第16話 天の祭祀 六

 行宮の建物を少し離れただけで周囲は薄暗い。空に満点の星や月でも出ていればまだ明るいが、天候は悪く空は雲に覆われていた。

 薄暗い中、眼を凝らし玲秋は辺りを窺った。

 

(この辺りだったはずよ)


 過去に紫釉と出会い、そして彼を庇った場所を玲秋は僅かにだが覚えている。真っ暗な茂みの中から鋭利な刃と共に殺意が紫釉を照らし襲い掛かった場所。一瞬の出来事だったあの瞬間、玲秋はひどくゆっくりと時間が過ぎていくのを感じていたのだ。

 駆け付けた場所で紫釉の後ろ姿を見つけた時は、声に出してしまうほどに喜んだ。


「皇子……!」

「玲秋!? 何故貴女がここにいるのだ!」


 呼ばれた紫釉の表情が玲秋を見つけた途端みるみると強張るのが暗闇の中でも分かった。ひどく焦った様子で駆け寄り、肩を強く掴まれた。


「珠玉の元にいるよう文を出しただろう! ここに来てはならない!」

「…………どうしてでしょうか?」

「それ、は……」


 玲秋に問われた紫釉の表情が苦悶に歪む姿を見て、玲秋は確信した。

 


「……皇子は、これから起こることをご存知でいらっしゃるのですね」


 玲秋の零した囁きを紫釉は聞き逃さなかった。

 暗闇の中では夕暮れのように美しい瞳の色は映し出されないが、その瞳が大きく見開き玲秋を見つめた。信じられない、とでも言いたげな表情は言葉を失っていた。

 玲秋は、そんな紫釉の姿をひどく落ち着いて見つめていた。

 彼は知っていたのだ。

 玲秋がここで紫釉を庇い傷を負うということを。

 だからこそ、紫釉は玲秋をここに近づけさせないよう文を送った。

 過去を何もしらない玲秋であれば、紫釉の言う通り珠玉の元で一日を過ごしただろう。外に出ることもなく、暖かな部屋の中で一日を終えていたはずだ。

 余夏にも外出しないよう命じるほどに、玲秋を危険から遠ざけようとしてくれていたのだ。

 それで充分だ。


「感謝致します、皇子」


 たとえ未来を知っていたとしても、自身が狙われることを知っているというのに。

 その中で玲秋を傷つけないよう気付かれないよう守られていたことが嬉しかった。


「分かっているのなら尚更ここに居てはならない。早く部屋に……」


 言葉を切り、紫釉の動きが止まった。

 すると玲秋を抱き締めると地に伏した。

 突然押し倒される形となった玲秋は何が起きたのか一瞬分からなかったが、遠くから聞こえる草木の揺れる音から暗殺の刃が向けられたことに気が付いた。

 守るどころか守られてしまった。

 過去と異なる状況になったことで玲秋は混乱しながらも倒れた状態のまま紫釉を見上げていた。

 紫釉は帯刀していた刃を構えると玲秋を守る形で振り返り襲い掛かる刺客に向き合った。

 刺客の振るう剣を剣で留め、力を持って跳ね返した。

 まだ若い青年の腕に一体どれほどの筋力があるのだろう。

 軽々とした身のこなし複数人いる刺客の剣を優雅に躱わし追い詰める。

 周囲に身を潜めていた紫釉の護衛が一気に現れたことで事態は一転する。待ち構えられたことを知らなかった刺客達は次々に倒れ、逃げ出そうとする者を護衛兵が追いかける。

 その様子を玲秋は座り込みながら茫然と眺めていた。

 機敏な動き、予め待機していた兵。

 予感はもう確信に変わっていた。

 ほとんどの刺客が捕らえられる姿を見て安堵した玲秋だったが一つだけ気掛かりがあった。

 過去に玲秋が庇った傷は矢傷だった。

 けれど今いる刺客の中で矢を放つ者がいない。


「皇子……あの」


 疑問を口に出そうとした時。

 玲秋は既視感を抱いた。

 あの時と一緒だった。

 紫釉から僅かに離れた木々の隙間。暗闇に紛れた鋭利な刃と殺意が見えた。

 

「皇子!」


 玲秋は立ち上がり紫釉に思いきりぶつかった。

 それは、過去と全く同じ動きだった。

 無我夢中に走り、身体を押して庇い。

 そして痛みが走る。


「玲秋っ!」


 悲痛な紫釉の叫び声が耳に響く。

 遠くから刺客らしき男の悲鳴が聞こえた。どうやら矢を放ったことにより護衛兵に見つかり捕らえられたのだろうと、玲秋は焼けるように痛む腕を抑えながらそんなことを考えていた。

 以前は首をかすめた矢が、今度は腕をかすめたらしい。

 ただのかすり傷であれば起きないような頭痛が始まった。

 毒だ。

 毒の効果により玲秋の意識が朦朧とし始める。

 だがそれ以上の衝撃が玲秋を襲った。


 突如、玲秋の唇が紫釉によって塞がれたのだった。

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