第11話 Dカップの秘密
あれは、まだ二十歳そこそこの頃。まだ見習いの美容師だった私たちの給料は本当に少なかった。まりあは必死で貯金をしていた。自分の夢を叶えるために。
まりあの夢は、一流の美容家になることと、一流の美人になること。
ネイルもエステもカラーコーディネートも着付けも、まりあは取れる資格には片っ端から挑んだ。そのお金はありがたいことに店長が「研修費」として出してくれた。店長はまりあの夢に全面的に協力してくれているのだ。だから、一流の美容家になるための費用はそれほど心配いらない。
一方、一流の美女になるためには難関がいくつもあって、どれもお金が掛かることばかり。その一つが豊胸手術だった。
まりあの胸は、胸板と呼べるものにうっすらと膨らみがあるだけの貧相なものだった。「ナイスバディ」に強い憧れを持つまりあは、ガボガボのブラジャーにパッドを詰め込んで大きな胸を偽造していた。因みに私はそれを「嘘つき
何時だったか、一緒にショッピングに出かけたときのことだ。リサイクルショップを出たところでまりあの顔面が蒼白になった。くるりと踵を返して店内に戻ると、試着室の前で超イケメン店員が嘘つき乳パッドをつまみ上げて首を傾げていた。
その足で、まりあは美容整形外科に向かった。
Dカップは欲張りすぎだという主治医の忠告に従わず、Dカップにこだわったまりあは、手触りにもこだわった。その結果、シリコンバック挿入手術に脂肪注入手術を加えたハイブリッド豊胸なるものに挑むことになった。痩せ型のまりあから必要量の脂肪をかき集めるのに苦労したようだ。お陰でウエストも太もももすっきりと綺麗になったのだが、完成形に至るまでは悲惨だった。
元々まりあは痛いのが超苦手だ。採血なんかした日には白目をむいて倒れる。そのまりあが身体にメスを入れて大胸筋の下に異物を混入し、その上に脂肪を注入したのだ。ダメージは想像以上に大きかった。
手術当日の夜は本当に危機的状況だった。まりあの顔面が見る見る蒼白になっていき、呼吸が弱くなっていく。意識はもうろうとしていて、まじでこのまま死んでしまうんじゃないかと心配した。
「きゅ、救急車とか、呼んだ方が良い?」
私が小さく肩を揺すってまりあに問いかけると、まりあはうっすら目を開けた。
「大丈夫……。」
まりあはそう言って目を閉じる。
「まりあ…………。死んじゃ駄目……。」
思わず呟いてしまった。まりあはもう一度微かに目を開けた。
「喉、乾いた…………。」
息も絶え絶えにそう言う。慌てて私はキッチンから水を汲んできた。
「まりあ、水……。」
声をかけたは良いけど、コップの水を身体を起こせないまりあが飲めるはずはなかった。どうしよう。何時だったか野球部の連中がやってたみたいに、ヤカンの口を突っ込むか。そう思いつつまりあの唇をみると、紫色になってカサカサに乾いている。まるで、枯れてゆく薔薇のように。
「飲ませて……。那帆が……。」
「いや、どうやって。」
「口移し……、して……。」
「な、なんと?」
まりあは微かに口角を上げた。
「格好いい人に、してもらうの、子供の時の夢だった……。ほら、サンがアシタカにしたみたいに……。」
「いや、私女だし。」
「関係ないわ……。那帆は私にとって一番格好いい人……。」
そんなやり取りをしているうちに、まりあの声から力がどんどん抜けていく。このままじゃ、本当に死んじゃう。私は意を決してコップの水を口に含み、まりあの唇に自分の唇を付けた。ゆっくりと、水分を移していく。まりあの喉が、こくんと動いた。
唇を離すと、まりはははっと細い息をした。
「……ありがとう、那帆。もう、思い残すことはないわ……。」
まりはは一瞬微笑んで、瞼を閉じた。まりあの身体から、力が抜ける。
「ま、まりあ?」
嘘でしょ、まりあ。嘘だと言って!私はまりあの頬を両手で包んだ。
「ま、まりああああああ!」
その魂を捕まえようとするように、胸に額を付ける。
「痛いってば!」
まりあが悲鳴を上げた。
へ?と呟いて顔を上げると、重たい瞼を半開きにしたまりあがじとっと私を睨んでいる。
「疲れたから寝る……。邪魔しないで……。」
再び目を閉じたまりあから、すーっと安らかな寝息が漏れた。
むかつく!
私はその足でドラッグストアに駆けて行き、ストロー付きのコップを買った。
--私は、ファーストキスをまりあに捧げてしまったのである。
それから一週間。
「喉渇いた……。」
と呻けばストロー付きのコップにポカリを入れて飲ませてやり、
「お腹空いた……。」
と呟けば栄養補助ゼリーを咥えさせてやり、
「おしっこ……代わりに行って……。」
と懇願すれば頭をはたいて肩を貸してやった。
タオルを濡らして身体を拭いてやったし、ドライシャンプーで髪を洗ってやった。脂肪吸引後の青あざを見て流した恐怖の涙も、手に入れた綺麗なおっぱいに流す喜びの涙も、拭いてやった。
まりあはまるで、世話の焼ける子猫のようで、可愛くて可愛くて仕方がなかった。
まりあのためなら、何でもした。
世界で一番大切なまりあのためなら、私は何だってする。その時私は、心からそう思った。
***
「これね、那帆の分も買ってあるの。おそろで着よ?」
思い出が蘇り、密かに愛情を再確認していたら、まりあがにっこり笑ってそういった。
「いや、勘弁だわ。」
何だってするとは思ったけど、したくないことはしたくない。断じて。
思わず眉を寄せるとまりあはムッと膨れた。寝間着はジャージと使い古したTシャツで充分だ。そんなふりふり着て、熟睡できるかよ。
「絶対、これ着て寝た方が気分が上がるから。」
「寝るのに気分上げてどうする。」
私のツッコミは尤もなものだと思うのだが、突然まりあは顔を赤らめてモジモジと身体をくねらせた。
ああ、嫌な予感がする。
私はじっとりとまりあを見た。まりあは上目遣いで私を見つめている。
「買っちゃった。」
まりあはそう言って、語尾に特大のハートマークを付けた。
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