5:愚者の盾

 冒険の大地において、歴史とは口伝によって知るものだ。混沌の黎明において、世界最初の冒険者にして大陸を切り開いた英雄は、おそらく後世に自身の偉業を伝えるつもりがなかったのだろう。人々が文字を覚え、書物という概念を理解し、歴史書を書き記すことを覚えるよりも前に、アイリーンは何もかもを成し遂げて姿を消した。

 しかし、かの英雄とその仲間たち、そして建国の父祖の伝承は、どの国にも何かしら語り継がれている。そうする以外で歴史を残す方法を知らなかったからでもあり、そうしない理由がなかったからでもある。


 あるゴブリンの話をしよう。

 彼は長剣を両手で振り回し、風切り音を立てることばかりが得意な未熟者だった。だが、アイリーンからある日譲り受けた円盾を大層気に入った彼は、盾を扱うために、その日のうちに長剣を手放し片手剣と交換したという。

 だが、ゴブリンとは得てして奇抜な発想をするものだ。彼は盾の使い方を知らなかったのか、それとももっといい考えがあったのか。モンスターの牙と爪を盾で受け流す代わりに、渾身の力を込めてその盾でモンスターを殴りつけることを選んだのだ。

 最初のうち、周囲の者はその異様な戦い方を、ゴブリンのすることだからと気にも留めなかった。しかし彼と共に冒険をした者が増えるにつれて、あんな危なっかしい戦い方はやめさせよう、という声が聞かれるようになった。盾は守るためにあるのであって、間違っても鈍器ではない。そう彼を諫める者も出てきたが、彼は元気よく頷き、次の日も同じように盾で敵を殴り続けた。


 やがてこのゴブリンは片手剣を捨て、代わりに円盾をより重く、大きくするために、部品を付け足し始めた。満月のような円を描いていた盾は、不格好な金属片で飾り立てられ、どんどんいびつになっていった。もちろん、彼は相変わらず、その盾を敵の攻撃を防ぐためには使わなかった。怪物の脳天に衝撃を叩き込み、振り下ろされる爪を弾き返すために、盾は勢いよく振り回された。

 日を追うごとに盾の形は歪んでいき、重さは増し、やがて彼の奇行を止めるものはいなくなった。代わりにその不格好な盾を、誰もが「愚者の盾」と呼ぶようになった。


 愚者の盾の大きさが、ゴブリンの身長の半分ほどに育つ頃には、彼の周囲からは共に冒険する者はほとんどいなくなっていたという。代わりに彼は、意気投合したごく少数の仲間と共に冒険することが増えていった。不思議なことに、彼の仲間には盾を持つ者はいなかった。

 誰かが言った。あの愚者の盾は、いつか持ち主を殺すだろう、と。


 最終的に、愚者の盾はゴブリンの背丈と同じくらいの大きさにまで成長し、その重さは主が両手で持ち上げるのがやっとだったという。しかし、彼はその盾の使い方を変えなかった。

 この頃になってようやく、愚者の盾を軽んじていた者たちは、この盾の真価を理解することになる。

 きっかけは、大型のモンスターが狭間の地から這い出し、人々の暮らす集落に迫った時の戦いだと言われている。かのゴブリンは、いつものように愚者の盾を振り回し、果敢にも、そして無謀にも、モンスターとの戦いで先陣を切ったのだ。


 モンスターは最初、恐ろしい炎の吐息を吐き出し、近づく者を焼き尽くさんとした。矢を放てども燃やされ、炎を受け止めた盾は熱を帯びて持つことも叶わなくなり、防衛戦に挑んだ冒険者たちは苦戦を強いられる。

 だが、愚者の盾が怪物の顔面に叩き込まれると、戦局は変わり始める。怒りに任せて炎を吐き出さんとする怪物の口に向かって、愚者の盾が振り下ろされると、そのあまりの衝撃に怪物がひるんだのだ。

 ゴブリンは怪物が攻勢に転じようとするたび、勢いよく愚者の盾を振り回しては殴りつけ、ほかの冒険者たちが反撃に打って出る隙を作りだした。幾度となく怪物の頭に顔に、愚者の盾が衝撃を与える。その痛みと重みに耐えきれず、怪物は何度も姿勢を崩し、攻撃の機会を失う。


 やがて怪物の首が落とされた時、盾持ちのゴブリンは盾を置いてこう言った。

「次はもっとでかいやつを殴れるように、帰ったらもっと盾を大きくしないとな」

 それを止めるように文句を言う者は、もういなかった。

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