第17話 天の祭祀 七
柔らかな感触、息すらも閉じ込めるほどに強く強く押し当てられた唇。
微かに開けた玲秋の唇に液体が流れ落ちる。水と共に小さく丸い薬のようなものが流れてきたことが分かった。
口付けにより流し込まれた水を吐き出すこともできないまま、玲秋は喉をコクリとならし水と小さな薬を流し込んだ。
飲み終えたことを確認した紫釉の顔が離れると紫釉は玲秋の頭を自身の膝に寝かせたまま玲秋の肩に触れた。見えないがビリビリと布が破ける音がする。
何が起きているのか玲秋には分からない。
ただ、先ほどまであった寒気や頭痛は相変わらず玲秋を襲う。
意識を失いかけたところで痛みが走る。
「水だ。毒を流す」
何処から出したのか、紫釉は水筒に入っていた水を玲秋の肩に掛けた。その水の勢いに痛みが走ったらしい。
水筒の水を全て傷に注いでからも紫釉の手際は素早かった。傷口を清潔な布で清めた後に軟膏を塗る。
首を少しだけ動かし、玲秋はむき出しになった自身の肩を見つめた。
以前受けた首の傷よりもだいぶ軽傷で済んだことが分かり、玲秋はホッとした。それでもおそらく毒は塗られていたはずだ。
ああ。そうか。
「何の毒か……お分かりなのですね……」
「…………ああ」
玲秋は紫釉が過去に起きた暗殺を全て把握しているのだと、彼の回答から理解した。
この日に襲われることも、玲秋が庇ったことも、矢には毒が塗られており、その毒が何であるのかも。
起きることが分かっていたからこそ、紫釉は予め解毒の薬や軟膏薬、更には水筒まで用意して待ち構えていたのだ。
万が一傷を受けてしまった場合にすぐ手当ができるように。
「玲秋殿。失礼する」
「え……?」
声を掛けられたと思った次の瞬間、玲秋は体が浮き上がった。
紫釉に横抱きされたのだ。
「皇子……っ」
「医師に診てもらう。大人しくしていてくれ」
玲秋とさほど身長が変わらないはずの紫釉によって軽々と運ばれていく。玲秋は暴れることも、抵抗することも出来ず委縮する思いで紫釉を見つめていた。
間近にする紫釉の整った顔立ちが、何処か苦悶に満ちている。
後悔しているのだ。
「……お役に立つことができませんでした……申し訳ございません。
「貴女は何も知らなかったのだ。貴女に責など決してない」
「ですが」
「玲秋殿に真実を伝えなかったのは私だ。全ては私の責である」
そんなことはない。
玲秋は首を横に振る。しかし、見つめる紫釉の表情を見れば、彼が玲秋の言葉に納得することはないと分かる。
これ以上追求しても互いに自分を責めるだけだろう。
だから玲秋は尋ねる。
「皇子は……暗殺の計画をご存知でいらっしゃったのですね? 私が貴方様を庇い、傷を負うこともご存知でいらっしゃった……違いますか?」
「…………そうだ」
はっきりと紫釉が答えた。
「全て知っていた。私も貴女に問おう。貴女も知っていたのだな。今日この日、この場で私が襲われるということを。そして、貴女が私を庇い、深い傷を負ったということを」
紫釉の言葉に玲秋は黙って頷いた。
「ゆっくり話をしよう。まずは貴女の手当てが先だが、必ず時間を作る」
行宮の一室に入ると寝台が目に映る。
紫釉は丁寧に玲秋をそこに横たわらせた後、玲秋の解れ毛に触れる。
優しく、愛おしそうに髪をなぞる指先を玲秋は見つめる。
突然の行動に息を吸うことも忘れてしまう。
名残惜しく髪に触れていた紫釉が立ち上がると、少し離れた先で控えていた医師に対し指示をする。傷の症状、毒の内容、念のため与えた薬まで淡々と伝えた紫釉は玲秋を一瞥することもなくその場を去って行った。
残された玲秋は茫然と紫釉の背中を目で追う。
どくどくと胸が鳴るのは、受けた傷のせいだろうか。
以前ほど深くはないとはいえ、玲秋は毒を含む傷を負ったのだ。痛みは相変わらず体を襲い、頭痛だって収まらない。
与えられた薬や治療の効果なのか、以前のように意識を失うこともない。
それでも思う。
自分は夢を見ているのではないか、と。
今の玲秋は意識を失い都合の良い夢を、理想の夢を見ているのではないか。
あれほどに優しく紫釉に守られた事実が現実とは思い難く。
愛おしく髪を撫でた紫釉の指先と、その間近で見つめ合った紫色の瞳を目の当たりにして。
その瞳が、愛おしそうに玲秋を見ていたなんて。
到底現実と思えなかったのだ。
その晩から翌日に掛けて玲秋は治療を受け、長い睡眠をとった。
目覚めた時には日も昇り昼に差し掛かる時刻だった。
傷口は炎症しているのか先日よりも腫れていた。だが、絶え間なく襲っていた頭痛や吐き気のような症状はなかった。
目覚めた玲秋を診た医師は告げる。
「傷が浅かったお陰で毒が内部まで届いておりませんでした。薬の効果もあるでしょう。ただ傷のある箇所は毒と傷により熱を持っております。暫くは冷やし安静にしてください」
「ありがとうございます」
過去に自身を診てくれた医者と同じ老師に礼を告げる。以前は、こうして話をするのにひと月以上は掛かった。
軽く触れてみればだいぶ腫れている肩を祥媛が水で冷やした手ぬぐいで優しく押し当てる。その表情は怒っていた。
玲秋が黙って行宮を抜け出たことを余夏から聞いているのだろう。
何度も謝ったものの、まだ怒りが治まらないらしい。
玲秋は不謹慎にも喜んでしまった。
自身を心配してくれる祥媛や余夏の存在が嬉しかったのだ。
遅くなった昼食を夕餉前に食べている時、祥媛が告げた。
「紫釉皇子がお見えになりました」と。
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