12:獣
冒険の大地における人の定義は、魂の器の形によるものだ。魂の器が球の形を成していれば、その者は人として扱われる。
ではそうでないものはどうか。冒険の大地では、魂の器が未だ球の姿をしていないものを指して「
そもそも、冒険の大地に生きる生命はみな魂の器を宿している。そしてその魂の器は、自己研鑽や経験によって少しずつ成長していき、ある程度まで成長が進むとその生命は姿を変える
この変身は単に外見が変わるというだけではない。大地に根を下ろした草木が、自らの意思に従い歩き回れるようになることもある。海に生きることを宿命とする獣が、陸を歩き息をする力を手に入れることもある。そして、人ならざる未熟な獣が、人として生きられるほど円熟した魂の器を宿すことさえある。
冒険の大地では、獣たちはすべて、人と成りえる可能性を秘めた存在なのである。
このような事情から、獣に対する人の心の持ち方は、我々の感覚とはやや異なる。
熱心に育てれば、その獣が人になる手助けになるかも知れない。そういう意味で、飼っているペットに対して強い愛着を持つ者もいる。
状況次第では、飼育している家畜が人と成るかも知れない。それゆえに、酪農や畜産を生業とするならば命を預かり、新たな人の誕生を迎える準備と覚悟を常に心に備える必要がある。
獣が抱いた強い恨みが、その身を人へと成長させるかも知れない。それゆえに、獣をいたずらに苦しめることは忌避され、必要以上の狩りは禁忌とされる。
と言っても、獣が人になるほどの成長を果たす確率は低く、大多数の人々はその時を目にする機会もないのだが。
加えて、獣として生まれた者が、自ら獣であり続けることを望むこともままある。
現世の様々な出来事を目にした老木が、言葉を得てもあくまで木のままでいることを選ぶこともある。海に生きる獣が、故郷を離れることを嫌い、人と会話することはあっても海に生きる道を選ぶこともある。
あるいは、自分が人となってしまうことが、周囲と自分との関係を崩してしまうことを恐れる者も珍しくない。
それでも人になりたいと強く望むのであれば、その獣には未来に一縷の光がある。
その願いを叶えられるものは少ないが、確かにその道を歩んだ者は存在するのだ。
だが、何事にも例外はある。決して人になれない獣。それは
人になるために力を求め、安易な力のために他者から魂の器を奪うことを選んだ者には、決して人になることはないという未来が与えられる。
そのことに気付くものは少ない。自分が誤った道に入ったことを認めることは、誰にとっても難しい。
山のような姿の獣はこう言った。
人になることでしか手が届かない願いもあるだろう。
だが、人になることは本当に幸福なのだろうか?
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