12話「痕を縫う」
あけすけと語る麻木の姿に私は惹かれた。麻木の言葉は絶えず自信に裏打ちされていた。異質な雰囲気を纏い周囲からの衆目を集めても、それを気にする気配もない。憧れと同時に親しみも覚えた。
私は他者と同じにはなれない。無意識というものを持つことが出来ず、他者が共有している普通の感覚が分からない。特殊な出自と電子神経との深い融和によって私は人と違う存在となった。
共に普通という枠から外れた存在である麻木に私は親しみを覚えたのだ。
だがしかし、それは勘違いであると後から気が付いた。
私では麻木に敵わない。
私は普通に成り損ねた人間であり、彼女は普通を飛び越えてしまった人間だった。そこには雲泥の差がある。
麻木は退院後、電子神経のソフトウェア不備を開発元の企業に指摘し修正案を提供。その見返りにまとまった資金と名を売った麻木は、それらを元手に起業した。
私は麻木に誘われて退院後に仕事を手伝う運びとなった。話の流れで部屋に転がり込むことにもなった。
麻木が私の明晰夢技術について興味をもっていたこともあるだろうが、ほぼ素人の私を誘ったのは少々解せないままだ。
「ここには久しぶりに来るね。古澄ちゃん」
「夢の中でなら、私は昨日も来たのですが」
麻木と共に訪れたのは昨晩の夢に見た喫茶店であった。私と麻木が出会った頃から入り浸っている思い出深い場所だった。
店内の様子も夢で見た光景とほぼ同じであるが、手元のフォークが捻じ曲がっていることはなく、床や机に弾痕や血痕が残っている筈もない。
店の奥に一つだけある赤い椅子、その席を選んで座る。何気なく椅子の裏に手を伸ばすと指先にステッカーが触れた。剥がしてみると夢の中で見たウサギの笑顔があった。ステッカーの粘着部分は真新しく私の指に強く貼り付く。
店員が注文を取りに来た。麻木が珈琲を、私はレモンスカッシュを頼んだ。
生身の人間と言葉を用いて注文をする。それ自体が現代社会では贅沢な嗜好品だと麻木は言う。この店に好んで通う客は、そんな非効率性を求めているとも。
店主が昔ながらのやり方で珈琲を淹れるよりも、機械による自動制御の方が効率的で高品質だ。しかし、そんなものを求めてはいないからこそ、この場所に存在価値が生まれる。
その日によって味や香りが微妙に変化する。その幾分かの揺らぎこそが、この社会から姿を消していったものであり、それ故に贅沢品であると。
普段の麻木は効率的な思考や生活様式を好むが、時たまにこういった余暇を楽しむ趣向があった。それも一種の揺らぎと言うべきか。
私には珈琲の味はよく分からないが、麻木と此処で過ごす時間は好きだった。
暫くして注文の品が届く。レモンスカッシュを見て麻木は笑う。
「相変わらず好きだねぇ」
「別に、惰性ですよ。最初に来た時に飲んだのがこれだったので」
「そうだっけ?」
冷たいグラスに手を触れても電子神経は反応しない。
この店では品質保証や栄養素数値が電子神経を通じて表示されることはない。一日の必要栄養素を考慮した完全栄養食もメニューにはない。
好きだからという理由だけが成立する場所だ。この社会には無駄な物が入り込む余地はほとんど残っていないが、それを求めて人々はこの店に今日も集う。
気難しい顔で珈琲の味を確かめていた麻木が何かに目を止めた。その表情に露骨に不快感を滲ませる。その視線の先には店の入り口で足を止めた音津氏の姿があった。
私達の姿を見つけて席までやってきた音津氏に対し麻木が皮肉めいた口ぶりで問いかける。
「今度は位置情報でも盗聴した?」
私の身元を調べる為に電子神経の通信履歴を違法収集していた件を、麻木はひどく嫌っていた。
無論、私も違法行為を容認できるわけではない。麻木の態度は当然とは言えるが、その露骨な嫌悪感にはその他の要素が絡んでいるようにも思える。
私は険悪な空気になる前に割って入る。音津氏に居場所を教えたのは私だった。
「対面での対話で、という希望でしたので」
「なら、来るって教えてくれれば良いじゃん」
麻木が口を尖らすのも気にせず、音津氏は席につく。麻木はすっかり機嫌を損ね、顔を背けている。
音津氏が弁明する。
「代表は多忙の身ですので私が代わりに。それと通信履歴から利用者と位置情報を特定するようなことはしません」
「技術的には可能でしょ。現に古澄ちゃんの身元を特定したっていう前科もあるし」
麻木は硬い態度を崩さないまま言葉を続ける。
「人の意識がネットと直接繋がった今の社会、その根幹を支える為に、あたし達はほぼ全ての情報を電子神経によって提供してる。そのことに異議を挟むつもりはないけど、私的利用されず、悪用されず、それと匿名性が保持されているという前提と約束があって成り立つものでしょ。この社会を作っている側が、崩壊させる側に回るっていうの?」
「今回は例外中の例外です。代表は私的に矮小な欲求を満たすような方ではありません」
平行線を辿りそうな雲行きに私は話を遮った。葉久慈氏の行為は決して容認されるものではないが今回の本題はそこではない。
昨晩、悪夢は発生した。葉久慈氏の居場所をまるで把握していたかのように至近距離でのものだった。
偶然の可能性を排除した時、考慮しなければならないのは情報の盗聴だ。
夢の世界は現実世界と同じ尺度で成立している。葉久慈氏の居場所を場当たり的に捜すのは不可能に近い。意図的に悪夢を発生させる方法は不明だが、巻き込む為には葉久慈氏にまず接触する必要がある。
「じゃあ何? ネット上での盗聴を警戒してオフラインで会おうってこと?」
麻木の指摘には棘が残るも、それを気にせず音津氏は言う。
「私も共に夢の世界に潜れと指示を受けました」
「それはどういう意図です?」
私の問いに彼は声を落とす。
「代表は夢の世界での襲撃に、裏で糸を引く人物をいると信じています。ならば何か起きたとしても私だけでも犯人を追え、と。これが我が社、ひいては電子神経の今後に暗い影を落とすことを警戒しているのです」
葉久慈氏のそれは執着心というべきか、絶対的な自信と意志を貫き通す我儘とでもいうべきか。
人の夢が勝手にネットに流出し果ては新たなサイバー攻撃の可能性があることが表沙汰になれば、懸念されている通りの事態になりかねない。私もそれは歓迎出来ない。
私は夢に潜るための要点を伝えることにする。葉久慈氏の護衛の際、音津氏とも行動を共にするのであれば夢の世界について理解を深めてもらう方が、都合が良いからだ。
「夢とは記憶の再現です。印象的な記憶に無意識は引っ張られ、その記憶に基づく夢を見る傾向にある。私は何処へでも向かうことが出来ますが、お二人は共通して記憶している場所を夢の中での合流地点にすべきです」
現実での土地勘や記憶が夢の中での行動の一助になる。
夢は無意識故に制御しきれないものであるが、記憶を利用すればある程度は行動を誘導できる。
新宿区のマップ情報を元に話し合い、新宿駅から少し離れた位置にある区立公園を合流地点に出来るのではないかと推定する。私が立地を詳細に把握しているエリアの方が護衛に適しているという判断もある。
懸念すべきは、この内容が何者かに漏洩することだ。私の言葉を麻木が引き継ぐ。
「電子神経の通信経路に細工をしてるから、あたしは古澄ちゃんを補捉出来るけど普通は無理。でも二丁拳銃の男は葉久慈さんの居場所を知っていた」
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