第21話 蓮花 二
突然笑い出した紹賢妃は、堪えきれないとばかりに声をあげて笑い出した。
唖然とした様子で笑う紹の姿を見つめる玲秋と、突如笑い出した主人を慌てた様子で宥める官女の姿。
紹賢妃の笑い声は本当に楽しそうだった。
よく見れば眦に涙まで浮かんでいる。
「しょ、紹賢妃……」
「ごめんっなさい……っ……もうっ面白くって」
ようやく落ち着いたようで、ふうとひと息吐いたらしい賢妃は頬を緩ませながらも呼吸を整えてから口を開いた。
「いきなり官女だなんて言うなんて思わなかったから。ふふっ……沢山のお願い事を言われてきたけれど、妃から官女にしてほしいだなんて言うのは貴女が初めてだったわ」
「それは……そうでしょうね……」
涙を滲ませて笑う紹賢妃の様子に思わず玲秋も笑ってしまった。
「しかしながら本心から申し上げております。官女が難しいようであれば使用人でも構いません」
「それこそ難しい話ね。何より貴女には珠玉公主のお世話があるでしょう?」
「公主はまだ幼いです……すぐには無理ではございますが、少しずつお会いする機会を減らせば……自ずと気持ちも変わっていくことでしょう」
考えるだけで玲秋の胸が痛む。
珠玉の事を考えれば毎日にだって会いたい。泣いている珠玉を抱きしめ、慈しみたい想いはある。
けれどこのままではいけない。
このまま時が過ぎれば、待っているのは珠玉の死。だからこそ今動かなければならない。
「……倢伃。随分と印象が違いますね。私の知る貴女はいつも後宮で慎ましく暮らしていました。公主の傍だけを安息とし、後宮という俗世から浮世離れしたような生き方をしていると。そんな強い意思を持っていたなど知りませんでした」
「…………」
「何が起きたのか聞きたいところだわ。紫釉皇子が切っ掛けかしら」
紫釉の名前に玲秋は驚いて顔を上げれば、紹賢妃はニコリと微笑んだ。
弧を描く唇が鮮やかに映し出されている。
「貴女が矢傷を負ってまで皇子を庇った話……後宮で箝口令が出されているけれど、知っている者は知っているわよ」
「…………!」
紫釉から傷を負った事情は内密に通すと伝えられていただけに玲秋は驚いた。守衛兵がいたため、見られていることは分かっていたが、あくまで玲秋は偶然巻き込まれてしまったということで片付けていた。
それでも一部の者には玲秋が紫釉を庇った姿を見ていただろう。
そして思い出す。
緊急を要する手当だとはいえ、玲秋は彼と唇を重ねていたのだと。
頭痛で朦朧とする意識の中でやけに鮮明に思い出せる紫釉との口づけを思い出すだけで玲秋の頬は林檎のような赤く染まりだした。
紫釉には体調が回復した後に改めて謝罪され、玲秋も感謝はすれど批難することなど全くない。
何よりも不思議であったことが、突然とはいえ紫釉に口づけされたことに対し何一つ嫌な気持ちになどならなかった。
それどころか……
玲秋は考えを止め、紹賢妃に向き合った。
「ねえ、教えて。何が貴女をそこまで強く行動させるのかしら」
賢妃の言葉に、玲秋は瞳が揺れる。
理由など分かりきっている。けれど、それを口に出すことなど出来るはずもない。
「…………公主をお救いするため、では……駄目でしょうか」
「今のままでは良くないと?」
「はい」
「何故、貴女がそのような事を知っているのか……口を割らせたくとも叶わないでしょうね」
目の前に座る玲秋の表情から紹とて分かる。
彼女の強い意思を。
少なくとも紹自身に対し危険な行動をすることはないと考えられる。むしろ、ここで彼女を突き放したことにより良くない方向に物事が進むことは案じなければならない。
だとすれば傍に置く方が得策と言える。
「分かりました。貴女を官女として仕えさせるよう手配しましょう」
「有難うございます……!」
喜びというよりもひどく安堵させた顔をして玲秋は深く礼を述べた。
紹には事実は分からないが、それでも野放しにすることは出来ないと悟った。何より玲秋の背後には微かにだが紫釉の影がある。他の妃には漏れていないだろうが紹の情報では近頃玲秋の傍で仕えることになった官女が、どうやら紫釉から手配された者であるというものだったのだ。
(弟に判断を仰ぐか)
紹賢妃の弟、劉偉が近頃紫釉皇子と連絡を取り合っていることは弟の使いからも聞いていた。
もし全てが事実であるならば、玲秋は
「けれど、貴女をそのまま官女として使うわけにはいかないわね。明明、支度道具を運ばせて」
「かしこまりました」
明明と呼ばれた官女が部屋を去る。
それからしばらくして数多くの使用人達が訪れた。
各々が運んできた物は、明らかに衣装道具と呼ばれる物一式であった。
「…………え?」
この時から数刻して。
倢伃玲秋は見たこともないほど美しい官女、蓮花として生まれ変わる。
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