6話「夢の本質と筋書きと」

 人の夢がネットを介して繋がろうとも、それぞれの悪夢が他者の夢見を悪くしようとも、それは所詮夢の出来事でしかない。

 夢の中で怪我をしようが、命を落とそうが、それは後味の悪い夢にしかならない。夢の持ち主が肉体的な損傷を負うことはない。

 精神的な苦痛を被ることにはなるので、私としては阻止したいことではあるが、しかし現実世界のそれとは比較にならないだろう。

 故に、悪夢による攻撃という概念に対し私は疑念を抱く。新しいサイバー攻撃の形であると白磁氏は疑っているようだが早計なように思える。

 無論、電子神経がネットに接続された情報端末である以上、サイバー攻撃の懸念は絶えず存在している。電子神経内のセキュリティは優秀であり、今まで致命的な被害が報告されたことはないが、その対策を担っているのもベトガーだ。私が知らない事実を把握している可能性はある。そう考え、私は葉久慈氏に問いかけた。

 夢の世界でどの様な悪夢を見ようとも人体に被害が及ぶとは考えづらいのでは、と。

 葉久慈氏は私の問いに関して大筋では肯定した。現状、電子神経のセキュリティに関して致命的な脆弱性は報告されておらず、脳に負荷をかけるような通信や挙動を夢を介して行うことは不可能であろうと。

 しかし、夢の世界は未知の領域であるとも述べ、彼女は警戒心を解くことはなかった。

 疑問は尽きないが私は依頼を請けた。

 著名な人物からの個人的な依頼。懐疑心を上回る魅力をその依頼に感じた。桁違いの報酬金も決断を後押しした。何より電子神経に対して、私は強い思い入れがある。

「気持ちは分かるけどさ」

 私の説明を聞いていた麻木が言葉を濁す。音声通信のみで彼女の顔は見えないが、その声色だけでひどく渋い表情を作っているのは容易く想像できる。麻木は言葉や態度を取り繕うことは少ない。本音で話すし隠し事もしない。

「ベトガー最高経営責任者の個人的な依頼。どう考えてもおかしい気がするんだけど」

「夢の世界で自在に振舞うことが出来る人間が、やはり私以外にいないということでは」

 声に出さず、念じるようにして私は麻木に応えた。麻木は渋い声のままだ。

 新宿駅前の広場。無数の通行人が行き交う様子を私は眺めていた。

 私は今、夢を見ている。

 誰かがネット上に構築した仮想世界の様子の夢を。そして、この仮想世界に利用されている没入型の体感技術、通称「フルダイブ」によって、それはあたかも自らの身体が電子化されてネットに潜ったような、その仮想世界上に本当に存在しているかのような、強烈な没入感を生み出す。

 故に、私は自らの「目」で夢の世界を眺めていた。

 目の前を通り過ぎていく人々も同じだ。この世界を夢であるとは思わず、現実世界であると思い込んでいる。睡眠中の曖昧な無意識では些細な違和感に対して気が付くことが出来ないからだ。私以外は。

「古澄ちゃんと同じ特異性を持っている人はいないとは思う。だから夢の中で襲撃を仕掛けるっていうのも無理な話だと思うよ」

 麻木は言った。

 電子神経によってネットに接続されようと、仮想世界において互いの夢が反映され干渉し合おうと、夢の本質は変わらない。本人の意志や意図が及ぶものではないままだ。

 それを証明するかのように、目の前の景色は絶えず矛盾を孕んでいる。

 人混みに視線をやれば街中にも関わらずパジャマ姿の女性が歩いている。傍らの通行人の首から先はキリンの頭を模した被り物をしていた、長すぎる首に苦心して足元がふらついている。地面を這って進む少年の後ろを虹色に染められた大量の鶏卵が転がって付いていく。

 現実世界と遜色ない光景の中で非現実的な事象が発生していた。

 夢とは無意識に行われる記憶の整理と再現であるが故に、その光景は時に非現実的で無秩序なものになり得る。

 だが、人の脳はその光景に対して違和感を覚えることもある。

 不可思議な光景に対して脳が修正を働きかけるのだ。矛盾しているようだが人は己の夢と無意識を制御など出来ない。

 現実には起こりえない景色に対する違和感と正常に働かない思考の中、人の脳はその景色を非現実的で奇妙でありながらも、現実に起こりえる範疇に修正しようとする。不可思議と現実性の境界で踏みとどまらせようとする。

 夢の世界が現実性を保つことが出来るのは、それ故だ。

 だが、その現実の軛とでも言うべき境界線を踏み越えてしまった時、あまりにも非現実的で恐怖すら覚えるような光景が生み出される。

 それが悪夢だ。

 誰もが悪夢を見る可能性はある。悪夢も夢と同じく意図的なものではない。暴走した夢が結果的に悪夢へと変容するのであり、意図的に発生させられるものではない。

 非論理的で奇異で脈絡のない不可思議な内容へと、夢の様相は悪化する。その持ち主を苦しめる。

 夢の世界においても、悪夢の光景はそのまま事象として顕現する。悪夢によって生じた異様な光景を、人々は自身の夢の光景として観測する。他者の悪夢が自身の夢を侵食するのだ。

 だが、それも全て彼らは夢を見ているだけだ。そこには意志も悪意もない。

 もし、葉久慈氏が本当に悪夢によって攻撃されているのであれば、その前提を覆すことが可能な人間がいるということになる。意図的に葉久慈氏の側で悪夢を発生させることが出来る人間だ。

「古澄ちゃんと同じことが出来るか、それ以上のことが出来る人がいるってことだよ」

 人は意図した夢を見ることは出来ない、私と同じ特異性を持っていない限りは。

 私は意図した夢を見ることが出来る。夢の中で夢の性質や無意識に左右されず自在に振舞うことが出来る。

 夢の中で想像した通りに身体を動かす、物理法則と現実性を遵守する、睡眠中でも確固たる自意識を有する、思考と想像を駆使し望んだ夢を見る。

 それを可能とするのが私の特異性だ。

 故に、私は乱れぬ足取りで葉久慈氏との待ち合わせ場所へと向かった。

 新宿駅前に立ち並ぶ高層ビル群の一画に西欧風の木組みの建物が忽然と現れる。オープンテラスを備えた喫茶店だ。現実世界にも存在することから、この仮想世界においても非常に精密に再現されている。

 完全栄養食が一般化した現代社会において、栄養価値を持たぬ飲食物の全ては嗜好品扱いになりつつあり、この喫茶店も一部の物好きが通う場所だ。

 漆塗りの木製家具を基調とした古めかしい意匠で統一された店内は、一定の高齢層への好感触を狙ったものであるらしい。かつては一般的な装飾であったらしいが私達の世代には馴染みがない、逆に新鮮で目新しく映る。

 一番奥の席、葉久慈氏の姿が見えた。

 嗜好の為の穏やかな場には似合わぬ張り詰めた空気を纏っているように思える。同じテーブルの向かいに座ると私の姿を見て葉久慈氏は眉を持ち上げた。

「そういえば何故、学生の格好を?」

 学生服姿の私を見て葉久慈氏は疑問を口にした。昨晩の夢の中で会った時と同じ制服姿であるが、私が二十歳であることを今は知っている。その問いは当然の疑問ではあるが、夢の中で冷静な思考を保てている事自体が稀有だ。

 私は制服の襟元を指で撫でつけながら答えた。

「私の服装は大した問題ではありません。無事ここで合流出来たことが重要です」

「喫茶店の一番奥の席、白で統一された中に一つだけある赤色の椅子。その座面の裏側に手を触れるとステッカーが貼り付けてある。それは簡単に剥がれ、ウサギをモチーフにしたキャラクターが描かれている」

 そう言いながら葉久慈氏は椅子の裏からステッカーを剥がしてみせた。ウサギの笑顔がそこにあった。

「君の指示した通りの夢だ」

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