第14話 繭の中から見る世界は

 天蓋付きのベッドの横に今日も無理やり布団を敷いて、雑誌をひろげている。グルメ雑誌をのんびり眺めるのが私の入眠儀式。隣でまりあはリラックスヨガを終え、亡骸のポーズシャバーサナと称する寝落ちのポーズに入った。大体五分経った頃、布団を掛けてやる甲斐甲斐しい私。


 レースの天蓋の中でネグリジェを纏って眠るまりあは、まるでおとぎ話に出てくるお姫様みたいだ。そう、林檎を食べた後の白雪姫みたい。あ、あれは衣装が違うか。


 毎晩のことだから、この蚊帳みたいな布、邪魔だよな。

 そう思いつつ天蓋をくぐってまりあの身体に肌布団を引っ張り上げた。


 「おう!?」


 いきなりまりあが起き上がり、私の首に抱きついてきた。そのまま、まりあの上に折り重なる。まりあのDカップの感触を頬に感じる。流石ハイブリッド、マシュマロみたいに柔らかい。


 まりあが私の頭にぐりぐりと頬ずりをかましてきた。


 「寂しいー。一緒に寝ようよお、那帆お。」


 シャンプーだけじゃないまりあの香りに包まれて、そんな甘えた声を出されると、嫌とは言えない。


 「しゃーないなぁ。」

 私は思いきり大きな溜息をついて見せてから、まだベッドの外にあった足で枕を掬った。


 「ふわ、凄いね。」


 仰向けになって思わず声を上げた。天井裏に、雲が彫ってある。凝ってるなぁ。確かにこれで20万は、安いのかも。


 小花模様のレースが電球色の光を淡く透かしている。キャラメル味のミルクキャンディーを溶かしたら、こんな色になりそう。


 「ネグリジェ、着る?」

 「着ないっ!」


 悪戯っぽいまりあの言葉を即却下する。まりあはちゃっかり私の腕を枕にしている。まりあの髪は、黒い絹糸みたいだ。シャンプーのいい香りがする。


 「……ねぇ、なんでこんなもん、突然買おうと思ったの?」

 「だって、憧れてたんだもん。」

 こんなもんという言葉にちょっとむくれて、まりあは頬を膨らませる。それから、顔をくいっと上げて私を見た。


 「那帆は、憧れなかった?天蓋付きのベッド。絵本の中のお姫様は皆、こんなベッドで眠っていたのよ。」

 「私、シンデレラも白雪姫も憧れたことないのよね。」

 素っ気なく言うと、つまんないっていう顔でまりあは唇を尖らせた。

 「那帆って女心が分かんない子!」

 「悪かったわね!」


 まりあに言われたら世話はない。そう思いつつ肩をすくめる。肩が大きく動いたせいか、まりあは居心地悪そうに一度身体を浮かせて、コロンとまた私の二の腕に後頭部を乗せた。


 「このレースの天蓋、薄羽揚羽の繭みたいじゃない?」

 「薄羽揚羽?……ああ、あの蝶々ね。」


 薄羽揚羽はまりあが崇拝するモノトーンの蝶。その羽化の動画を無理矢理見せられたことがある。しかも結構エンドレスで。因みに私は蝶が嫌い。


 薄羽揚羽は繭を作る珍しい蝶。繭は半透明で中に茶色の蛹が透けて見える。その繭は確かに綺麗だった。無防備な蛹を守る物にしては、余りにも儚い。まるでコットンキャンデーのようだと思った。


 繭の中で蛹の背に亀裂が入る。その亀裂から、蝶の姿が現われる。細い脚を動かして繭から這い出た成虫は、近くの草に昇っていく。その背にある羽は、身体の大きさと大差ない。とても奇妙なバランスだなと思っていたら、羽が大きく動いた。まるで魔法を掛けたように、羽が大きく広がったのだ。


 ドレスの裾を翻すみたいに半透明の羽を広げた薄羽揚羽は、確かに神秘的で美しかった。


 「朝起きたら、蛹が蝶になるみたいに、違う私に変わっていたら良いのに。」


 溜息交じりにまりあはそう言って、天井の雲をうっとりと眺めた。


 そんな、他力本願、だめだよ。

 声に出しそうになった言葉を、飲み込む。


 私には、まりあの気持ちは分からない。分かりたいと思うけれど、きっと全てを理解することなんて、出来ないのだ。


 複雑な気持ちになって黙っていると、まりあは右手をそっと天井に翳した。まりあの白い手は寝る前にたっぷりクリームを塗り込んであるから、キャラメルミルクの光を受けて艶々光っている。


 「繭の中から見た世界って、こんななのかなぁ。」


 私もレース越しに外の景色を見る。さっきまで私が寝ていた乱れた布団も、その横に伏せられた雑誌も、レースの光が実物よりも綺麗に見せていた。


 蛹からみた外の世界は、もしかしたらとても美しいの知れない。


 そう思いながら、私も手を翳した。


 その手を急にまりあが掴んだ。


 「那帆!」

 自分の顔の前に引っ張り込んだ手を凝視したまま、まりあが私の名を呼ぶ。その眉が吊り上がっていた。


 「ネイルが剥がれているじゃない!駄目よ!美容師の手は、皆に見られているんだから!」

 「あー、確かに。」


 ベージュのネイルが剥がれている。


 「私が塗り直してあげようか?」

 首をきゅっと横に倒してまりあが私を上目遣いに見る。私は苦笑しながら首を横に振った。


 「あした、沙也香のサロンに行くから。」

 「そう。」


 まりあは、ぷっと頬を膨らませる。


 「那帆は私に手のお手入れだけはさせてくれない。」

 私は、苦笑いだけをまりあに返す。


 ごめんね、まりあ。

 手だけはまりあに触らせたくないの。

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