第13話 あん女将 

 だぁぁぁぁ。

 夕日の叫び声が、遠ざかっていく。

「相変わらず、わけ分からん奴だ」

 けんは、呟くと、カイを見遣みやった。

「なぁ、カイ。何があった?」

 問われたカイは、あごに指をなぞらせ、しばしの間を空け、

「さあ?わからん」

 そう口にした。

 実は、カイは喋るのだ。

「お前の声聞いたら、後輩どもは、ひっくり返るかもな」

 カイは、無口ではない。単に年下が苦手なだけだった。つまり、夕日の意味不明な努力は、徒労とろうに終わったのだ。

 このしょうもない事実を、夕日が知るのは、もう少し後の話である。

 けんは、周囲を見渡す。

 カイ以外には、誰もいないことがわかると、

「カイ、これから、ネギ爺たちと会議みたく、話し合いをするから、誰も近づけるなよ」

「ああ、わかった」

 けんは、カイの返事を聞くと、カウンター横の暖簾のれんを抜け、事務所へと入った。

 ◆

 夕日が事務所を出ていった。

 あんは、安堵あんどした。

 泣き濡れて赤くなった自分の目に、夕日が気が付かなかったから。

 あんが、泣いている理由は祐太朗のことだった。

 実は、あんは、未来を見ることが出来る。

 正確には、女将と支配人の役職に就く者は、旅館、校舎、寮――この三角山と呼ばれる山の中にいる限りではあるが、予知夢を見る能力が付与されている。

 予知夢は、解消温泉旅館に来る資格を得た客人――ストレスペイシェントの未来が見える、というもので、見ようと思って見れるわけではなく、不定期に起こる現象なのである。

 あんは、昨日の夜、祐太朗のストレスカルテに目を通した。

 すると、予知夢が起きた。

 予知夢の内容は、とても悲しいものだった。

 祐太朗の未来は過酷で、試練の人生。

 一体、どうすればいい?

 祐太朗には、どんな接客をすればいいのか?

 あんは、途方に暮れていた。

 ◆

 夕日が去ってから、数分後――。

 事務所には、ネギ爺、たま姉、エレン、けん支配人、あん女将が、一堂に会した。

 ネギ爺が皆に、椅子に座るよう、促すと、それぞれが自分のデスクへ移動し、椅子に腰掛けた。

 ただ、けんは座らずに、事務所入口の扉に背を預け、立っている。

 ネギ爺は、けんに座らないのか?目で問いかける。

「オレはここで。誰かが来たら、面倒だしな。見張り役してるよ。いいぜ、話、始めて」

 けんの返答に、ネギ爺は頷くと、

「時刻は8時半ですね。では、9時まで話をしましょうか。まずは、あんさんが泣いている理由から。察するに、祐太朗くんの未来を――予知夢を見たようですね」

 ネギ爺の問い掛けに、あんは、涙をエレンに拭いてもらうと、鼻声で話し出した。

「今回の予知夢は、祐太朗くんの、人生の一部始終でした。まず、前置きとして――祐太朗くんは、病に侵されています。現在はまだ、発症していませんが、中学1年になると、症状が強く出始めます」

「病気って、どんな?」

 大きな丸眼鏡の位置を修正しつつ、たま姉が訊いた。

「進行性の、筋力を失っていく病です」

 答えたあんは、悔しそうに握り拳を作ると、話を続ける。

「祐太朗くんは、学生時代、病気に苦しめられますが、我慢強さと努力で、その苦境を誰にも相談せずに、乗り越えます。高校卒業後、定職には就かずに、日々を送り、ある時、友達に言われた――博識なんだから、アウトプットする術を考えた方がいいよ――この一言で、脚本家になろうと決意します。ですが、病状の悪化などで、叶えられませんでした」

「病状の悪化?」

 ネギ爺が呟く。

「歩けなくなった。その上、心臓の筋力も衰え、入院する事態になりました。祐太朗くんが40歳の年です」

 あんは、ここまで説明し、口を閉じた。

 あんの瞳から、涙が溢れ出す。

 あんの涙が止まらぬ理由は、予知夢という夢の中では、あん女将もけん支配人も、祐太朗と一体化し、祐太朗という人物になって、夢を体験するからだ。

 祐太朗の感情の全てが、あんの心に直に流れ込み、逆境の人生を体験し、苦しいしかない感情を心に受ける。

 夕日に見せる、強い女子の姿を表とするなら、あんの裏は、実は、人一倍優しい女子。

 そんなあんは、祐太朗の気持ちを沢山、すくってしまい、思い返しては、胸を痛めて泣き、思い返しては、不公平を呪い、泣きを、繰り返している。

 あんは涙の止め方を、忘れてしまった。

 なのに、けんは、どうだ――。

 同じ夢体験をしているけんは、何故、一滴の涙も流さずに、平然としていられるのか、人間性を疑う。

 そうした気持ちを、あんは、けんに抱いていた。

 あんの涙を、エレンが優しく拭う。

 妹を慰める姉のように。







 





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