15:貴種

 冒険の大地にごく少数のみ存在する種族、貴種グランド。彼らのほとんどは人との交流を最小限にし、人里離れた場所で暮らす。異世界人による傷害・殺人事件が増加の一途を辿る昨今、その傾向はより強くなっている。


 貴種の中でも、冒険者として活動する者は特に珍しい。ベインステップ=ディーンがそのひとりだ。彼は大半の貴種がそうであるように魔術に長け、戦術士としての優れた実力を持っていた。その名が示す通り、ただ歩くだけであらゆる敵を打ちのめす独特の戦闘スタイルが、味方にすればどれほど頼もしいかは、彼の名を知る誰もが理解していた。

 しかしながら、彼の私生活を知る者はほぼいなかった。仕事を終えれば、戦っている時と同じように、一歩足を踏み出すと同時に姿を消す。そんな彼の後を追いかけられる者など存在しなかった。


 ベインステップという仮面を脱ぎ捨て、狭間の地にも近い洞窟に帰ったディーンを出迎えるのは、彼の愛する妻と子供たちだ。彼らの住む家はお世辞にも立派とは言えない。ディーン自身、子供たちだけでももっといい暮らしをさせてやれないだろうか、と今でも悩み続けている。それでも彼の家族はディーンと一緒に暮らすことを望み、質素ながらも幸せな生活を送っていた。唯一、彼自身を除いて。


 子供たちを寝かしつけた後、ようやくディーンの食事の時間がやってくる。彼は妻の前に跪いた。妖霊フェイに多く見られる、透き通るような白い肌。その腕を手に取り、指先を口に含む。そして、傷一つなかった指を食い千切った。

 何度繰り返しても決して慣れることのない痛みに、妻が小さく声を上げる。それを聞くたびに、ディーンの心に重い絶望と悲哀がのしかかる。小さな指を咀嚼せず飲み込み、傷口から流れる血をすする。彼の青ざめた肌に、ほんの少しばかり血の明るさが取り戻されると、妻は夫から送られた魔道具を手に、たった今失くした指を再生させた。ほんの十秒程度で、彼女の指は傷一つない姿になっていった。

 この痛々しい光景こそ、ディーンが生きるために欠かすことのできない食事だった。


 パン屋の娘と、近所に住む魔術師見習いの青年が恋に落ちた。数年経ってふたりは恋人となり、やがて結婚した。懸命に働いて稼いだ資金で新しい家を買った。同じ街に住む誰もが、この妖霊フェイの夫婦の未来を祝福した。ふたりの間に子供が生まれた時も、多くの人が我が事のように喜んでくれた。

 夫であるディーンはその後も魔術師として研究を重ね、次第に名が売れ始めた。妻の暮らしが便利になるようにと、一般庶民向けの魔道具をいくつか発明し、街で一番大きな工房と契約を取ることができた。これらの経験は彼の魂を鍛えるに充分なものであった。

 だが、この夫婦にとって唯一最大の悲劇が訪れた。ディーンが変身シフトしてしまったこと。その変身した姿が、よりにもよって貴種だったことだ。


 貴種は人の肉を食い、血を飲まなければ生きていけない。

 この性質は一般にはほとんど知られておらず、その不気味さから怪物モンスターと同一視されることさえある。ディーンは魔術研究の最中に偶然目にした書物の記載を思い出し、街から姿を消した。その歩みに妻が寄り添ってくれたことは、彼に涙を流させた。


 ディーンはいくつもの文献を読み、情報を必死にかき集めた。その結果、貴種グランドはかつて飢種グラトニーと呼ばれ、そのおぞましい人食いの食性はいかなる手段をもってしても代替できないことを知った。

 その事実を知らされた時、彼の妻はためらうことなくこう言った。傷を治す魔術なら、あなたから教わった。だから、私の血肉で生き延びて、と。


 愛する人に痛みを与え続ける日々を少しでも早く終わらせるため。悪しき歩みベインステップを終えるため。彼は狭間の地で戦い続ける。もう一度変身することができれば、きっとこの地獄から解放されるはずだ。その希望だけが、彼を突き動かしていた。


 魂の器を成長させるために冒険者となる者は多い。

 だがその中には、そうせねばならない者も少なくない。

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