21話「奥底に沈めて」
葉久慈氏は少女の明晰夢を既知であったからこそ私に依頼をしたのではないのかと。
「分かりました」
「こちらでも策を考えるべきだが、今は忙しくてな」
「いえ。審議中継、拝見してます」
「見ての通りだ。電子神経を叩くネタを探している人間はごまんといる。建設的な議論も解決策の提示も彼らは求めていない。電子神経を認めない、という結論ありきで彼等は喋る。何も掴ませないのが一番だ」
「心情お察しします」
「なんなら君が私の代わりに訴えてみたらいい。電子神経と一緒に殺す気か、とでもな。涙ながらに語れば丸く収まるかもしれん」
「まさか」
「それで心動くのが人間という生き物だ。私の知る限りはな」
葉久慈氏の声は苛立ったものであったが、傍から見る限り、それを微塵も感じさせない。内心を制御して上手く振る舞っている。流石大企業のトップと嘆賞すべきだろう。
その映像を見ながら私はふと疑問を抱く。
以前、葉久慈氏は私の電子神経の通信記録を取得し、個人情報の逆引きを行っていたが、あの少女に対しては行わないらしい。
無論、違法行為を支持するわけではないが、少女や夢の世界に対する執着から考えると拍子抜けする。確証のない中で強引な手を取ったことを考えると少女に対しては消極的な姿勢であるように思える。
何か別の事情があるのだろうか。他にも音津氏のことが気になった。
「音津氏は無事でしたか。昨晩の悪夢は熾烈なものでした。彼にかかった精神的な負荷は相当な筈です」
あの強烈な悪夢を見ていたのならその負荷は相当なものになっている筈だ。少女が巻き起こした洪水にも巻き込まれた。
そして、音津氏の悪夢に何か外部的な要因が存在している可能性もある。誰かによって意図的に悪夢を引き起こされた可能性だ。彼から何か有意義な証言が手に入るかもしれない、私は話を聞きたいと申し出る。
「音津は今日付けで別の関連企業に異動になった」
しかし、返ってきたのは冷たく言い放った言葉だった。
昨日の今日で、という疑問が浮かぶ。
「何故です」
「彼は私を危険に晒す悪夢を見た。更にはその殺意を私に向けた。無視することは出来ない」
「どんな悪夢を見るかなど、その人に制御することなど出来ません」
「だが私に対する明確な殺意と攻撃の意志があった」
「それはそうですが」
「夢が無意識の顕現であるのなら、私に対する攻撃の意図は何らかの悪意の表出に他ならない。それを表に出さずともその深層に抱えている悪意や敵意は判断や思考を必ず鈍らせる、無意識のうちに。危険な要因は排除する必要がある」
夢の中では無意識が表出する。隠した本心や感情が形になる。嘘や取り繕うことなど出来ない。
音津氏の殺意や敵意が悪夢という形で顕現したのなら、それは彼が深層に持っていたものには違いない。他者によって影響を受けようとも、悪夢に陥れられたとしても、夢の原因はあくまでその本人にしかない。
だが、そうだとしても。
「態度や行動ばかりか、その本心まで真の忠誠を求めるのですか。それを見抜く方法などないのに」
「夢の中では可能だ。あれは人の本心や無意識に直接触れることが可能な世界だろう」
国会審議の最中、葉久慈氏が犯罪抑止に関する持論を語りだすと場内での怒声がそれを阻む。騒然となった現場との中継が途絶え、私との通信も途絶えた。国会の仮想空間からも弾き出される。脳内を占めていた視覚情報が現実世界のそれに領域を明け渡す。
私は葉久慈氏の言葉を反芻する。
人はその言葉に、態度に、思考に、無意識が混ざる。人は絶えず無意識に縛られ、思考や感情の全てに無意識が絡みつく。
人はそれを否定できない。無意識を制御することなど出来ないからだ。本人も気が付かないうちに無意識に蝕まれる。
音津氏のその深層意識を葉久慈氏は危険視し嫌った。夢でそれが見抜けるのならば、排除することが出来る。表層で取り繕ったものよりも根底にある無意識を重視したのだ。
その無意識が如何様な形で悪影響を及ぼすか不明であるから、と。
葉久慈氏は人の無意識にまでもその忠誠心を望もうとしている。
「古澄ちゃん、どうしたの」
気が付けば麻木が起きていた。ベッドの上で櫛で前髪を整えていた。
私は葉久慈氏と交わした会話の音声を麻木と共有する。
「私には分かりません。音津氏が葉久慈氏をそれほどまでに憎んでいたのか、その気配を表層に微塵も出さなかったのか」
「他の人が判断できるようなことじゃないよ。むしろ本人にだって分からないことかもしれない」
麻木が顔をしかめる。
「音津さんの無意識は本当に無意識だったのかも。自分でも知らない、気が付いていないような心の奥底にある不満や嫌悪が、本人も意図しないうちに悪夢に変わってしまったのかもしれない」
「本当の無意識?」
「無意識と知覚出来る領域は本当は無意識じゃないのかもしれない。より深層にある思考や感覚が夢によって引きずりだされたのかもしれない」
麻木の言葉に対し私は口を閉ざす。
人には自分でも気が付かない深層に存在する思考や感覚が存在するものなのか、と。無意識の存在しない私にとって、それが普通の感覚なのかどうか分からない。
「葉久慈さんは内面までの清廉と潔癖を求めるかもしれないけど」
「けど?」
「綺麗なものしか持ってない人間なんていないと思うんだよね」
国会の中継が再開した。映像配信が始まり私と麻木は電子神経を介してそれを観る。幾つか空席が増えた国会審議の様子に意識を傾けながら麻木は言う。
「自分の潔白を証明する為に、みんな電子神経に反対しなかったんじゃないかなってたまに思う。異を唱えたら、まるで後ろめたいものがあることを自白してるみたいだから」
電子神経によって人は自らの思考や意識をデジタルな物へと変換することが出来るようになった。絶えずネットと接続することで緩やかな共同体に呑み込まれた。
その結果、他者の感情や内面にまで触れることの出来る、いや触れさせなければならない社会の一歩手前にまで来ているのかもしれない。その結果、犯罪は減るだろうか。人間関係の在り様は変容するだろうか。
再開した国会では犯罪抑止の一例として、先日起きた殺傷事件の話が挙げられていた。被害者と容疑者は共に電子神経を利用していた為、両者が近接したことによって残された記録によって容疑者の速やかな特定に至った。容疑者は現在指名手配中だ。
功績として挙げられたその件にも反論が起こる。尤も事件の発生自体を止められたわけではなく、犯人逮捕も未だだ。そういった意味では犯罪抑止の効果には疑念が残る、と。
麻木が髪を整え終えてベッドから降りた。国会中継を観るのを止めて、不機嫌そうな表情で言う。
「心の奥底に隠したものが明らかになる世界。あの子はそんな世界を創って、悪夢でみんなの内面を暴いて、それでどうしたいんだろう」
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