2話「それは誰かの」
私の思惑を察してか、麻木が声を張り上げる。
「古澄ちゃん、無茶だ」
「あの二人を救助します」
「目標を見つけるのが先でしょ、ちょっと古澄ちゃん!」
麻木の制止を、私は振り切った。
短い助走をつけて勢いよく足場を蹴る。ビルの屋上から飛び出す。隣接したビルへ向けて約五メートルの距離を飛び移る。何も触れていない足元には遠く街並みが見えた。大きく跳んだ身体が勢いを失って徐々に重力に引かれていくのを感じる。
隣のビルの屋上に勢いよく着地した。地面を転がり着地の衝撃を殺す。軽度の痛みが全身に走るが、私は素早く体勢を整えて再び駆け出す。
現在地から竜巻までの最短距離、地図情報には存在しない経路を、身体能力を活かして強引に進む。
取り壊しを免れた古い雑居ビルが密集する一帯を飛び移っていく。張り巡らされた柵を潜り、大きく口を開けた排気孔を躱し、整列した空調と電気設備をよじ登り、僅かな足場を踏み台に高い壁を乗り越える。壁に張り出した配管を伝ってビルの壁を一気に滑り降りた。
空中へと自分の身体を放り上げる筋肉の軋み、足から頭までを一気に突き抜ける着地の衝撃、肺はより多くの酸素を求め血液が沸き立つ。
これが現実であると錯覚する感触。
それでも、これは夢だ。
非常に精密で精巧な夢。目に映る全ての景色は夢の光景に過ぎない。ビルの硝子窓に映りこんだ私自身の姿さえも。低い背丈のせいで二十歳には見えない外見も現実そのもの、夢の中で精密に描き出された記憶の再現だ。
何もかもが現実じみた光景の中、異様な存在である巨大竜巻だけが、今は夢であると喧伝しているかのようであった。
ビルとビルの間を飛び移り、巨大な竜巻を観測し追跡し、逃げ惑う二人の救助を試みる。それが、私が今見ている夢だ。
私の夢は他者のそれとは違う。
夢であれば本来起こる筈の、曖昧で無秩序な記憶の再現が私の夢では起こり得ない。
睡眠中であっても私は意識を手放すことがないが故に、私の夢は思い通りの光景となる。
故に、今が夢の中であるからこそ、私の身体は理想的に動いた。筋肉の動きの細部に至るまで、正確に、精密に、意識し、想像し、アスリートじみた体術を可能とする。想像した通りの光景となる。
麻木から送られてきた解析情報が脳内で思い浮かぶ。目標は未だ竜巻と共に移動を続けていた。
この夢の中で竜巻を生み出している悪夢の原因。私はそれを発見し夢から排除しなくてはならない。正確な位置は未だ観測できていないが竜巻と共に移動を続けているのであれば、その中心に存在しているのが道理だ。
私はついに竜巻の勢力圏に追いついた。ビルの壁面を滑り降りる。竜巻に追われているように見えた二人組の前に飛び降りた。突然現れた私の姿に二人は驚き、困惑し、片方は盛大に転ぶ。
地面に転んだのは中学生くらいの学生服姿の少年、刈り上げた短い髪が印象的だ。慌てて起き上がろうとしているが、上手く身体を動かせないようで不格好にもがいている。夢の中特有の現象だ。
もう片方は女性、外見からして三十代後半。短く切り揃えた髪型と眉を強調した化粧からは気の強そうな印象を受ける。走るのに不向きな踵の高いパンプスと黒のスーツ姿であった。
私は迫りつつある巨大竜巻の位置を確認する。二人を連れて竜巻から逃れる為の算段を付けていると、麻木から通信が入った。
「古澄ちゃん、竜巻の動きが止まった」
竜巻が突如、その場で移動を停止した。未だ暴風の勢いは衰える様子はないが、その場に不自然に留まり続けている。まるで私達が動き出すのを待っているかのようであった。その奇妙な現象を見て麻木が困惑した声を漏らす。
「なんだろ、なんか変だ」
これは現実ではない。夢だ。
自然現象に見える竜巻も夢の景色の一部だからこそ、その挙動には何らかの意図が内包されている。
竜巻は何かを追跡しているような挙動であり、状況から推測するに目的はこの二人なのは間違いない。目的が追跡であるならば、この二人が足を止めた今こそが好機である筈だ。
何故、竜巻は追跡をやめて停止したのか。
思考を切り替える、一つの結論を導き出す。
違う、既に追いついたのだ。
私の言葉に麻木が問う。
「何処にいるの? 竜巻の中心じゃなくて?」
「これは竜巻を生む悪夢ではありません、竜巻から逃れるという悪夢です」
躓いたままの少年の方を私は見た。気が付けば彼の容態は急変している。目の焦点は定まらず、血の気の引いた様子で呼吸も荒い。身体は強張り、震えた唇からは言葉になっていない呻き声が漏れる。彼が異様な状態にあるのが見て取れた。
彼の頭に私は手を置き、顔をこちらへと向けさせる。放心状態であるように、彼は私にされるがままであった。
私は背負っていたリュックの中へと手を突っ込み、目当ての物を掴み引き抜く。樹脂素材でパウチされた携帯用の飲料水、その封を破って彼の頭目掛けて中身の水を思い切りぶちまけた。
突然の出来事に彼は悲鳴を上げた。その身体が激しく跳ねる。状況を呑み込めていない狼狽した様子で、動揺と怯えをその表情に浮かべていた。
それから少年の身体は徐々に半透明に透け始め、それに呼応するかのように竜巻の勢いも収まりつつある。集束していた暴風は解けるように流されていき、巻き込まれていた瓦礫は落下して派手な音と共に砕け散る。竜巻に破壊された街の残骸を私は眺めていた。
竜巻の悪夢が終息したのだ。
不可解な出来事の連続に、残されたもう片方の女性が私の顔を食い入るような目で見つめていた。
私は彼女が理解できるように言葉を選ぶ。
「あなたは夢を見ています」
人は夢を見る。
脳、特に大脳皮質や辺縁系は睡眠中であっても覚醒時と同程度で活動を行うことがある。無意識の記憶の再現と整理。無秩序に撹拌された記憶によって生まれる光景が「夢」と呼ばれるものの正体だ。
その夢に電子神経が反応する。思考や意識をデジタルな物へと変換し、ネットに接続する電子神経は、人の夢もまた同様に掬い上げてネットへ送信してしまう。
人の夢はネットで相互接続する存在へ姿を変えた。
私達が今見ているのは夢の景色だ。より正確に述べるならば、脳内で生じた夢の映像を、電子神経がデータへと変換した結果を、ネット上で相互干渉した状態で観測している。
この空間は複数の夢が混ざり合った結果であり、私たちはそれを自身の夢として観測している。
私はそう説明し、既に消滅した竜巻の方を指差す。
「これはあなたの夢でもあり、私の夢でもあり、少年の夢でもあったのです」
あの巨大な竜巻は少年が見ていた悪夢をきっかけとして発生した事象だ。竜巻から逃れ続けるという悪夢であったからこそ、不自然な挙動で竜巻は少年を追跡し、少年が足を止めれば竜巻もその場で停止した。
「あの少年を夢から目を醒まさせました。彼が見ていた悪夢は途絶え、それにより生じていた事象も消滅します」
既に少年の姿はどこにもなかった。何の痕跡もなく消えている。
私の説明を聞いていた女性は考え込むような素振りを見せた。
事の仔細を説明したが彼女が正しく認識できるとは限らない。
彼女は睡眠中だ、夢の中での思考は正常に働かない。
夢がどんなに奇天烈な光景であっても、睡眠中の人間にとっては身に迫る現実のように感じられる。夢の光景を夢であると認識出来ない。あの巨大竜巻が、そしてこの世界全てが、ただの夢でしかないと言ってみても、彼女が理解できるとは限らない。
ましてや私の行った複雑な説明を、夢の中の曖昧な思考と無意識下で理解するのは難しいだろう。
暫しの間考え込んでいる彼女の俯いた横顔に私は見覚えがあった。詳しく確認する前に彼女の姿は半透明に変わっていく。先ほどの少年と同じだ。現実世界の彼女が覚醒状態に近づきつつある。それに伴って夢への接続が弱まっているのだ。
彼女は私に問う。
「何故そんなことをしている? 悪夢を阻止する理由はなんだ?」
「私の使命は悪夢を止めることですから」
私の言葉が聞こえているのかどうか判別することが出来ないほど、彼女の姿は薄れて見えなくなる。その消えかかっている手で彼女は咄嗟に私の手を掴んだ。
「君に頼みたいことがある」
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