第18話 裸のつきあい

 夕方4時過ぎ――。

 けんは、ライトアップされた露天風呂にいた。

 そこは、岩風呂に注がれる源泉の音と風の音、鳥の声に木々の擦れる音など、自然の音色が耳にも体にも心地の良い、静かな空間である。

 その空間でただ一人、けんは温泉に浸かっていた。

 けんが今、露天風呂にいることを知る者は、誰もいない。万一、あん女将にでも見つかれば、えらい剣幕でまくし立てられるのは必定だったが、そこをえて隠れて入る。そのスリルと温泉の気持ち良さを、同時に味わうのが、けんの風呂の入り方。カッコよく言えば流儀だった。

 いつも通りなら、けんにとっての極楽タイムは、このまま続くはずだった……。

「やるよ、やる。自分で脱げるし、風呂にもちゃんと入るから、出て行ってくれっ!」

 脱衣所から子供の怒鳴るような声が響いた。

 やれやれ、極楽タイムは終了か――けんは、一瞬、残念に思ったが、声の主は恐らく祐太朗だろう。なら、丁度良いタイミングかもしれない。けんはこの機会に祐太朗の未来の軌道修正を、試みるべきだと考えた。

 それにしても、温泉好きでもなさそうな祐太朗を夕方4時台に露天風呂に連れてきたのは、間違いなく担当の夕日なのだろうが……。

 夕日のことだ、露天風呂に浸かって気持ち良くなれば、ストレス値が一気に下がるとでも思ったか?安易な発想だな。

「また、夕日の愚策か……」

 けんは、一人呟き、ため息をついた。

 そのため息とほぼ同時に、祐太朗が露天風呂に姿を現した。

 祐太朗はすぐにけんの存在に気が付き、けんを一瞥いちべつすると即座に一歩、後退した。放っておけば、道端で熊に出食わした際の対処法の如く、目を合わせたまま後退りを続け、しまいには露天風呂から出ていってしまう。

 ――オレがそんなに怖いのか?まぁ、ナメられるよりかは、マシだが。

 ともかく、この場からドロンしそうな祐太朗をまず、止めるか。逃げられてしまっては何もできない。

「待て、待て。せっかく来たんだ、オレのことは気にしないで入っていけよ」

 けんの言葉に、祐太朗は少し驚いたように目を見開いたが、けんから視線を外し、目を伏せると、コクッ、と頷くのだった。

 ◆

 祐太朗は、洗い場の木製の風呂イスに座りシャワーを浴び始めた。

 古びた旅館だが、しっかりとシャワーが完備されている。しかも、ちゃっかり流行にのかっていて、節水なのに水の勢いが強いという高性能な代物である。

 経営者が謎の解消温泉旅館、いったい誰が資金提供しているのやら――。

 祐太朗は、ボディソープを手に取り泡立てる。それを体に塗るように広げて、首から下が泡でほぼ覆われると、シャワーで一気に流した。

 流し終えると、風呂イスからおもむろに立ち上がる。

 そこで、けんは祐太朗の小さなお尻を見ながら問う。

「髪は洗わないのか?」

 祐太朗の小さな体がビクッ!となった。

「きれいだから、いいんだっ!」

 祐太朗は吐き捨てるような言い方をした。

「ほー。昨日も風呂入ってないだろ。今日も洗わないとなると、まる二日洗ってないわけだ。あんま汚くしとくと、虫がわくぞー」

 けんは、手を動物の口っぽい形にして、パクパクと動かしてみせる。

「頭はいつもお母さんに洗ってもらうんだ。だから今日はいいんだっ!」 

 少しお冠気味の祐太朗は、右足の指先で温泉をツンツンして、湯の温度をはかる。

 耐えられる温度だとわかると、身体を湯に浸けた。

 祐太朗が落ち着いたところで、けんは、

「小4で、まだお母さんに洗ってもらってるのか?」

「うん。まだ一緒に入ってる」

 祐太朗は申し訳無さそうな顔をした。

 別に責める気などなかったけんは、

「なぁに、一緒に入ってたっていいさ。お母さんも嬉しいだろうしな」

 言われた祐太朗は、パァッ、と明るい顔をする。

「でも今日は一人だな」

 コクッ、と頷く祐太朗。

「体、自分で洗えたな」

 コクッ。満面の笑みを浮べる祐太朗。

「もしかして、初めてか?」

「うん。初めて」

「初めてにしては、洗うの上手だったぞ」

 コクッ。

「頭は、洗ってくれるのはお母さんだけか?」

 コクッ。

「オレが洗ってやろうか?」

 ブルブルブル。祐太朗は首を勢いよく横に振った。

「オレ、案外、優しいぞ」

「お兄さんはいい、お母さんだけ」

「でもなぁ、洗わないと汚いぞ」

「……水が、……怖いんだ。いつも、カッパを付けて洗うんだ」

 そういえば、祐太朗は体は洗っていたが、顔は洗ってなかったな――。

 祐太朗は暫し黙り込んだ。

 祐太朗の顔は暗く、気持ちが沈んでいる。

 髪を洗うなど、こんな簡単なことに悩み過ぎではないかと思うけんだった。

 けんが体験した予知夢では、祐太朗のお風呂シーンなどなかった。もしこうした裸のつきあいがなければ、祐太朗が水が怖くて首から上を洗えないという事実を知ることはなかった。

 予知夢でも今のこの状況からも、祐太朗は警戒心が強く、難しく考え過ぎる節がある。

 よく慎重に行動する人のことを石橋を叩いて渡るというが、祐太朗の場合は、石橋を叩いて、さらに深く思考して、タイムリミットが迫り、渡らざるを得ない状況になってから渡る感じだろうか?

 詰まる所、祐太朗は、あらゆる物事において、挑戦する気持ちが欠落しているのだ。

 けんは、祐太朗の性格について、そうした印象をもつのだった。














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