14話「夢へ沈む」

 その日の夜。

 葉久慈氏から入眠予定時刻が送られてきた。私は食後のシャワーを浴びて入念に柔軟運動を行い、ベッドに潜り込んで麻木が準備した情報端末と私の電子神経を繋ぐ。これにより麻木は、私の睡眠中の通信を監視し、夢の世界を観測する事が可能だ。麻木が組み上げた専用のソフトウェアだ、現実世界の側から私に指示を出すことを可能とする。

 私は仰向けのまま宙に指を滑らせる。脳内に浮かぶ真っ白な背景の上に、指の動きと連動して線が描画されていく。昼間の彼女のように、今も一部の愛好家は画材を用いて絵を描くらしいが、私は専ら電子描画だ。彼女の作品とその情報を脳内の片隅に置く。電子神経もなしに彼女は正確な線を引いていたことを思い出す。

 正確に線を引いていくとロシア製の短機関銃の絵が出来上がっていく。ストックを折り畳むことが可能でリュックにも簡単に収まる携帯性の高さが特徴だ。私の小柄な体格でも十分扱えるだろう。

 一切の迷いなく手早く線を引いていく。その集合体が形を作り上げていく。麻木は感嘆の声を漏らした。私の脳裏に浮かぶ映像と同じものが麻木の手元の画面にも映っている。

「古澄ちゃん、何書いてるの? 銃?」

「護身用に夢の世界に持ち込もうかと思いまして」

「実銃なら規格図のデータを取り込むんじゃ駄目なの?」

「リハビリも兼ねていますから」

 私は昔からよく絵を描いた。入院中の暇つぶしという側面もあったが基本的にはリハビリの為だ。

 視覚情報を電子神経を介して変換し、脳内で映像化する。その記憶を再び電子神経を介して出力する。

 線を引き色を付け、視覚で得た情報を取捨選択して、平面に落とし込んでいく。その入出力の過程が思考や意識をデジタルなものとして認識する私にとって、リハビリとして効果的であるらしい。

 人は自らの身体を動かす時、その動作全てを意識しているわけではない。

 例えば何かを掴む時、指一本ごとの動作を意識して動かすことはない。筋肉の細かな動きまでを考慮し組み上げ指示する必要はない。

 何回も繰り返した動作は脳内に刻み込まれ、細かい思考を必要とすることなく、無意識の内に手を動かす。自分の身体を動かす術を自我が目覚める前に学習し、その応用を繰り返してより高度な動きを可能としていく。

 私にはそれが出来ない。脳神経と身体神経が乖離して生まれ、それを電子神経で結び付け、自我が後天的に肉体と結びついた私にとって、自らの肉体を動かすことはさながら義肢を扱うようなものであった。思考し、意識し、その結果を電子神経を介して出力して初めて身体が動く。

 長い入院生活とリハビリの中で私はそれを繰り返した。

 自分の身体を制御する為に、脳内でどのような指示を組み上げて記述し肉体へと届けるかの試行錯誤。電子神経を介すが故に、どうしても埋まらない思考と動作の一瞬の遅れ。

 今では日常生活に不具合はないが、現実でも夢の中のように自由に動くことが出来たならと思うことはある。

 故に、夢の世界は私に自由をくれる場所だった。初めて夢の世界に潜った時、明晰夢によって身体を動かした時、その驚きを今でも覚えている。

「相変わらず絵上手いねぇ」

「何度も反復してきたことですから。リハビリの為です」

「古澄ちゃんはいつもそう言うけど。立派な才能なんだから、もっと好きになってあげてもいいと思うんだけど」

「私に芸術的な才能はないですよ」

 描いた絵をコンテストの類いに出してみたこともある。

 高い技術に反して心に響かないという講評をもらった。何度か挑戦してみたが結果は同じだった。心に響くという概念を私には正確に理解するが出来ないが、私の絵に不足している要素はいわば一種の揺らぎなのだろう。

 私の夢と同じだ。記憶や視覚情報を元にして絵を描き起こす。その過程に、本来であれば人の無意識が干渉する。夢の光景が現実と全く同じ再現とならないように、人の行為には必ず無意識が纏わりつく。私の描くデジタルなデータの複写とは違う。

 それが謂わば芸術性を生むのだと思う。言語化出来ない曖昧な領域。麻木が、あの喫茶店やあの絵に求めているものだ。

 昼間の彼女よりも、より精密で狂いのない線を私は引くことが出来る。だが、求められているのは私の絵ではなく彼女の絵だ。現実を模しても、それは現実にしかならないからだ。

「昼間の彼女が描いていた絵と全く同じものを私が複写したら、そこに芸術性は生じると思いますか」

「難しい質問だね。もしかして嫉妬した?」

「違います」

「つれないなぁ」

「芸術的でなくとも、この技術は私の役に立っていますから」

 芸術的素養は私にはなかったが緻密な複写は夢の世界で役に立つ。夢の世界において想像を形にするためには、無意識を制御し、具現化する物の細部に至るまで想像し、電子神経によって変換して出力しなければならない。

 想像が事象として具現化する世界において曖昧な揺らぎは必要ない。それは、無秩序な夢の光景を生み出す原因そのものだ。

「古澄ちゃんはさ、人って何で夢を見るんだと思う?」

 麻木が話題を変えた。私は手を止めずに応える。

「記憶の整理と定着の為というのが定説ですが」

「でも古澄ちゃんは本当の意味で夢を見ないでしょ。それで致命的な問題があるようには見えないし」

「それはまぁ」

「どんな記憶でも悪夢になるわけじゃない。嫌いとか怖いとかそういう気持ちが奥底にあって悪夢になるんだ。そんな記憶を脳が勝手に再生するなんて余計なお節介じゃない?」

「人は停滞を嫌っているのではないでしょうか」

「停滞?」

「記憶を整理して組み立てる、その中で無意識に生まれる光景や発想が、人の創造力の原点になるのではないでしょうか。私には出来ないことです」

「やっぱり嫉妬してない?」

「違います」

 麻木との会話をしている内に絵は完成した。

 義肢で銃を扱うためのプログラムをネット上で探し当てる。その一部を私用に書き換える。電子神経を用いて私の身体に動きを再現させる。このような電子神経の使い方は産業分野では重宝されているらしい。機械化出来ない作業をプログラム化して、誰でも熟練作業者と同じ程度の動きを可能とするのだ。電子神経のシェア拡大の一助となっている。

 私の腕の中に想像の中で銃が収まる。宙で構えて引き金を引く。実銃そのものの感触を電子神経で再現して記憶する。

 私はこの記憶を夢の中に持ち込む。夢の中でこの想像を形にする。自分の無意識を制御して記憶の中の銃を夢の世界で複写する。

 微睡みの中、私は描いた銃を想像の中で抱きしめる。

 夢の世界へ意識を沈ませる。

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