34話「誰もが」
葉久慈氏が目を見開く。
「何が」
少女は脳だけになった姿などではなく、夢の世界と変わらない姿でそこに立っていた。現実世界にあの少女は存在しない、そう思っていた葉久慈氏を裏切るようにしてその姿を現す。動揺した表情を浮かべている彼女に対し少女は口を開く。
「あなたが踏み込んできた時、罠を張ったの。あれは世界の底じゃない。夢の世界はもっと複雑な多重構造なんだ」
少女の言葉の意味に気が付いたのか葉久慈氏が眉をひそめる。普段の彼女よりも表情豊かなその姿を、私は冷静に観察していた。警戒心が薄れていた結果、その無意識は無自覚に表出している。
なぜなら今、私達がいるのは現実世界ではないからだ。
「いつもの夢の世界、その下の階層に擬似的な現実世界を構築したの。あなたを誘い込む為に」
少女はそう語る。私達がいるのは、現実世界を模して精密に再現した仮想世界だ。つまり未だ夢の中にいるのだ。上の階層よりも現実性を高めた光景に、今が夢でないと錯覚したのも無理はない。
あの真っ白な空間で私達は邂逅した。夢の世界の裏側、テクスチャもオブジェクトも存在しない管理者領域。少女をその場所まで追い詰め座標情報を奪う為の謀略によって理想通りの状況に追い込まれた。
その結果、管理者領域は崩壊し私達は夢から弾き出されて目を醒ました。
ならば、そこで目にした光景は現実であると誰もが思うだろう。そもそも疑いすら持たぬほどに精巧な世界でもあった。非現実的な光景が事象として発現することなどない世界。
だが、それこそが少女の仕掛けた罠であり、私達は更に下の階層の仮想世界に誘導されていた。
私も初めは気付けないほどに、あまりにも精密で巧妙に偽装されていた世界であった。鎮静剤で眠り続けていた葉久慈氏ならば尚のこと気が付くことが出来なかっただろう。
この世界と現実世界とでは時間の相違があるのだ。
そして夢の世界の階層を変遷する僅かな瞬間に、麻木から送信されてきた解析情報を私は手にしていた。
この世界が仮想世界であると、いち早く気が付いた私は一芝居を打った。
葉久慈氏は明晰夢の技術によって無意識を制御し、夢の世界で思考をひた隠していた。無意識が表出しやすい環境下でその真意と目的を伏せ続けるだけの技量があった。
だが、今が現実世界であると油断していたならば。無意識は制御しきれない。頭の中の思考が漏れ出し私の電子神経に伝わっていた程に。
本人も気付かぬ内に、その思考や真意の多くを意図せず語ってしまってもいた。
「あなたは気が付けなかったようですが、今はまだ夢の中です」
でなければ、麻木が私の前から勝手に姿を消す筈がない。
少女は強い憤りを滲ませながら言う。
「夢の世界には触らせない」
事態を呑み込み、そして動揺を捨て去って葉久慈氏が言う。
「肩入れする理由が何処にある? 私と何の違いがある」
葉久慈氏の言葉に少女は語調を強める。彼女の纏う雰囲気は今までと違い大人びたものだった。
「違わないよ、みんな同じ。でも、だからだよ」
「お前は違うというのか!」
葉久慈氏が吠えた。激昂と共に少女に拳銃を向け、躊躇いなく引き金を引いた。狭い部屋に派手な音が響き渡る。銃口から飛び出した一閃が少女の身体を一瞬で貫いた。その弾丸は現実の様相と異なり、赤黒い靄を引き連れていた。
以前、撃たれた事象すら否定してみせた少女は呆気なく地面に崩れ落ちる。現実を模した世界にも関わらず、葉久磁氏が引き起こした事象は現実の軛を超えようとしている。
彼女が謳った思想と行動を重ねてみれば危うげな影がちらつく。
私は吼える。
「これが夢でなくとも! あなたは引き金を引きましたか!」
「ここがまだ夢の世界ならば、また同じことをするだけだ。現実世界での座標情報を確保して夢の世界を手に入れる」
「あなたに夢の世界の技術は渡せない」
「一体何の権利がある」
「あなたと同じです。私達は何も持ってなどいないから」
葉久慈氏は少女に対して物理的接触を介して座標情報を奪った。恐らく他のデータの奪取も可能だ。更に懸念すべきは、今この世界で悪夢を引き起こすことの影響だ。
床に倒れたままの少女を庇うように私が前に出ると葉久慈が拳銃を構えて引き金を引く。
今は夢の世界であるが故に私の身体は自由に動く。加速させた視覚神経が銃口の向きを捉え算出した軌道を避けるようにして身を屈める。
その銃弾は周囲の視覚情報を歪め、弾丸の持つ以上の破壊力を有していた。躱した銃弾が私の背後の電子機器をまとめて吹き飛ばす。着弾点で小規模な爆発まで生じた。拳銃の弾丸が本来持つ威力をはるかに超越している。
夢の世界とこの世界には大きな相違がある。現実の物理法則を無視した悪夢じみた光景をこの世界は事象化しない。だが、その世界の法則を捻じ曲げて、私の目の前で悪夢が生じている。
脳裏に少女の声が弱々しく響く。
「この世界での悪夢は、歪みを生んで世界を崩壊させてしまう」
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