4話「知り得るもの」

 暫しの沈黙の後、麻木が呆けた様子で呟いた。世界的な大企業トップの遣いを名乗る人間が直接訪ねてきたのだ。詐欺や悪戯にしてはあまりにも馬鹿らしい話だ。しかし、私の脳裏には夢の間際に交わした会話があった。

 麻木が怪訝な顔で音津氏から送信されてきた電子名刺を隅から隅まで検査し、独り言を呟く。

「いや、そんな。本物なわけ、いやでも、この部分は偽装しようがないし……」

 電子神経はバックグラウンドで周囲の人間の個人情報を収集している。治安維持の一端を担う為の物であり通常は個人が参照出来るものではないが、送信者側が望むことで本人確認証明書としての役割も果たす。所属元の電子署名を利用することでビジネス等にも利用されている。

 この仕組みもベトガーが開発に携わっている。一切の詐称が不可能な堅牢な仕組みだ。

 観念したように麻木が言う。

「本物だ」

 音津と名乗った男が間違いなくベトガーの社員であると保証され、私と麻木は顔を見合わせる。私が応答すると音津氏は今一度名乗り、突然の訪問に関して無礼を詫びた。

 警戒心を露わに麻木は冷たく返事をする。

「そんな大企業のトップが、うちの古澄ちゃんに突然何の用?」

「夢の守り人たる古澄様に依頼をしたい、と」

 芝居がかった言葉に、私と麻木は当然心当たりがあった。

 私が夢の中で何をしていたのか、葉久慈氏には目撃されている。

 だが、それは夢の中の光景だ。曖昧な意識下で認識する不確かで奇妙な形での記憶の再現。あの夢の世界について理解していなければ、私との会話はあくまで奇妙な夢であったとしか認識できない筈だ。

 そして、夢の世界を正確に認知し理解している人間は、私達しかいない筈だという自負があった。

 自らの夢が電子神経を介して他者と繋がっているなどと、夢の世界なるものが存在するなどと、誰も気が付いていない筈であった。

 それにも関わらず、葉久慈氏は直ぐに社員を差し向けてきた。

 ベトガーは電子神経のオペレーティングシステムの開発元だ。夢の世界について、何らかの情報を掴んでいるのではないか、と私は勘ぐる。

 麻木は音津氏に対し、私との雇用関係を示し、企業として然るべき経路で交渉をすべきと求めている。その申し出を音津氏は断る。

 この件はあくまで葉久慈氏と私との個人的な依頼であると言う。

 何にせよ、世界に名だたる企業の経営責任者が私に興味を示し個人的な依頼をしたいというのだ。稀有な好機だ、断る理由はない。

 私が快諾しようとすると、麻木が口を挟む。

「あたしも行く」

「古澄様のみで、と仰せつかっております」

 取り付く島もなく切り捨てられて、露骨に不機嫌になった麻木を私は制する。

「今日は忙しいと言っていたじゃないですか」

「でもさぁ」

「大丈夫ですよ」

 私の念押しに麻木は渋々と頷く。

 麻木に買って貰ったものの着る機会がなく、たった一回袖を通しただけのスーツを引っ張り出す。

 マンションのロビーに向かうと音津氏が姿勢よく私を待っていた。指先からつま先までまっすぐ伸ばした立ち振る舞いに気圧される。黒の光沢を滲ませた高級感溢れる乗用車が外に用意されていた。短距離無線通信を利用して電子神経が乗用車の車種と所有者情報を特定する。その情報が私の視覚情報に上書きされる。

 音津氏に促され乗り込んだ乗用車は自動運転で走り出した。完全に制御されたその行き先は港区虎ノ門に位置するベトガー本社ビルとなっていた。

 電子神経が私の現在座標から地図情報上の行程を更新し、その経路図が脳内に思い浮かぶ。首都高速道路に乗ると進行方向に再開発の進む街並みが見えた。天に向かって伸びる高層ビルの群れの合間をすり抜ける。

 多くの物を電子化し、脳に機械を埋め込み、ネットと脳を繋げても、物理的な社会基盤は残り続けた。

 電子神経はあくまで装着型電子機器の延長でしかなく、旧来の情報端末とシェアを奪い合う工業製品の一つでしかなく、かねてより人々が思い描いていたような、この世の全てがネットと電子に塗り替えられ置き換えられる未来は未だ到来していない。

 私より上の世代は、ネットと技術の発展によって、いつか人の魂までもがデジタルな存在へと変換されると信じていたと言うが、それは未だ御伽噺の域を出ない。

 目的地への接近を報せる音が脳内で鳴った。

 日本の人口減少に伴い、都市部への一極集中と依存は大きく加速した。行政、企業ともにコスト軽減の為、それを歓迎した。より高度に洗練された街の姿を目指し、二十年以上前から続く都市開発は今も隆盛を迎えている。

 超高層ビルの群れの中で一際目立つ意匠の建物、白銀に輝くそれこそがベトガー本社ビルである。メディアの映像で何度か見た覚えがあった。

 乗用車がビルの正面入口前に到着し私は内部へと足を踏み入れた。音津氏に先導されセントラルロビーを横切る。二人掛けのソファが優雅に並べられ、高い天井にはシャンデリアの光沢が瞬く広い空間だ。エレベーターまで案内された。曇りのない金属製の手すりや鏡の様によく磨かれた床はまるで高級ホテルを思わせる。

 そうそう足を踏み入れる機会のない場所だ。

 最上階の応接室に案内される。音津氏は役目を終えたのか退室していった。部屋の壁と床は白一色で徹底されており壁と床の境界すら見落としかねない。遠近感が狂いそうな光景である。

 私を待っていたのは夢の中で出会った女性。彼女こそがベトガー最高経営責任者の葉久慈氏である。深い黒色のスーツが印象的であり、真っ白な部屋の中では、彼女の存在が際立って見えた。

「待っていた」

 葉久慈氏から共有された個人情報が私の脳裏に思い浮かぶ。名前、所属組織、国民番号といった情報が電子神経によって提供される。

「今朝は経済連盟との会合予定だったがキャンセルして時間を作った。素晴らしい夢を見たからな」

 不思議な少女に巨大な竜巻から救われるという夢を、彼女はそう付け加えて意味深に眉を上げた。

 芝居がかった口ぶりではあるが、それは夢の中での出来事を正確に記憶している証左でもあった。

 確かに私は夢の仕組みについて彼女に説明をした。だが彼女にとっては所詮奇妙な夢でしかない筈である。

 もう一点、気になることがあった。

 私の身元に短時間で辿り着いた点だ。夢の中で顔を見た程度で身元の特定は不可能だ、私に葉久慈氏ほどの知名度はなく、夢の中では電子神経による周辺人物情報の供与も起こり得ない。

 私は問いかける。

「どのようにして私の身元に辿り着いたのか、まずそれを伺いたいのですが」

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