第20話 蓮花 一

 祭祀を終えて幾日が過ぎた頃。

 玲秋はとある場所へ向かっていた。

 珍しくも畏まった格好に緊張した面持ちのまま長い廊下を進んで行く。

 前には面会を希望した人の官女が先導して歩いている。

 玲秋は一定の距離を保ちながら官女の後ろを歩いていた。


 この建物の名は清秦軒。

 清らかな池のほとりに建てられた大きな建物は、現賢妃である紹充栄の屋敷であった。


「小主。徐倢伃がお見えになりました」


 案内していた官女が立ち止まり声を掛けた先には、紹賢妃が椅子に座り茶を飲んでいた。

 部屋の中から香る匂いから、その茶が茉莉花茶だと分かる。


「ようこそいらっしゃいました」

「謁見に許可を頂き感謝致します、紹賢妃」


 玲秋は紹賢妃に対し礼をする。

 伏せていた目を上げ、賢妃を見つめるだけで緊張から手の先が冷えていた。

 

「……茶を淹れたところなの。倢伃も飲んで頂戴。とても美味しいわよ」

「有難うございます」


 玲秋は促された席にゆっくりと向かい、なるべく音を立てないよう腰掛けた。

 すぐさま茶を用意した官女が玲秋の前に茶を出す。

 玲秋は笑みで礼をした後、ゆっくりと茶を手に取った。温まった茶器の模様は精巧に作られており高級な調度品であることが分かる。

 茶器を傾け口に含む。口の中に広がる花の香りと茶の温もりを飲み干せば少しだけ緊張が和らいだ気がした。


「どう?」

「美味しいです」

「陛下から贈られたお茶なのよ。高州で採れた茶葉らしいわ」


 高州は、珠玉の母である周賢妃の故郷。

 紹将軍が取り締まりを行う土地でもあり、その二人を暗に示唆しているように感じ、玲秋は和らいでいた気持ちが引き締まる。

 穏やかに微笑みをたたえたままの紹賢妃には、玲秋の感情を全て読み取っているのだろう。


「いつもは公主の屋敷と紀泊軒を行き来するぐらいしかしない貴女から急に呼び出しされたのだもの。要件があるとすれば公主のことでしょう?」

「…………仰る通りにございます」

「珠玉公主の後見人は皇后……ですが皇后は病に伏せっておられる。ともすれば相談をすることも叶わないでしょう。ですから私のところに来たのかしら」


 紹賢妃の言い分は正しい。

 この後宮で今悩みを相談する相手となれば、最も信頼できるのは紹賢妃だった。

 玲秋以外の妃達は、悩みがある時は必ずといっていいほど紹賢妃に相談を持ち掛けているのを知っていた。賢妃となる以前、昭儀だった頃から妃達に対し時には支援し時には叱咤激励をする紹賢妃は妃達にとって絶対の存在だった。

 けれど玲秋の目的は違った。

 玲秋は首を少しだけ横に振り、姿勢を正してから口を開く。


「お願いがございます。私を紹賢妃の官女として仕えることを……お許しいただけませんでしょうか」




 祭祀の時に紫釉の話を聞いてから、玲秋はずっと考えていることがあった。

 紫釉が深く後悔していたのは紹将軍の事実を知らないこと……彼が、姉を殺した後宮や皇帝を憎んでいたことだった。

 けれど今、紹賢妃は生きている。

 もし彼女の死を回避することが出来るのであれば、未来は大きく変わるのではないか。

 そう、考えてたのだ。

 紹賢妃の死は謎に包まれていた。暗殺されたとも自殺とも言われていた。仕えていた官女達は厳しい尋問を受けた後、あまりの拷問に命を落としていった。

 真実は誰にも分からない。

 しかし、もし玲秋が傍に居ることが出来たなら?

 何かしらの異変が、過去に起きた出来事を覚えているのであれば回避できる可能性があるのなら。

 紫釉ですら後宮の内部に手を出すことは敵わない。玲秋のように誰からも管理されていないような末端の妃であれば話は別だが、相手は四夫人の一人。どれほど気を配り守ろうとしても内部の人間から彼女を守ることは難しい。

 だからこそ玲秋は名乗り上げた。

 官女にしてほしい、と。


「貴女が官女?」


 何処か上擦った声色で賢妃が尋ねる。

 玲秋は真剣な面持ちで頷いた。


「私が陛下より頂戴した位を私自身が違えることはできません。ですので、正式には官女のふり……ではございます」

「どうして、そんなことを?」

「近頃、後宮内で不穏な動きがあることを珠玉公主の屋敷でお聞きいたしました。その中には公主の身に危険が及ぶような内容もございました。その中には賢妃の名もございました」

「そう」

「差し出がましいことは重々承知しておりますが、私自身蔑ろにされているだけの妃。公主の恩恵が無ければ今頃放り出されてもおかしくはございません。そんな私でも、少しでも公主や賢妃のお役に立ちたいのです……!」

「徐倢伃」

「無理は承知しております! 決してご迷惑をお掛けすることがないように致しますからっどうか……!」


 玲秋が必死になれば必死になるほど、紹賢妃は口元に手を覆い、そして。


「……ぶっ……!」


 笑ったのだ。

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