24話「凶刃」

 よく磨かれた硝子窓からは外の景色が見えた。

 キリンの長い首がラウンジの方を覗き込んでいた。円らな瞳と目が合う。

 異様な光景が事象化していた。

 ホテル前の大通り、四車線の端から端までを人々の行列が埋め尽くしている。

 彼らは皆、馬や羊の頭を模した被り物をし、真っ白な衣装に身を包み、気が狂ったかのように踊り歩いている。私達を覗き込んでいたキリンがその列に戻っていくと盛大に歓迎されている。かつがれた山車のようだ。

 キリンの背にまたがった少女が笛を吹き鳴らした。それは幾つもの歓声へと変わっていく。

 足止めを食らった乗用車の上に彼らはよじ登って歌い踊りだした。抱えていた箱を空中に放り投げるとそこから日本人形が飛び出していく。炭酸飲料の瓶が地面に落ちて割れ、水分は巨大な球体に変化して地面を跳ねた。それを踏んだキリンが派手に転んで勢いよく空中へ飛んでいく。泡が弾けて雨となる。缶入りの塗料を空中に噴霧すると描かれた雲の絵が空中に浮かんだ。

 現実性に欠けた光景。だが人々の言動に狂気は感じられない。楽しそうで賑やかな歓声ばかりだ。

 止めないのか、という問いに対し私は首を横に振る。

「これはまだ悪夢になっていません。周囲の人間も悪夢であると感じていない」

 悪夢に変容する気配はない。

 この盛大で奇天烈なパレードの夢を観ている人間も、巻き込まれた人間も、観測している人間も、そのどれもがこれを悪夢とは認識していない。悪夢に変容する気配がない以上、この光景がどれほど異様だとしても、彼らにとっては心地の良い眠りなのだ。

 これは彼らが望んだ世界だ。

 その光景を眺めていた葉久慈氏が、冷ややかな口調で私に問いかける。

「ああやって暴れ回る人間を目の前にして止めないのか。法的にも倫理的にも看過出来るものではない筈だ」

「今は夢の中ですから。現実とは違います」

「あれも彼らの無意識の顕現だ。夢によって肯定された願望は現実に影響を及ぼす」

「無意識だからこそ、それを咎めることなど出来ないと考えられませんか。それにこの夢を止めたとしても、現実で彼等がどのような行動を起こすかはまた別の問題なのではないでしょうか」

「それでも、君には止める力があるだろう。特別な存在の君ならば」

 特別という言葉を彼女は強調して言った。私は戸惑いながらも首を横に振る。

 ラウンジの隅にいる青年の姿が視界の隅に入った。彼は外の喧噪に気が付かぬほど大声で泣きながら、彼の側にいる年老いた老人に縋りついていた。今にも床に崩れ落ちそうな勢いだ。

「睡眠中の夢は己の無意識との対話です。誰かに規定されるようなものではないと私は思います」

 私の言葉に葉久慈氏は窓の外に目を遣ったまま答える。

「悪夢を止める側の言い分とは思えないな」

「私は悪夢しか止めません」

「誰にとっても幸福な夢など存在しない。彼らが悪夢と見做さずとも、あれを悪夢と見做す人間は必ずいる」

「それは……、人の感受性に絶対はありませんから」

「では、この光景によって誰かの夢が悪夢へと変容したならばどうする?」

「悪夢そのものを私は止めます」

「それでは正しい世界は訪れない」

 葉久慈氏の言葉の意味を問い返す前に私は息を呑む。突如、硝子一面が赤く染まった。赤い飛沫が景色を染める。

 外から悲鳴が聞こえる。歓喜ではなく恐怖の声色。パレードの行列は次々と地面に崩れ落ちていく。その身体から血が噴水のごとく噴き上がる。炭酸でべたつく雨は血糊へと変わる。

 ほんの一瞬の内に、数多くの死体が転がっていた。

 その中心で踊るかのように何者かが跳ね回っている。それが他者と擦れ違う度に血飛沫が上がる。赤黒く染まる景色の隙間に鈍色の煌めきが見えた。恐らく刃物の類を持っている、それで周囲を撫で切りにしていっているのだ。

 その光景を目にして私は表へと飛び出す。この行動を看過すれば悪夢へと変容する可能性が高い。

 いや、既にこれは悪夢でしかない。

 むせ返るような血の臭いと幾つもの死体が転がるその中心で、惨劇の犯人は私を待ち受けていた。

 女だ。丈の長い煌びやかで艶のあるドレスを着ているが、その衣装は乱れ夥しいほどの返り血で全身を赤黒く染めている。傍らの死体の山の天辺に刀らしき物体が刺さっている、恐らく先程見えた凶器だ。

 私は静かにリュックを下した。女は掠れた声で漏らす。

「幸せ……幸せ……?」

「何を言っているんですか」

 突然、女が動いた。私は咄嗟に、リュックに仕込んであった刀を引き抜く。通常の刀よりも刃渡りが半分程度の長さしかない脇差と呼ばれる刀だ。前回の反省を踏まえ銃器の他に持ち込んだ武器だった。

 電子神経を介し、パッケージされた剣術の動作データを身体に落とし込む。

 彼女が一瞬で距離を詰めて腕を振り下ろしてきていた。人間離れした跳躍力と速度に反応が一瞬遅れる。寸前で刀を構える。金属がぶつかり合う甲高い音が響き渡る。

 しかし、女の手には何も握られていなかった。ただ虚空を切っただけの手。しかし、私の握った刀には確かに重たい衝撃が押し込まれる。

 彼女が一歩私の方へと踏み込んでくる。何も持たぬ彼女と鍔迫り合いになる。

 不可視の刃だ。何も見えないが彼女は何か得物を手にしている。

 刀を返し押し込まれる前に受け流す。その刹那、私の腕に切られたような痛みが走る。彼女が振りぬいたもう片方の手にも見えない得物が握られているようだった。

 見えない切っ先の軌道から予測できない痛みが走る。浅いながらも流血を伴う傷。手で傷口を抑えながら私は一歩後退する。

 流血に伴った皮膚が焼けるような感覚。この痛覚もそうであると解釈できるようなデータによるものだ。事象は否定できない、だが痛覚という無意識は制御出来る。深く息を吐き出して痛覚を制御する。

 対峙した女が手にした得物は未だ見えない。だがその両手は何かを握りしめているのは分かる。存在はしているのだ。

 ある程度の刃渡りを有している刃物の類。恐らく両手に一振りずつの、言わば二刀流。軌道も範囲も読めない攻撃は厄介であった。私は刀を構え直す。すると彼女は確かにその身体を強張らせた。その視線が私の手元に向いている。私の刀を認識し警戒している。

 事態を正確に捉え、その意味を理解し、思考によって次の行動を組み立てている。悪夢によって正気を失ったようには見えない。

 見えない刃物は現実の物理法則を無視している、発生した惨劇も正常な思考では捉えられるとは思えない。彼女が見ているのは悪夢なのは間違いない。

 しかし、彼女の動きには理性の存在が見て取れる。意思疎通の可能性がまだ存在した。

「落ち着いて下さい、これは夢です」

「あなたは幸せ……?」

 私の言葉に彼女は明確に反応してみせた。質問の意図が分からず私は問い返す。

「だとしたら?」

「幸せは壊さないと」

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