17話「燃えながら身を焼くのは」
「忠実な部下だと信じていたが」
葉久慈氏の漏らした言葉には怒りの感情が滲んでいるように聞こえる。
熱源を感知して再び消火液が噴霧される。燃える人型に触れた瞬間、大量の蒸気が噴き上がる。しかし、彼の炎の勢いは収まりそうにない。歩みを進める度に周囲が熱に煽られ消えかかった炎がまた燻ぶりだす。
どれだけ強固な想像を保持しているというのか。
「聞こえていますか、私の声が分かりますか。今、あなたは悪夢を見ています」
音津氏に言葉は通じない。理性を保っている状況には見えない。顔見知りが悪夢に囚われた状況に私は思考を巡らす。
彼は如何様な精神状態にあって、どのような悪夢を見ているというのか。
麻木が周辺状況の解析結果を送信してくる。火災が音津氏の後ろで再び発生していた。
「古澄ちゃん、周囲一帯の悪夢の中心は音津さんで間違いない! もし他の人達がその光景を元に、消火液でも消えない炎を連想したら手が付けられない火災になる!」
私達との距離は未だあるが、間違いなく私達の方へと歩いてきている。身体から覆う炎の熱気が十数米離れていても伝わってくる。
夢の世界において現実の物理法則は絶対ではない。強力で堅牢な想像が音津氏の中にあるのならば、鎮火できない炎も夢の世界で事象として存在し得る。
彼の認識が揺らぐような、より強烈な何かをぶつけてやる必要がある。
二丁拳銃の男を止めた時のように。
「何故、こんな夢を」
周囲を燃やし尽くす灼熱の焔の夢。それによって生じる大火の悪夢。悲鳴と呻きがこの場を満たしている。
夢の中での死は現実での死には直結しない。だが、その苦痛は現実と同じように人々を苦しめる。
夢は無意識の表出と具現化、記憶の再現でしかない。この火災の悪夢が生まれる原因が彼の内に必ず存在する。
火事の記憶、炎への恐怖、そういった記憶を人は無意識下で夢として再現する。
もし、その焔を向ける先も無意識下の具現化であったのならば。
これが昨晩の襲撃と同じように葉久慈氏を狙ったものであったのならば。
今、音津氏が此方へ向かってくるのも、その手を掲げて狙いを定めているように見えるのも。
それらが全て無意識の具現化であるのならば。
彼の敵意を以て、この悪夢は起こり、葉久慈氏がこの場に居合わせたことも偶然ではなくなる。
「応えて下さい!」
私の声は届かなかったか、燃え盛る男は腕を振り下ろした。その手から勢いよく焔の塊が飛び出した。宙を焼き燃え盛る拳大の焔の塊が、私達の方へ向けて正確に投擲されていた。咄嗟に葉久慈氏の肩を抱え走る。私の背後に焔が着弾して勢いよく燃え上がった。
「死ね!」
燃え盛る男が意味のある言葉を初めて発した。明確な殺意の表意であった。
「彼を強引に覚醒させます、宜しいですね!」
私がそう怒鳴ると葉久慈氏は低い声で苛立ちを露わにする。
「構わない、あれはもう不要だ」
燃え盛る男は再び怒声を吐きながら焔の塊を投げつけてくる。その角度と速度から投擲物の軌道を算出した電子神経が視界に回避ルートを描き出す。私は地面を蹴ってその線を辿る。
咄嗟に背負っていたリュックの口に腕を突っ込む。
私の明晰夢は悪夢と違って現実の軛を超えることは不可能だ。非現実的な事象は引き起こせない。無から有を作り出すことは出来ない、現実世界との乖離を私の想像は否定する。あの少女のように、起こり得ない光景を正気のまま夢見ることはできない。
だが、事象が現実の物理法則に従うのなら、それが起こり得る確率が零でないのならば。
私の明晰夢はその事象を可能とする。
私を含む観測者の目に映る景色が現実性を否定しなければ良い。
では、誰も認識していない事象であればどうか。
私が夢を見た時点で他の観測者が存在しない、私のみが観測できる領域であればどうか。
私のリュックは言うなれば夢における可能性と不可能性の狭間に位置する。その中身は私のみが観測できる。私以外の他者が観測することが出来ない不可視領域だ。
夢へと潜る際に私が持ち込んだ想像は、その領域に隠し持つことで如何なる物も事象化できる。
私が夢の世界に顕現した瞬間に、夢へと持ち込んだ概念を事象として認識しているならば。それが物質として存在する証拠、その重さを背中に感じていたならば。
それは既に現実として確立された事象だ。
腕の中に一塊の重量感が収まって指先には引き金の冷たく硬い感触が触れる。その全てを私は正確に想像する。
その精密な想像を私は固く握りしめる。リュックから引き抜いた私の手の中には、あの短機関銃があった。
「あなたの夢を醒まさせる」
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