職場が倒産したので、推しと同じVRMMOを始めることにした。

道に落ちている槍

無職と相棒と推し

第1話 唐突に無職になった日

 その日、俺……三上晃(みかみあきら)は突然無職になった。


 古びた四階建ての雑居ビル、その二階にあったはずの我が社のオフィスは、綺麗さっぱり片付いていてもぬけの殻になっていた。社長どころか、仕事机や棚、書類の一枚もない。先日までここを仕事場にしていたのが嘘のようだ。


「夜逃げか」


 オフィスの前に集まっていた俺の戦友……もとい、この会社の犠牲者達の一人がそうつぶやいた。そのつぶやきに、ほかの面々は「さてどうしたものか」とため息を重々しく吐いた。当然、俺も吐いた。


 俺が勤めていたこの会社は、いわゆるブラック企業だった。労働基準法だとかなんたら協定とか、そういうのを一切守らないどころか積極的に破っていくレベルの傲慢な会社だ。

 社長は前時代的な人間で、社員は気合と努力と滅私奉公を持って会社に尽くすべきであり、残業は基本。さらに一か月オフィスに住み込むといったこともざらにやらせるような恐るべきワンマン経営者だった。


 そのくせただでさえ薄い給料には、ついに残業代という概念が足されることはなかった。ボーナスはあったが、社員一人当たり一万円程度が相場。それは本当にボーナスなのか?と突っ込みたくなるほどの薄さだ。


 そんな恐るべき会社に、やんごとなき理由があったにせよ高卒で入社してしまった自分の愚かさを俺は日々呪わずにはいられなかった。

 しかし、そんな日々が今終わりを告げたのだ。


「……とりあえず、解散します?」


 犠牲者の内一人のその言葉で、オフィスだった部屋の前に集まっていたすべての人間は散り散りになって街の雑踏へと消えていった。そう、この言葉を最後に俺たち総勢二十名の関係性は一瞬で無に帰した。

共にワンマン社長の命令に従っていた仲間達ではあったものの、別段プライベートで付き合いがあったわけではなく、会社という名の共同体が失われた瞬間から他人になる位にはお互いのことを何も知らなかったのである。


「……そっか、俺無職になったのか」


 誰もいなくなった部屋の前で俺はポツリとつぶやいた。つぶやくと、より自分が置かれている状況を認識できた。

そう、俺は今無職になったのだ。

そう、俺は明日からどこにも出勤しなくていいのだ。

そう、俺はもう頭のおかしい社長の怒鳴り声を聞かなくて済むのだ。


「俺、自由を手に入れちまったのか?」


 俺の心の中に湧き上がる感情は、未来への不安でも現状の悲観でもなかった。ただただ解放されたことがうれしかった。


「俺今日から自由じゃん……。めちゃくちゃ自由じゃん。なんでもできちゃうじゃん! 空だって飛べちゃうじゃん!!」


 俺は大はしゃぎしながらひとまず自宅へと帰還した。

 ほとんど帰らなかった安アパートの一室には、寝具と炊飯器と冷蔵庫……それとあまり使われていないノートパソコンしか置いていない。

仕事が忙しすぎて趣味の一つもできなかった俺を表現している質素な部屋だといえる。

 俺は部屋に入るとすぐさまノートパソコンを開き、銀行口座の情報を確認した。


「よし……少なくとも二年は無職ライフを謳歌できるぞ……」


 俺の給料はとてつもなく少なかったが、対して仕事に忙殺されていた俺は食費や家賃以外でほとんど金を使うことがなかった。

趣味はもちろん、なんなら電気代やガス代にもほぼ金を使っていない。

この部屋に帰ってくることなんてめったになかったし、帰ってきても風呂に入って寝る程度だったので生活費は最低限に抑えられていた。

 そのため俺の口座残高は、少なくとも二年間の無職猶予を担保してくれていた。


「よっしゃ! 今日から俺は自由無職だ! 好きなことを好きなだけやるぞ!」


 俺はそう息巻いて、ついに無職ライフを謳歌し始めたのだった!



 数日後、俺は部屋の中で何もしないミノムシと化していた。

 当たり前なのだが、高校を卒業してからむこう六年間仕事しかしてこなかった人間が、唐突に新しい趣味に目覚めることはないのである。

 そもそも友達もいなければ恋人もいないし、家族もいなければ親戚関係もゼロである俺にとって、新しい趣味を見つけるきっかけは皆無なのである。


「ああ……今日も無為に時間がすぎる……」


 俺はそう言いながらスマホで動画アプリを開いた。


「俺の心を癒してくれるのはキリたん……君しかいないよ……」


 俺はおよそ自分がだせる最大限キモい声を出したことに嫌悪感を抱きつつも、俺の“推し”であるバーチャルアイドル『キリナ』の動画をタップした。


「へへへ、今日もかわいいねキリたん……癒される。人生の活力」


 バーチャルアイドルとは、仮想空間内で活動しているアイドルのことである。リアルの人間ではなく、3Dのモデルを使い視聴者に癒しと勇気を振りまいてくれる最高の存在だ。

 俺が推している『キリナ』はすべて個人で活動しているにも関わらず、登録者数は一万を超え、配信をリアルタイムで見ている視聴者の数……いわゆる“同接”は毎回千人を超える超大型アイドルだ。


 もちろんバーチャルアイドル全体といった括りでみると、キリナちゃんはまだまだ発展途上であるといえる。しかし個人のバーチャルアイドルといった括りで見ると、かなり上位のアイドルであることは間違いないのだ。


「俺がつらい仕事頑張れたのも、全部この子のおかげなんだよな……」


 当時、就職してから四年目に差し掛かっていた俺は、心を完全に病んでいた。

 日本の未来は暗いし、社長のワンマン経営は失敗を積み重ねていたし、趣味も恋人も友達もいなければ、作る時間もない。

 もう首をつってしまおうか。このまま生きていくより、幾分かマシだ。

本気でそう考えていた時に出会ったのが、この『キリナ』だった。


 俺が最初に彼女を見つけた時は、彼女の登録者数は二桁にも満たなかったし、同接も一桁……というより、三人だった。

 最初は物珍しさで見ていた。しかし一か月、二か月たっても全く登録者数と同接が伸びていないのに、彼女は毎回全力で配信を続けていたのだ。


 俺はその前向きさとひたむきさに、完全に心を奪われていた。そのポジティブな姿勢に、俺は間違いなく勇気をもらっていた。


 気づけば俺は彼女を全力で推していた。

それは人気になった今でも変わらない。俺を救ってくれたのは間違いなく彼女なのだ。


 俺が食い入るようにキリナちゃんの動画を眺めていると、気になる一言が耳に入った。


『今日サービス開始のゲーム“クライムシティオンライン”を、そのうちプレイしてみようかなと思ってるんですけどね!』


 クライムシティオンライン……俺はその単語で即座に検索をかける。

 キリナちゃんの配信を最大限楽しむために、俺は彼女が実況するゲームやコンテンツの事前知識を収集する癖がついていた。全く知識のない状態で見るよりも、ある程度概要を理解しているほうがキリナちゃんの配信により集中できるからだ。


 検索エンジンのトップに表示されたページは、クライムシティオンラインの公式ホームページだった。他にはまだサービス開始一日目なのに設立されている、中身のない攻略サイトと、クライムシティオンラインの事前評価は?といったこれまた中身のない情報サイトばかりであり、ろくな情報が出回っていないようだ。

 俺は迷わず公式ホームページにアクセスする。


「VRゲームか……」


 VRゲームは二年前から流行っている新しいゲームジャンルだ。

 詳しい技術やらはわからないが、自分自身がゲームの世界に直接入り込むことで全く新しい体験を提供してくれる新時代のゲームらしい。

 俺は仕事に忙殺されていたため一度も触ったことはないが、キリナちゃんが配信で『牧場生活』という名前のほのぼのとしたVRゲームを配信していたことがあったので、どんなものかは大まかに理解しているつもりだ。


 動画内のキリナちゃんは続けた。


『このゲームオンラインだから、みんなとも遊べるかもしれないね!』


 みんなと遊ぶ……?

 俺は普段低速の思考を思う存分ぶん回した。

 以前キリナちゃんがプレイしていたVRゲーム『牧場生活』はオフラインのゲームだった。しかし今回のゲームは“オンライン”と銘打たれている。

 と、いうことはこの『クライムシティオンライン』をプレイしていればもしかしたらキリナちゃんに会うチャンスができるかもしれない……ということか?


 俺には一つだけ夢があった。

 非常におこがましい夢なのだが、一度だけでいいからキリナちゃんと対面して伝えたい想いがあった。もちろん好きだとか付き合ってくれとかそういうものではなく……もっとシンプルな俺の気持ちを彼女に伝えたいと日頃から思っていたのだ。

 しかしその夢は、山積みの仕事やその他もろもろの事情によって一生実現することはないと思っていた……しかし。


「今、俺無職だよな……」


 今の俺には仕事がない、無職だ。おかげで時間はたんまりあるし、多少ならばゲームに回す金もある。

 そんな中キリナちゃんがオンラインゲームをプレイしようかなと言っているのだ。しかもみんなと遊べるかもしれない……とまで。

勿論実際にキリナちゃんと会える保証なんてないし、仮に一緒に遊べたとしても「気持ちを伝える」なんて迷惑行為にすらなりかねない夢は叶わないかもしれない。


だがしかし、ほんの少しでも可能性があるのなら……キリナちゃんに迷惑が掛からないように、たった一言だけ俺の気持ちを伝えるチャンスがあるかもしれないのなら……。


 俺は動画を一時停止し、布団から飛び跳ねるように起きると数日間着られることのなかった外着に素早く着替えた。


「……やるか。クライムシティオンライン」


 さっきまでの怠惰な気持ちは完全に消え失せていた俺は、勢いよく部屋の扉を開き、VRゲーム機器を買いに走ったのであった。

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