第22話 蓮花 三

 数多くの色とりどりな絹衣が廊下を渡る。

 しずしずと音を立てずに歩く数名の官女達の手には主君である紹賢妃のために用意された身支度道具があった。

 清秦軒に向かう官女達は、宦官や使用人らの目を惹くほどに華やかで清楚であった。

 四夫人の一人、特に後宮内でも地位高い紹賢妃の官女というだけで品位を認められた存在。

 その中で、一人見知らぬ女性がいることに周囲は気が付いた。

 艶やかなまでに流れる髪を右側にだけ流し、淡い色をした紐を織り込みながら結わえている。

 服装は官女の物であるが、身に着けている腕輪や耳飾りは他の官女と違い華やいでいた。

 何より目を惹くのはその顔立ちだった。

 透き通るような白色の肌。眦に塗られた紅にふっくらとした唇と色合いが良く合っている。伏し目がちな視線は奥ゆかしささえ感じる。

 他の官女らよりも姿勢よく動きも優雅であるためか、周囲の官女や守衛兵は目を奪われることだろう。

 当の本人は、緊張でその視線に気付く余裕もないのだが。

 彼女の名は? と、誰かが尋ねれば。

 新しく紹賢妃の官女になった蓮花だよ、と答えるだろう。

 堂々と表に立ちながらも誰一人として気が付かない。

 蓮花こそが忘れ去られた妃、徐倢伃であることを。



「ふふ、傾国の官女らしくて素敵だわ」

「小主……いつまで続けられるのですか」

「それは勿論、貴女の名が後宮の隅から隅まで知れ渡るまでよ」


 今日も今日とて玲秋は紹賢妃の元に官女として通っていた。

 朝は珠玉の相手をし、以前よりも少し早めに退室した後はすぐに紹の元に向かい身支度をする。

 官女の身支度ではあるのだが、玲秋は一度たりとも自身の支度をしたことがない。行うのは全て紹賢妃の使用人だった。

 慣れた手付きで化粧と衣装を整えられれば、姿見に映るのは地味な玲秋ではなく華やかな官女、蓮花である。

 驚いたことに別人のような代わり映えに初めは玲秋も驚いた。


「貴女を側仕えさせるためには、徐倢伃であることが露見してはなりません。ならば真逆の存在、華やかな官女として迎え入れば誰も気付かないでしょう?」


 そんな無謀にも思える賢妃の提案だったが、蓮花になって数日が経つが誰一人として気付く様子もない。

 拍子抜けしたのは玲秋だった。いざ官女の提案はしたものの、倢伃という身分をどう誤魔化すべきなのかと思っていた。せめて使用人として下働きをしようなどと考えていたのだと伝えれば、賢妃は呆れた様子で玲秋を見た。


「貴女って見かけによらず無謀な性格しているのね。だからこそ、こんな面白い提案をしてくれたのでしょうけれど」


 褒めてはいないと思う。けれど、紹賢妃が楽しそうなので良かった……と、思うことにした。

 華やかな官女として迎え入れられたとはいえ、玲秋は官女の仕事も行った。

 皮肉なことに玲秋の仕事は何も問題がなかった。

 過去に官女がいない生活を続けていたため支度に関する全てのことは覚えていた。

 それに加え、公主の傍にいる官女達とも親交あり、色々な事を教わってもいたのだ。

 

(過去の経験が今に活かせるとは思いもしなかった)


 辛い日々ではあった。

 けれどそれが今、こうして役に立つのであればそれもまた天命なのだろう。


「蓮花」

「はい」


 賢妃に名を呼ばれ、向かってみればどうやら簪に悩んでいる様子だった。


「どれが良いかしら?」

「拝見いたします」


 玲秋は軽く礼を取ってから並べられた簪を見比べる。

 様々な花飾りがつけられた簪や、他には動物や鳥を模った簪もある。

 通常ならば花を彩る簪が良いだろうが、玲秋は賢妃の服を一度確認してから鳥の簪を手に取った。


「此方はいかがでしょう。かささぎが梅に留まる簪でございます。本日の小主の袿衣うちぎには梅の模様がございます。寒い冬を耐え、美しい梅を咲かせる小主の元に縁起良い鵲が舞い降りるように見えるのではないでしょうか」

「素敵ね。ではそれを」

「はい」


 玲秋は恭しく簪を両手で持ち、それから賢妃の後ろに周り結われた髪を崩さないようゆっくりと簪を刺す。少し崩れそうな箇所を細い指先で整える玲秋の様子を紹賢妃は姿見を通して眺めていた。

 控えめな性格と相反して大胆な行動をとる玲秋に蓮花という名を与え官女として過ごさせた。暫くの間玲秋を観察したが、彼女に悪意が無いことはすぐに分かった。

 純粋に、ひたすら真っすぐに願いを叶えたいという目的のために行動する彼女は、想像以上に優秀でもあった。

 妃の位にある者では知り得ないはずの官女としての仕事を覚えている時は驚いた。

 それでいて教養が無いわけではない。

 流石珠玉の傍にいるからか、それとも以前から博識であったのか。玲秋は高級な調度品や茶葉の違いも理解できていた。

 賢妃の側にいる官女とて優秀であるが限界がある。公主や妃の側にいなければ分からない内容も難なく理解している。そこまで官女を育てるには厳しい教育が必要となるが、玲秋にはその必要がなかった。


 結果、隅に追いやるには勿体ない妃であることが分かった。

 玲秋が後宮で肩身狭い暮らしをしていたのは、玲秋自身が後宮で成り上がるという野心がないからだろう。

 紹は、何故玲秋が一度も皇帝と褥を共に出来ていないのかを知っている。

 玲秋が後宮入りした当初、愛らしい彼女を妬む妃による悪意が原因だった。

 その後は珠玉公主の母である周賢妃の取り計らいにより、皇帝が褥を共にする相手を選ぶ際に使う牌から名が取り除かれていることも紹は知っている。

 だから選ばれない。存在しない妃なのだ。


(これからどうなるかしら)


 美しい官女の姿をもし皇帝が目にした時、一体どうなるのか。

 紹は優雅に微笑んだ。

 それはそれで、なんて面白いのだろう。

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後宮で忘れられた妃は叛逆皇子の寵愛を得る あかこ @akako760

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