4:魂の器
少なくとも、冒険の大地において、その定義は明らかである。だが、それに関して語るには、まず魂の器という概念を理解しなければならない。
魂の器とは、生きとし生けるものすべてがその命と共に有するものである。すべての生物は魂の器を持つ。野を駆ける獣も、生い茂る草木も、そして人もまた、魂の器を抱いて生きている。その在り方は「不可視の心臓」あるいは「己の生の重み」と語られる。
この魂の器は生涯不変のものではない。器を宿す生命が成長するにつれて、経験を積むにつれて、次第にその大きさと重みを増していく。もちろんこの成長には個人差、個体差がある。魂の器はただ漫然と生きているだけでは育たない。たとえまったく同じ姿に生まれた双子であっても、ただ過ぎ去る日々を過ごした者と、武芸に励み、勉学に努め、他者と交わり、その人生の道程を色濃くした者の魂の器とでは、その成長には天と地ほどの差が生まれる。冒険の大地の民にとって、自己研鑽とはすなわち、己の魂の器を成長させることと同義である。
魂の器の成長は、時として宿主の肉体に大きな変化をもたらす。長い年月をかけて成長した樹木が
魂の器をより成長させれば、さらなる力を得られる。となれば、より楽な方法でそれを成そうとする横着者が現れるのは自然な道理だろう。だが、その選択が、その者を怪物とする。
魂の器を大きくする禁忌の手段を、冒険の大地に生きる誰もが知っている。それは他者を殺し、魂の器を奪い取ることだ。
ただ戦いの中で殺し、その肉を喰らうだけでは、人は怪物になることはない。魂の器を奪う業は
ある研究者の説によると、己の魂に不釣り合いな欲望を抱いた者、そしてそれを己の力によらず成そうと企む不届き者には、悪しき簒奪の業を教示する見えざる者の声が聞こえるのだという。その誘いの手を取った者は、禁忌の力を手にして怪物と化し、人ならざる者となるのだと。
だが、困難を嫌い安易な道に縋る者には、相応の結末が待っている。魂の簒奪によって得た器は、つぎはぎだらけの歪な物にしかならない。真に努力し、研鑽し、己の魂を磨き上げた者のそれとは比べるまでもなく、その力は脆く壊れやすいものだ。
それゆえに、怪物は際限なく魂の器を奪い続ける。偽りに満たされた己の魂を、永遠に認めることができないために。
冒険者の使命のひとつ。それは怪物を討つこと、人々を守るために力を振るうことだ。怪物が支配した地上を、アイリーンが切り拓いた時のように。そしてその行いは、冒険者の魂の器を成長させる。
いつか、地上からすべての怪物が根絶される日が来るかもしれない。その願いを心の片隅に抱いて、冒険者たちは戦い続ける。
その願いは、必ず叶うだろう。
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