26話「夢見る少女」

 悪夢に呑み込まれた音津氏も似たような状態になっていた。死の概念を認識せず目が醒めなかった。

 だが、少女は今までの悪夢の持ち主達とは大きく違う。理性や正気を喪失した暴走状態にあるわけでもなく、事象を正常に認識出来ないような心神耗弱状態であるようにも見えない。

 夢の中の曖昧な意識によって事象を認識できていないのではない。撃たれたという概念を理解して尚、少女は無傷であるのだ。他者の夢によって引き起こされた事象そのものを否定出来るならば少女の明晰夢は私以上のものだ。

 もし少女が本当に夢の世界の管理者ならば、夢の中の認識すら制御出来る可能性はある。

 私は刀を握る手を緩めることなく慎重に口を開く。

「君は一体……」

「古澄ちゃん!」

 通信が割り込む。麻木の緊迫した声が響く。

「ここで仕掛けるしかない、あたしが援護するから」

「ですが……」

「その子を見逃すわけには……っぁ!?」

 突然、麻木の悲鳴と苦痛に満ちた呻き声が続けて聞こえた。

 声色から、もがき苦しんでいる様子が想像できる。私の位置からでは麻木の様子は目視出来ない。何か予期せぬ事態が麻木に起きているらしい、私は慌てて呼びかけるも通信の応答は消えた。

 何か関与しているのかと少女に目を向ける。少女は麻木がいる方角へ顔を向けて不機嫌そうな声を漏らした。

「悪夢が来る」

 聞き返すよりも先に、周囲の地面に亀裂が入った。路面が隆起して砕け散った破片が舞う。それに連なって、何かが地面の下で蠢いているかのような揺れを感じた。増え続ける亀裂は一本の線へと束ねられ、まるで生き物であるかのように私に真っ直ぐに向かってくる。

 亀裂が私の爪先まで迫ってきて、咄嗟に後ろへ跳び退く。地面の下から何かが勢いよく飛び出してきた。

 幾重にも枝分かれした太い枝、もしくは根のようなものが地表を割って出てくる。

 枝の表面は濁りの混じった半透明色であり樹脂素材を思わせる外見をしていた。地中から飛び出した枝は空中で身悶えるようにして大きくしなると、鞭の如く勢いで私へと向かってくる。

 軌道を読んで身を屈めた。狙いを外した枝が近くの街灯を難なく圧し折る。その威力を目の前にして私は唖然とする。

 悪夢だ。

 現実世界の物では説明できない事象が具現化している。

 地面から次々と別の枝が躍り出て地面の上をのたうち回っていた。まるで生きているかのようにそれぞれが独立して動き回った後、標的を見つけたらしい。その先端が一斉に私へと向くと同時に勢いよく飛びかかってくる。

 私は構えた刀を思いきり振り下ろし向かってきた枝を勢いよく叩き切った。衝撃が手の平に伝わってくる。重たい反動に負けぬよう足を踏ん張り刀を構え直す。

 見た目よりもずっと柔らかく刃自体は通った。しかし、断ち切れたそばから枝は再生を始めていく。千切れた断面が膨らんで先端を作り上げる。

 包囲される形となった。この事象を引き起こしている人物を探し私は周囲を警戒する。

「悪夢の発生源を止めなくては」

「なら、あの人だよ」

 私の呟きに少女が指差す。私は困惑した。

「何故……」

 幾つもの枝が身を避けるようにして道を開ける中、姿を現したのは麻木だった。

 その周囲を守り侍るように枝が揃って揺れていた。麻木の服装に変化があった。ブラウスの上に鎧を着ている、鋼色の刺々しい装飾を備えた防具が肩から胴までを守っている。

 先程会った時には存在していなかったものだ。夢に持ち込んだ概念であるとも思えない。

 麻木が内面に抱えている、何かを守ろうという無意識が事象として顕現しているのだ。

 少女を狙撃した時の麻木は明確な意識があったが、今は完全に悪夢を見ている状態にある。

 麻木が動いた。私の存在に気がついたようで力なく手を伸ばしてくる。漏れ出る声は掠れて呂律が回っていない。それに呼応して枝が激しくのたうち回り、その鋭い先端が私を狙って再度動き出す。

 私は寄ってくる枝を叩き切りながら後退する。麻木の移動に合わせて周囲の枝も地面を割り進みながら動き出した。枝を叩き切りながら一定の距離を維持するも、彼女の攻撃の手は休まらない。

 無数の枝は絶えず私へ向かって押し寄せてくる。だが、周囲の逃げ惑う人々を狙う素振りはなく、静観している少女に対しても興味を示さず、その狙いはあくまで私だけのようであった。

 夢には元となっている意志や記憶がある。

 麻木の何かを拒絶するような鎧も、私を執拗に狙う鞭のような一撃も、麻木が抱いている何かに起因している。

 悪夢という形で暴走していても根底にあるのは麻木自身の内面だ。

 葉久慈氏が嫌悪したものと同じ、麻木が向けた私への敵意が形になったものだ。

 私は自嘲混じりに呟く。

「私にそれだけ不満が溜まっているとは思っていませんでした」

 麻木が掠れた声を漏らした。

「離さない」

「は?」

「古澄ちゃんは離さない」

 麻木の言葉に私は拍子抜けした。

「それが隠していた欲望なんですか?」

 私は呆けた。故に、反応が遅れる。

 勢いよく向かってきた枝を避けようとして足がもつれる。勢いよく体勢を崩した。そこへ振り下ろされる枝を見て腕で身を庇おうとする。

 しかし私の目の前で枝は急停止した。そのままゆっくりと私の手首に絡みついてくる。固く、けれど痛みのない拘束。

 この枝はあくまで私を掴まえようとしているだけのようだ。麻木が心神耗弱した様子のまま私に向かってくる。

 絡みつく枝に苦戦する私を見て少女が言う。

「助けてあげる」

 気付けば少女の足元には、地面から湧き出したかのように水たまりが出来ていた。少女の言葉に呼応するかのようにその水面は激しく波打っている。私は急ぎ制止する。

「麻木は違う。私が止めてみせる」

「でも悪夢は全部消さなくちゃ」

「敵意は感じられない、まだ止める手段はある」

 手首に絡みついていた枝を振り解く。麻木を護るように枝は絡み合い、まるで巨大な盾のような形を作り上げ、その周囲を守る壁となっていた。

 向かってきた枝をかいくぐり懐へと踏み込む。立ち塞がる枝を横凪ぎに切り捨てる。

 難なく刃は通り視界が開ける。枝は私を刺すわけでもなく阻むわけでもなく力なく揺れているのみであった。私は手を伸ばし麻木の手首を掴む。

 麻木は半醒半睡の状態のまま、うわごとのような朦朧とした声を絞り出した。

 麻木の空いた手が私の手を掴もうと宙を掻く。

「古澄ちゃん。あたし古澄ちゃんと離れたくない。どっか行っちゃうなんて嫌だ」

 麻木のその声は悲鳴じみていた。その足元は惑い、地面に崩れ落ちる。その手を必死に伸ばし私に縋りついてくる。その目を真っ赤に腫らして泣きじゃくる。

 いつもの麻木からは想像もできない、今まで見たこともない弱気な姿。私は困惑したまま、それでも麻木の手を握りしめ言い聞かせる。

「大丈夫、今は夢です」

 私の言葉に麻木は突如呆けた表情をした。それだけで正気を取り戻したようだった。周りをゆっくりと見渡し、散乱し萎びた枝を見て得心がいったように呟いた。

「そっか、これ夢だ」

「はい」

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