、鋏が滑っていく。
間近で見たお母さんの手はさっき見たよりもずっとずっと綺麗だった。その手が動く度に、私の髪の束がパラパラと落ちた。お母さんは鏡越しに私の頭を確認しながら、魔法をかけるように髪を切っていった。
「流しますね。」
お母さんに促されて、生まれて初めてシャンプー台に座る。顔に掛けられたハンカチがくすぐったい。人に髪を洗って貰うって気持ちが良い。でも、人の身体がこんなに近くにあるのは、凄く恥ずかしい。
「痒いところはありませんか。」
そう聞かれて、どう答えていいのか分からなくて困った。だから小さく首を横に振った。
再び鏡の前に戻ると、大きなドライヤーが髪を乾していった。軽くなった髪が揺れるのを、不思議な気持ちで眺める。
「スタイリング剤を付けても良いですか?」
そう聞かれて、何のことやら分からなかったのでとりあえず頷く。お母さんは丸い入れ物の蓋を取ってクリームみたいなものを指に付けた。ワックスと言う奴だ。最近色気づいてきた一番上のお兄ちゃんが、この前買ってきたから知っている。
ワックスを付けて、お母さんの指が私の髪の先をさっと撫でると襟足が風に靡くように外側に跳ねた。寝癖じゃなくて、おしゃれなはねかただ。
「どうですか?」
お母さんは私の後ろで二つ折りの鏡をパカッと広げた。
鏡の中の女の子は、驚いた顔で私を見つめている。軽やかなショートケアの女の子。合わせ鏡の中の襟足は、綺麗に外側に跳ねている。
まるでボーイッシュなアイドルの女の子みたいだ。
私は初めて見る鏡の中の女の子と見つめ合う。
お母さんが身体をかがめた。鏡越しに目が合う。
「ねぇ、遠藤さん。真一はバスケをやめるけど、これからもずっと友達でいてね。」
お母さんはそう言って微笑んだ。
私は、黙って頷いた。
だけどシンとは、そのまま疎遠になった。
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