夢巡

茶竹抹茶竹(さたけまさたけ)

1話「それはまるで悪夢のような」


 私は夢を見ない、見ることが出来ない。

 人は無意識のうちに夢を見る。睡眠中の脳が覚醒状態と同程度で活動することにより、本人が意図せずとも記憶の再現と再配置を行う。

 それが夢だ。

 無意識に生じるものであるが故に、再現される記憶は時に崩壊し、混濁し、無秩序な再編と再生を引き起こす。その結果、時として人の理解を超える光景すらも生み出す。

 その現象が私の脳では起こらない。

 後頭部に埋め込んだ「電子神経」と呼ばれる電子機器が私から無意識を奪ったからだ。

 脳の神経細胞と接続し、装着者の脳波を拾い上げ、思考や意識を電気信号へと変換する。人の意識をデジタルな存在として解釈する、所謂ブレイン・マシン・インターフェースの一種。人は思考と意識の方向性だけでデジタルな概念に触れることが可能になった。

 私は他の誰よりも早く電子神経を脳に埋め込んだ。

 その代償として無意識というものを消失してしまった。

 そんな話の途中で目の前の少女は首を傾げる。十歳にも満たない少女に理解させるには難解すぎる内容だった。

 私は平易な言葉を選び直す。

「私は眠っている時も夢を見ない」

「じゃあ夢を見るのが、おねえさんの夢?」

 舌っ足らずで甲高い少女の声。

 睡眠中に見る記憶の再現である夢、将来に対する希望を意味する夢。夢という単語が持つ二つの意味をかけた言葉遊び。

 自分自身の言葉で可笑しくなってしまったのか、少女は笑い出す。

 私は思案した。

 それが私の望みなのだろうか、私は夢を見たいのだろうか。

 ひとしきり笑って息を切らしたまま、少女は言う。

「あたしが応援してあげる」

 少女の言葉と共に、私の視界は白く染まる。まるで霧に包まれたかのように。いや、霧という現象をこの時の私は知らない筈だ。記憶に矛盾が生じている。

 では、この光景は何であるのか。意識が遠くなり、思考がまとまらない。

 ようやく私は気付く。

 これは夢であると。


『夢巡』

作者:茶竹抹茶竹


 まるで一本の柱のように、巨大な竜巻が空と地面を繋げていた。砂塵と瓦礫を巻き上げて灰色に染まった渦中、目を凝らせば人の姿が舞っているのも見える。地鳴りのような風の音に混じって悲鳴も聞こえた。

 電子ネットワークが発展し、ありとあらゆるものがネットと結ばれても尚、物質的な社会基盤が強固に根付く西暦二〇五〇年。

 未だ日本有数の都市であり続ける東京都新宿区、再開発地帯に立ち並ぶ高層ビル群の中心で、その巨大竜巻は突如として発生した。

 高層ビルの隙間を吹き抜けた暴風が路上の乗用車を浮かし、竜巻の中心部へと連れ去っていく。ビルの外壁と衝突したことで宙に飛び散った幾つもの瓦礫と破片。壁面で踊るデジタルサイネージの映像が大きく乱れる。街路樹がへし折れて街灯に衝突した。

 逃げ切れなかった人々が呆気なく空へと舞い上げられた。吸い込まれるようにして渦の中へと消えていく。竜巻に巻き込まれずとも、その勢いを肌で感じることが出来る距離。 

 高層ビル群から約五百メートル離れた場所に位置する雑居ビルの屋上に私はいた。

 身を預けた手すりは錆び付いており、暴風に煽られ軋み悲鳴を上げている。再開発による取り壊しを逃れた古い景観だ。

 私は双眼鏡片手に事象を観測していた。デジタル処理を施され高精度に変換された映像によって、その光景はよく見える。

 巨大竜巻が街中を蹂躙する様子。

 人々はそれを「まるで悪夢のようだ」と称するだろう。

 事実、これは悪夢だ。そういう類の悪夢。人も街も破壊の渦に巻き込まれていく少し奇妙な巨大災害の悪夢。

「古澄(こずみ)ちゃん」

 脳内で響くのは、私の名前を呼ぶ女性の声。砕けた物言いと愛嬌のある声は持ち主の人懐っこい人柄を体現しているかのようであった。しかし、周囲に彼女の姿はない。私の脳内だけで聞こえるデジタルなデータ、電子神経を利用した音声通信によるものだ。

 後頭部に小指大のサイズでフィルム状の電子機器を埋め込み、脳波とデジタルな電気信号を相互変換する技術「電子神経」が普及したことにより、人は意識のみでネットに触れることが可能となった。

 姿の見えない相手の声が脳内で響くのは、ネット経由で送信された音声データを、脳が解釈可能な形式へと電子神経が変換した結果だ。

 声が続けて聞こえる。

「目標見っけたよ」

「どこですか、麻木あさぎ」

 声に出さず、私はその言葉を脳内で組み上げる。電子神経に音声データへと変換させ、麻木へ向けて送り出す。

 この状況を遠隔で観測している麻木は、私の問いかけに対して座標情報を送り返してきた。目標の推測位置は、今まさに巨大竜巻が存在している場所だ。

 麻木は苦々しい口ぶりで言う。

「目標は竜巻と一緒に移動を続けてる。だから多分、竜巻の中心だよ。とっくに木っ端微塵になってるかも」

「であれば、事象に変化があって然るべきです」

「じゃあ何? あの竜巻の中を飛んでるとか?」

「少なくとも死亡も気絶もしていません。竜巻の中で無事でいる何かの理由がある筈です」

 会話の最中、竜巻の挙動に変化があった。

 ビルの間を進んでいた竜巻が交差点で進行方向を直角に変える。自然現象から外れた奇妙で不自然な動き。竜巻がまるで、何らかの意図をもっているかのように見えた。

 竜巻の進路とその周囲を確認する。そう動いた理由が存在する筈だ。

「古澄ちゃん、何か見つけた?」

 二人組の男女が逃げ惑っているのを見つけた。暴風に巻き込まれる間際の距離を辛うじて保っている。その二人が逃げる為に次の交差点の角を曲がると、竜巻もそれを追うようにして進路を変えた。

 竜巻の異常な動きはやはり偶然ではない、そこには何らかの意図が存在している。

 竜巻はあの二人を追いかけている。私はそう判断する。

 私はビル屋上の手すりを乗り越えた。数歩進めば足を踏み外す、何も阻むもののない空中にせり出したコンクリートの縁。私のいる雑居ビルの周辺は無数のビルが隣接して立ち並んでいる。再開発以前の旧式のビルばかりだ。今主流の全面サイネージの様相と比較すると薄汚れているように見える。

 私はこの一帯を抜けて竜巻へ到達しなくてはならない。最短で、最速で。

 自身の長い髪を手早く後ろで束ね、学生服の灰色のスカートを腰で折り返し、真新しいスニーカーの靴紐を固く縛る。背負ったリュックの肩紐を短く調整し、踵を浮かせて身体を前へと傾ける。スプリングを仕込んだ靴底が地面を今すぐにでも蹴りだそうとする。

 これは儀式だ。

 速く走る私を確固たる形で想像する為の。

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