7:種族

 冒険の大地には、様々な姿をした人が暮らしている。「人」「人間」といった言葉の在り方は、我々の知るそれに比べて広範であり、同時に明確でもある。

 魂の器を見通せば、その者が怪物であるか人であるか、そのどちらでもないかはすぐに分かる。真に人たる存在は魂の器を球として持っている。この球体の幻視ビジョンは、魔術に明るい者であれば簡単に視ることができ、そうでない者でも魔力を可視化する魔道具マジックアイテムの力を借りて見ることができる。もっとも、一部の狡猾な怪物は、幾度も魂の簒奪を繰り返すことで己の魂の器を球形に見せかけることがままあるのだが。


 ある秘儀術師曰く、球は無限である。人の手が仮に魂の器に触れられたなら、草木や獣のそれのような「角」のないものだと感じるかもしれない。しかし実態は異なり、数えることのできない無数の「角」を持つが故に、人の魂は球形なのだと。

 ある占星術師曰く、球は天である。太陽が、月が円の形で人の目に映るのは、天に浮かぶ魔力の結晶たる星々が、完全なる形である真球を成しているからであり、人の魂もまた完全に最も近い形をとっているのだと。

 またある者は、球は最も効率の良い形であるという。別の者は、球はすべての形を内包する始原の形であるという。

 どれが真実でどれが仮説かはわからない。だが、知恵を武器とする者たちが皆、人の魂は球であると語るのは、それが事実であることを示しているのだろう。


 であれば、魂の器が球形を成すのなら、それはいかなる姿をしていても、いかなる力を持っていたとしても、まごうことなき人であると言える。赤肌ゴブリンでも、鬼人オーガでも、獣人アニマリングでも、物質的な肉体を持たない霊種エーテリングでも、あるいは血の通う体を持たない命器ツクモガミでも、それは人なのだ。


 時折、異世界人がこう尋ねることがある。この世界の人類はなぜこうも多様な種族から成るのか、と。それに対する答えは常にひとつ。最初からこうだったから、だ。アイリーンとその仲間たちが、地下で息を潜めていた同胞たちを地上に導いた時から、人はみな多種多様な姿をしていた。種族の異なる者がいることに対して、驚きこそあれど、そこに疑問を抱く者はいなかった。そもそも「種族」という言葉自体、近年になって異世界人が持ち込んだ外来語である。このことからも、冒険の大地の人々が自分と他人の違いに対して寛容、あるいは無頓着であることがうかがえる。


 どの国を渡り歩いても、個々人が他者を見る好みの違いこそあれ、特定の種族だけを貴ぶような国家は存在しない。また、異世界人は例外として、特定の種族だけを悪し様に扱う国家も存在しない。

 だが、それが一概に幸せなことかというと、そうとは限らない。


 ある異世界人はこう言った。ここは故郷と違って、肌の色や信じる神で差別や迫害を受けることはない。体力に秀でた獣人と同じ速度で走ることを求められることも、巨躯で知られる鬼人を見上げながら会話する必要もない。だが、もし私が獣人であったなら速く長く走ることを求められただろうし、鬼人であったなら会話のたびに片膝を着くことを求められただろう。それは確かに平等なのだろうが、もしかしたら窮屈なのかもしれない、と。

 その一方で、ある霊種はこう言った。私の血は赤くないし、湿ってもいない。私は他の者と同じ食事を楽しむこともできない。だがそれでも、赤い血の者も青い血の者も、肉を食うことを好む者も野菜を好む者も、お互いを友と呼べる。テーブルに並ぶ料理が違ったとしても、友と囲む食卓は、間違いなく幸せなものではないか、と。


 君が如何なる種族すがたであっても、冒険の大地は君を歓迎するだろう。

 ただ一点、君が怪物でないのならば。

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