18話「叙事詩の外側」

 照準を補佐する情報が視界に表示される。インストールしておいた動作の通りに身体を動かす。引き金を引く。腕の中で短機関銃が轟音を立て、強烈な反動と共に銃身が跳ね上がる。弾丸が金糸のような閃光を描きながら真っ直ぐに飛翔する。

 三点射された弾丸が燃え盛る男の胴体を正確に貫いた。照準に狂いがないことを確認し、私は再度引き金を引く。数回に分けて弾丸を勢いよく叩きこむ。

 だが、燃え盛る男の動きに変化はなかった。撃たれた箇所から血が噴き出すことはなく、苦痛に悶える様子もない。

 痛みや損傷が現実には起こりえないとしても、撃たれた事象を認識すれば夢であろうとも脳は否応なしに反応する。それは夢の中から覚醒を促す為の強烈な刺激として作用する。

 だが、彼には効果がなかった。

 銃で撃たれても無傷であるという執念じみた強固な想像力を有しているのか、もしくは身体が炎に包まれていても目を覚まさない状態は、生や死を意識すら出来ないほどに正気を失っているのか。

 だとすれば、と私は悩む。

 夢の中で死を実感できない人間を、どのようにして覚醒させるべきだ。

 弾丸に怯む様子もなく燃え盛る男は私に向かって再び腕を振り下ろす。その身体に纏う炎が手を離れ勢いよく焔の塊として飛んでくる。

 狙いは正確であった。咄嗟に身を捩った私の寸前を焔は駆け抜けていく。制服の裾が一気に燃え落ちる。化学繊維が焦げた独特の異臭が生じる。肌に触れた熱が痛みを発生させる。

 私は短機関銃を構え直し、その狙いをより一点に絞る。狙うのは心臓部。痛みや衝撃では足りない、より強固な死の概念を押し付ける。

 銃声が連続して鳴り響き、振動が私の視界を揺らす。弾倉一つ分を一気にぶっ放し、その全てを一点に撃ち込んでも、燃え盛る男は微動だにもしない。

 私は必死に思考を働かせる。燃え盛り迫る炎が私の身と精神を焦燥させる。

 防がれているわけではない、問題はどうやって認識させるかだ。

 何か、より強力な何かを。

 想像を凌駕するような事象が必要だった。

 夢の中に持ち込んだ武器はこの短機関銃といつも身に着けているナイフだけだ。

 今この場で新たな攻撃手段を用意する必要があった。明晰夢で実現できる現実性のある武器か出来事を。銃撃を耐えるような男に致命傷を与える事象をこの場で見つける必要があった。

 私の思考は行き詰まる、その瞬間。

 その瞬間。

 それは突然、天から降り注いだ。

 視界を埋め尽くす白い奔流。地面に衝突し弾け飛び、肌に当たるのは冷たい飛沫。湿った空気が肺に飛び込んでくる。

 目の前に滝があった。いや、突如滝が出現したのだ。手を伸ばせば届きそうな高さ、その何もない空間から大量の水が降り注ぐ。空に見えない裂け目でもあって、そこから水が一気に零れだしたかのように。巨大な壁とでも形容するしかないほどの水量が私の眼前に突如存在した。

 まさに夢のような光景が目の前に広がっていた。

 滝は狙ったかのように音津氏へ、その水流の矛先を向けて勢いよく降り注ぐ。炎を燻らせるどころか全てを押し流すほどの質量。地面にぶつかって跳ねる水滴はもはや水塊であり、周囲一帯は洪水に巻き込まれたかのような様相を呈する。鎮火するどころか、全ての物を押し流していく。

 目の前の何もかもが水に呑まれる。

 更に発生した奇妙な現象を私は訝しんだ。

 天から降り注いだ水は周囲を大河のように変えていくが、私が立っている場所には水は一滴も押し寄せてこない。私の足元を境界として河を切り取ったかのように、見えない壁が存在して仕切られているかのように。

 水は私の目の前で奇妙に静止し、此方に押し寄せることなく留まり続けていた。

「やり過ぎちゃった」

 突然聞こえた幼い声。いつの間にか私の横に、あの白いワンピース姿の少女が立っていた。

 少女は見えない壁でせき止められた河を前に平然としゃがみ込む。見えない壁にせき止められ塊のようになった水を指先でつつく。水面が揺れて波紋が広がるも未だ河は静止した状態を維持し続けていた。

 空中から降り注ぐ滝は未だ健在だ。見渡す限りを水浸しにし、だが私の足元を境界に水は此方側へは溢れだしてこない。

 その姿に私は先程耳にした言葉を反芻する。

 やり過ぎた、と確かに口にした。この光景を前にして。

 短機関銃を構えたまま私は少女に問いかける。

「これを君がやったの?」

「うん」

 少女は当然のようにあっけからんと答えた。その口調や外見の様子に不自然な様子はない。この異様な事象を正しく認識し受け入れている。それどころか自らが引き起こしたとまで言った。

 可能性の面で言えば不可能とは言い切れない。

 だが、燃え盛る男と悲惨な光景を前にしてそのような発想が出来るものだろうか。冷静に事態を捉え、現実のありとあらゆる物理法則を無視した強固な想像力を保てるものだろうか。

 少女が悪夢を見ているようには見えない。意図的に事象を引き起こしたのなら明晰夢だ。

 だが、この不可思議な光景は悪夢でしか起こり得ない。

 無意識下の現実の軛に左右されず、正常な精神状態を保ったまま、この気が狂ったような光景を少女は生み出せるというのか。

 少女は私に言う。

「あの女の人には近付かない方がいいよ」

「誰のこと?」

「さっきまで一緒にいたでしょ?」

 少女は私の目を見て、まるで言い聞かせるような言葉遣いをする。

 少女が指し示しているのが葉久慈氏であると私は気が付いた。彼女の姿は今は側にない、洪水に押し流された可能性がある。

「でないとまた大変なことになるよ」

 少女の言葉に私は咄嗟に短機関銃を構えた。間違いなく少女は何かを知っている。

 もし本当に、葉久慈氏が意図的に悪夢に巻き込まれているのであれば。この悪夢じみた光景を、少女が意図的に引き起こすことが可能であるのならば。

 私は口調を強めて問いかける。

「君は一体何を知ってると言うの?」

 私の問いに応じず、少女は私の前から駆け足で去ろうとする。先程と同じように地面を蹴って空中へと見えない階段を駆け上がっていく。軽やかな足取りはまるで無邪気に遊具で遊んでいるかのようで。それがどれほど異様で驚愕すべきことなのか理解していない様子で。

 少女は当たり前のように空中にいた。既に手の届かない距離。短機関銃の引き金に指をかけたまま叫ぶ。

「待て!」

 その瞬間、私の後ろで奇妙な水音がした。滝が飛沫を上げるのとは違う、水泡が跳ねるような音。振り返ると堰き止められていた水の壁が大きく揺らぎ波を打つ。見えない壁が崩れ決壊したかのように水が噴き出した。壁のようになっていた奇妙な河が突如崩壊し、濁流となって溢れだす。

 あの少女がこの場を離れたことで事象が本来起こり得る形へと引き戻されたかのようであった。

 迫りくる奔流から逃れながら私は少女の後を追いかけようとするも少女の姿は既に上空にある。

 その何もない足元を蹴り、大きく跳ねるようにして少女は空中を移動していた。私の目では認識できないが、少女にとっては空中であっても見えない足場が存在する。

 少女はそういう夢を見ているのだ。

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