23話「人の領域」

 私と麻木は二人でよく夢の世界に潜った。

 睡眠中に夢をデータ化して送信する不審な通信がある事、それがネット上に作られた仮想世界に接続されている事。睡眠中でも意識を手放すことがない私はその事実に気が付いた。

 麻木に教えると強い関心と興味を示した。夢の残滓を仮想世界に集約する、その奇妙な試みの全容を解き明かしてやろうと強く意気込んでいたものだ。

 私は私で夢の世界での全能感に魅入られていた。自分の身体が自由に動くことが初めての経験だった。

 当時は毎晩のように二人で夢の世界に潜った。明晰夢を利用して夢の世界を解明していく作業に没頭した。

 麻木は当初こそ明晰夢の技術を持ってはいなかったが、私が共に潜り教えていく中で、ある程度は夢を制御出来るようになった。麻木に何かを教えるのも初めての経験だった。何においても敵わないと思っていた麻木に、追いつけたような感覚に悪い気はしなかった。

 夢の中から語りかけることで無意識の方向性を左右する方法や、現実世界で強烈な記憶を植え付けることで夢の光景を選択する方法はその時に発見したものだ。

 夢の世界はネット上に構築された仮想世界であり、その空間上には「世界」として用意された物質的なデータやテクスチャは最低限しか存在しない。そしてそれらは世界に接続した人々の想像によって、容易く変容する。普通の仮想世界では有り得ない設定だ。

 その仕組みを理解した私達は夢の世界を堪能した。夢の世界は私にとって理想の場所だった。

 現実よりも自由に動く身体で私は人々が普通に持っている感覚を知った。人々が見ている奇妙な夢の光景で人々が普段見ている夢を理解した。

 夢の世界は私の特異性について気付きを得る場所であり、人々が何を以て普通とするのかを学ぶ場所でもあった。

 そんな中、私達は夢の世界の問題点に気が付いた。人の無意識が勝手に顕現し、その光景に精神的負荷を受けた本人が心神喪失に陥る悪夢の暴走現象。そして他者の悪夢を観測することで精神的負荷を受け悪夢が連鎖反応していく現象。

 それらを幾度となく目撃した私達は、他者の夢に介入することで悪夢を未然に防ぐことが出来るのではないかと思いつき、悪夢を止める為の活動を始めた。

 私の明晰夢と麻木が設計開発した通信監視機能。睡眠中の電子神経の出力結果をミラーリングすることで、セキュリティに抵触せずに干渉する。それによって麻木が睡眠中の私を補助する。

 私と麻木の睡眠時間は必然的に擦れ違うことになった。

 故に、夢の世界で麻木と出会うのは実に一年ぶりのことだ。

 いつもの喫茶店の一番奥、一つだけ置いてある赤い椅子。そこで麻木が私を待っていた。

 眉をひそめ、その表情は固い。硬質性の素材の細長いアタッシュケースが席の背に立てかけられていた。麻木の背丈であっても背負うのに苦労しそうな大きさだった。

 今、麻木は夢を見ている。その巨大な荷物も麻木の見ている夢が事象化した結果だ。私と同じ要領で夢に持ち込んだ物だろう。

 私の明晰夢ほどではないが、麻木もある程度は夢を制御することには慣れている。

 私はその荷物の中身が気になり視線を向けるも麻木は気にせず別の話題を切り出す。

「あまりこっちの手の内はバラしたくない、葉久慈さんには私の存在は黙ってて」

「それは構いませんけど」

「葉久慈さんはあの子が管理者権限を持っている可能性を知っていて意図的に情報を伏せている可能性がある。今回も悪夢が発生してあの少女が現れたら、あたしと古澄ちゃんで連携して少女と接触する。葉久慈さんには何も喋らないで。何も気付いていないことにして」

「それはそうだとして何故ですか? 麻木もあの少女に興味を持ったのですか?」

「夢の世界の全容はまだ誰も分かってない、あたしだって知りたいことくらいあるよ」

 何か隠しているような含みのある言い方だった。

 夢の中では事象を前に無意識が反応する。会話の中で本心や願望が表出しやすい。

 麻木は夢に潜ることに慣れている。無意識の制御もある程度は出来る。それでも上手く嘘を吐くことは難しい。

 また二人で夢に潜るだけの理由が麻木にはある筈で、それを私に隠しているのは間違いない。夢の性質を利用して追求することも可能だが、麻木の本心を暴くようで気が引けた。 

 店員が私達の前に注文の品を置いていく。レモンスカッシュとココアだ。温かいココアを手にした麻木に私は言う。

「そろそろ葉久慈氏が夢に接続してくる時間です。合流します」

「分かった、距離を置いて観測してるよ」

「それとあまり関係ない話ですが」

 夢の中での不用意な質問は麻木の意思を無視して本心を聞き出すことになりかねない、ただこれくらいは良いだろうと私は切り出す。

「何故、いつもと違って珈琲ではないのですか?」

 私の問いに麻木は力なく笑った。

「今が夢の中だって忘れないように」

 事前に打ち合わせていた合流地点であるシティホテルへと向かった。正面玄関に面したラウンジは一面の硝子張りであり、表からでも中で既に待っていた葉久慈氏の様子が見える。正面玄関を通ると逆立ちしたドアマンが私に苦し気な様子で声をかけてくる。手を貸す方法が思いつかず私は無視した。

 葉久慈氏に向かい合って座る。麻木が好みそうな白と黒の意匠のソファだ。ラウンジを利用している客は私達の他には一組だけであり、周囲は静まり返っている。その静寂の中、葉久慈氏は独り言のように問いを口にする。

「この夢の世界は何の為に作られたと思う?」

 その視線の先は私ではなく窓の外へと向いていた。私の答えを待つことなく彼女は続ける。

「人の夢と夢を半ば強制的に接続する、ひいては人の無意識に触れることが可能な技術だ。もっと有意義に使うことが出来る筈ではないのか? この世界をより整然とした形で統治することも可能な筈だ」

「人の夢は誰かが積極的に触れていい領域であるとは思えません」

「こんな悪夢を目の当たりにしても?」

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