CODED CHRONICLE:AFTER DAWN

Fumbleguy

0:混沌の黎明

 かつて、人類は地下に隠れ住んでいた。地上には恐るべき怪物モンスターが跋扈し、人の住める場所など、地上のどこにもなかったからだ。人類は地下深くに洞窟を掘り、大地から湧き出すわずかな魔力を糧に生きていた。時折、太陽の下で生きることを望む無謀な若者や、死期を悟った老人が地上へ出て行ったが、彼らは決して帰ることはなかった。死体すらも、地下へ戻って来ることはなかった。

 長い永い、地底の暗闇での生活は、人々から様々なものを奪った。希望を、活力を、明日を待つ意味を。


 ある時、アイリーンという名の若者が、周囲の制止も聞かずに地上へと飛び出した。諦めることから始まる日々はもう終わりにしよう。誰もが、それがアイリーンの最期の言葉だと確信した。誰もがアイリーンの生還を諦めた。暗い地下に昼や夜という概念はなかったが、人々が眠りに就いても、アイリーンは帰って来なかった。

 伝説はここから始まった。眠っていた人々は、アイリーンの声に叩き起こされたのだ。両手に抱えきれないほどの、色とりどりの食べ物を持ち帰り、アイリーンは生きて地下に戻ってきたのである。ある者はアイリーンの発見と勇気を称賛したが、別の者はアイリーンの無謀を諫めようとした。もう二度と地上に出ないでくれ、と懇願する者も少なくなかった。


 その翌日、アイリーンはそうするのが当たり前であるかのように、再び地上へと向かった。そして今度は、人々が眠りに就く前に戻ってきて、こう告げた。「近くにいる怪物を倒してきた。もう怪物に怯えるだけの生は終わりにしよう。私達は地上で生きていくことができるんだ」と。

 その現実離れした言葉が、おそらく事実であろうことは、アイリーンが引きずって持ち帰った怪物の死体からも明らかだった。しかしながら、人々はこれを信じることができなかった。誰もが、怪物に勝てるはずがないと信じていた、そして諦めていたからだ。

 だが一方で、数名の若者はアイリーンを、そして己自身を信じた。次にアイリーンが地上へ飛び出していく姿を見て、彼らはその背中を追って地上へと駆け出した。アイリーンにできたなら、自分達にもできるはずだ。自分達も怪物を倒し、見たことのない食べ物を手に入れ、そして地上で生きていくことができるはずだ。何の根拠もない自信は、しかし彼らの行く手を阻む怪物を打ち倒す武器となった。翌日、地上に出た全員が、アイリーンを先頭に生きて帰還したのだ。その手にたくさんの食べ物を持って、その背中に怪物の肉を背負って。


 次第に人々は、アイリーンとその仲間たちが、地上から生きて帰って来ることを受け入れ始めた。アイリーンが果実と呼ぶ食べ物は、地下では決して味わうことのできないものだった。地上の怪物を打ち倒して得た肉は、長らく地下の明かりとしてしか使われてこなかった火を用いて、若者たちの活力となる食べ物へと変えられた。

 はじめ、誰もがアイリーンの生還を信じなかった。しかし、アイリーンが地上に出向く回数が増えるにつれて、そして共に歩む仲間が増えるにつれて、人々はアイリーン達がきっと生きて帰ってくると信じるようになった。


 やがて、人々は地下から這い出し、地上に居を移すこととなった。地上では、熱を帯びた太陽が昼を作り、魔力に満ちた月が夜を作るのだと、アイリーンは人々に教えた。肌を撫でる不可思議な感覚は風といい、時に雨という天からの雫が落ちて来ることを。己の内にあり、そして地下にも地上にも満ちた見えざる力を魔力と呼ぶことを。手に鋭く尖った石や大きな石を持てば、それが武器というものになることを。アイリーンは、数多くのことを人々に教えた。

 人々は、なぜそのようなことを知っているのか、とアイリーンに問うことはできなかった。アイリーンのもたらす知恵と知識、勇気と希望はあまりにも数多く、人々はそれを自分のものにしようと試みるだけで精一杯だったからだ。


 時が経つと、アイリーンとその仲間たちは、自分達の行いを「冒険」と呼ぶようになった。それは旅であり、狩りであり、採集であり、未知の探求であり、怪物から人々を守る戦であり、そして何より、己の意思で明日を切り開くものだった。やがて「冒険者」という言葉が人々の間に定着する頃には、彼ら冒険者は次から次へと、地下に潜んでいた同胞たちを地上へ導くようになっていた。こうして、人々は地下に生きる者ではなくなり、地上に生きる者になったのである。


 アイリーンは数多くのものを人々にもたらした。文字、算術、農耕、調理、魔術、星読み、獣の調教、金属、車輪、建築、法律、貨幣、武具、機械。このことはアイリーンの偉大な功績として、今なお語り継がれている。

 しかしながら、この時期にアイリーン唯一にして最大の失敗があった、とも言われる。次第に人々の中から、アイリーンの背中を追うのではなく、決まった場所に定住し、ただ冒険者の帰りを待つことを選ぶ者が現れ始めた。アイリーンは偉大だったが、あまりにも大きな恩恵が、人々にとって重荷となりつつあったのである。アイリーンの歩む速度に、人々が追い付けなくなったのだ。


 それでも、アイリーンは前に進み続けた。定住を決めた人々が怪物に襲われることのないよう、冒険者たちの同盟を結成した。新たな知識や技術が見つかれば、仲間の冒険者を通じて人々へと還元した。やがて地上には、人類の生息圏として、いくつかの国が成立した。それはすべての冒険者に、帰る場所が生まれたことを意味していた。


 ここまでが、“冒険の大地”の各国の建国神話に語られる、始祖アイリーンのすべてである。アイリーンは、人々が文字を身に着け、それによって歴史を書き綴ることを覚えるよりも前に、あまりにも数多くの偉業を成し遂げ伝説を生み、そしていずこかへと姿を消した。歴史書すら残らず、ただ断片的な伝承だけが残されたアイリーンとその仲間たちの伝説の時代を、後の人々は「混沌の黎明」と呼ぶ。


 人類は、希望ある明日を手に入れた。しかし、アイリーンという夜明けを失った。

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