10:ラストホープ
冒険者にはいくつもの掟がある。それらは冒険者の安全のため、平和の維持のため、より効率よく稼ぐため、無用のトラブルを防ぐため……様々な理由から生まれた。その掟のひとつに、こういうものがある。
「ラストホープという名の店を詮索するな」
特定の店に対する事情が、なぜ全国の冒険者に口伝される掟となっているのか。その理由を知らない者は数多い。理由を知っている者の誰もが、その口を閉ざしているからだ。
狭間の地の偵察依頼をこなしたブリッツハンド=アルバートは、下宿先に戻っていた。そのこじんまりとした家は街の住宅地の二等地にあり、
彼はぼんやりと、今日の仕事に同行してくれたゴブリンの青年のことを思い出していた。サイガというコードネームで、今まで見たことのない銃を使う銃士だった。ブリッツハンド自身も銃を扱うことが多く、自分に合う銃を探して武器屋や掘り出し物屋を物色したことがある。それでも、あんな風に光をまとって実体のつかめない、陽炎か幻影のような銃は初めて見た。遺質物だったのだろうか? だがサイガは複数の銃を宙に浮かべて操り、そのどれもが似たような亡霊のごとき銃だった。あれが全部遺質物だったとは考えにくい。もしかすると、無限鞄の中に原型となる銃があって、それを魔力で複製していたのだろうか?
しかし、それ以上にブリッツハンドが気がかりになったのは、彼が目深にかぶっていた帽子から垣間見た濁った眼だった。
下宿先のゴブリンの子供は、まだ十歳にも満たない。帰ってきたブリッツハンドの姿を見て、今日の冒険はどんなものだったかを聞きたそうに目を輝かせていた。ブリッツハンドが知る限り、ゴブリンという人達はあの子のように、明るく朗らかで元気がいい人が多い印象がある。この家のご婦人のように、落ち着いた雰囲気のゴブリンもいたが、誰もがよく笑顔を見せてくれるものだったと記憶している。
サイガは必要以上に言葉を発さず、湧き水が零れ出すよりもゆっくりと喋っていた。あの、泥沼の底よりも暗い眼。何が彼をあんな風にしたのだろう。
冒険者ギルドを後にしたサイガは、思うように動かない体を引きずるようにして、宿への道を歩いていた。無意識に人目につかない暗い路地を通り、誰にも見られることのないように。警戒していたわけではない。そうしなければならない、という恐怖心だけが、彼の足を動かしていた。
昼の仕事は、とても恐ろしかった。ブリッツハンドとフラッドフローと言う名の、共闘したふたりの腕前を疑うわけではなかった。女主人の手配があったのだから、あのふたりが自分にとって重荷になるはずもないということはわかっていたはずだし、事実ふたりはサイガと適切に連携した。多分、あのふたりは前から一緒に冒険をしていたが、戦力的にもう一押し欲しかった、というところだろう。
だが、それが何になる? サイガは自問する。冒険者として役に立つことができなければ、サイガという冒険者は存在価値を失う。そうなれば、何のために生きていけばいい? あのふたりなら、サイガがいなくても仕事を成し遂げただろう。多少傷を負ったかもしれないが、それもかすり傷で済んでいたはずだということは、防御を担当したサイガ自身がよく理解していた。
足が錆びついて折れたかのように、動きを止めた。そのまま体制を崩し、サイガは前に倒れた。力の入らない両手は倒れる体をかばうこともできず、顔を強く打ち付け、三角帽子が頭から転がり落ちた。
ああ、恐ろしい。早く帽子をかぶらなければ。そう思っても、体が動かない。およそ感情の読み取れないサイガの両目に、ほんの少し涙が浮かんだ。
早く帽子を。顔を隠すために。耳を隠すために。ゴブリンだとわからないようにするために。しかし恐怖と絶望がサイガの全身を縛り付け、彼は指一本動かすことができなかった。
誰かが帽子を拾ったと同時に、サイガの心は真っ黒に塗りつぶされた。
ああ、ここで死ぬのか。諦観と偽りの安堵が、涙を流させた。
どれくらい時間が経っただろう。サイガの帽子は、何事もなかったかのように彼の顔を隠していた。どこだかわからない路地裏で転んだはずなのに、彼が倒れこんだ床は石畳からベッドに変わっていた。
帰り着いた。
その事実を理解した彼の心にわずかな安寧が訪れ、そのまま彼は眠りに就いた。
サイガの帰りを待っていた女主人は、倒れていた彼をベッドに転移させた後、小さくため息をついた。彼女が身に着ける
彼女はサイガの来歴を思い出していた。故郷の村を襲った
異世界人に人の定義は通用しない。このことが広く知られるようになったのは、ごく最近のことだ。サイガ達の住んでいた村の人口のほとんどはゴブリンであり、運悪く、彼らはそのことを隠すべきだと知らなかった。
異世界人の盲信による虐殺は、ここ数年で増え続ける一方だ。
そして、決まって殺戮者はこう言う。「殺さなければ害があるからこうした」と。そんな事実はどこにもないというのに。
女主人もまた、根拠なき殺戮に巻き込まれた犠牲者だ。彼女は、自分と同じ境遇にあり絶望に沈み込んだ者達に、ほんの少しでも希望をもたらしたいと考え、冒険者ギルドに自分の店を登録した。
この店にいるときだけは、
その願いを知る者は皆、それを知らない者にこう告げる。
「ラストホープという名の店を詮索するな」
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