第15話 天の祭祀 五

 その日はひどい寒波に襲われ、凍えるほどに冷え込んだ気候に覆われてた。

 風も強く祭祀をするには悪天候ではあるものの、行事を後ろ倒しにすることもできず式典は執り行われていた。

 玲秋は体調を崩しがちな珠玉のために行宮に向かい朝から夕刻までずっと付き添っていた。

 ビョウビョウと風が窓を鳴らす度に珠玉は怖がり玲秋にしがみ付く。

 玲秋は寝台で共に横たわりながら優しく抱き締め背中を撫でる。


(以前と変わらない……)


 この日、紫釉皇子に暗殺の手が伸びる日。

 玲秋が彼を庇い首に傷を受けた日と全く同じだった。


(本当に繰り返しているのね)


 過去の記憶と同じであっても実際に体感するとなると全く違う感覚だった。珠玉の温もりが同じだったとしても以前の温もりを覚えているわけではない。珠玉を想う愛しさは、それこそ以前以上に増している。

 玲秋は珠玉をあやしながら昨日届いた文の内容を思い出していた。


(今日一日ここに滞在してほしいと書かれていた……)


 行宮は皇族の者か皇帝が寵愛し呼び出された妃以外は入室すら出来ない高貴な場所。珠玉の子守があるからこそ日中に入ることが許される玲秋だったが、寝泊まりするなどあり得ないことだった。

 それが紫釉により、今日一日の滞在が許されたという。

 今日訪れてみれば、余夏を含めた珠玉の侍女は玲秋が寝泊まりすることを既に知っていた。どうやら内務府から伝達があったらしい。

 凍えるような外の寒さを思い出せば有難い話に感謝するところだろう。

 けれど玲秋は違う。

 ずっと、違和感がある。


(どうして今日……よりにもよって、皇子に暗殺の手が掛かるかもしれないという日に)


 玲秋の傍には官女が様子を見ていた。

 その中には余夏もいる。

 珠玉が落ち着き眠るまで、官女達は揃って息を潜め待っている。

 過去の時は大分時間を掛けて寝付いた珠玉が眠りについた後、玲秋は寒空の中天幕に戻ろうとする。

 その時に紫釉と遭遇した。そして、彼を庇い傷を負った。


(…………)


 うとうとと眠り出した珠玉の背中をずっと撫でながら玲秋は物思いに耽る。

 いつもなら、つい珠玉と一緒にうたた寝をしてしまうところだけれども、今日は緊張のせいかずっと指先が冷たい。


(また同じ傷を負うことを考えれば当然ね……)


 あの痛みを、苦しみをもう一度味わうことを考えれば恐ろしかった。

 出来ることならば痛みを負わずに終えてしまいたいと切に願う。

 幸いなことは、当時紫釉を庇った時は無我夢中だったから痛みなど気にもならなかったことだ。

 当時はとっさに庇ってから意識を失い、気が付いたら寝台の上で幾日も経った後だった。

 

 これから同じことを繰り返そうとしている。

 何か防げる術がないかとも考えた。

 けれど、どう伝えればよいのか。

 末端の妃が皇子の暗殺計画を知っているともなればかえって疑われることもあり得る。

 先に暗殺者を防ぐことや紫釉の行動を制限するような助言をするにしても玲秋には理由がない。

 結局、以前と同じように玲秋が身を挺して守るしか方法が見つからなかった。


「…………お休みなさいませ」


 すうすうと寝息が聞こえだし、玲秋は眠りの世界に入った珠玉を優しく撫でた。

 起こさないようゆっくりと身体を起こし官女達に目配せする。

 官女達は安堵した様子で玲秋に向けて微笑み返した。彼女達もまた、体調が良くない珠玉を心配していたのだ。

 声を殺し珠玉の部屋から出た玲秋を襲ったのは冷たい風だった。


「徐倢伃。どうぞこちらを」


 余夏が気を利かせ羽織りを持ってきてくれた。


「ありがとう」

「珠玉公主のお隣に部屋をご用意しております。このまま休まれてください」

「…………少し、外に出ても良いかしら?」


 緊張して声が妙に上擦ってしまった。


「もう日は暮れておりますし、外も大変冷えております。どうぞこのままお休みになられてくださいまし」


 困った様子の余夏が提言すると、少しだけ近づき耳元で囁く。


「皇子より、今日は一日行宮から出ないよう命じられております」


 そう、確かに告げた。

 玲秋は暫く黙っていたが「分かりました」とだけ告げ、余夏の案内する部屋に移動した。珠玉の隣に用意された広い部屋の中は暖かい。随分前から用意されていたらしい暖と軽食が置かれていた。

 

「体を清めたいからお湯を持ってきてくれる?」

「かしこまりました」


 余夏が頭を下げ部屋を出ていく。

 足音が小さくなるのを確認してから玲秋はそっと入ってきた扉を開けた。

 周囲を確認するが見張りはいない。

 

(余夏、ごめんなさい)


 心の中で謝ってから玲秋は静かに回廊を走る。


 ずっと、小さな違和感があった。

 過去に戻ってから物事は以前と同じように時を刻んでいた。

 多少前後したり変化があったとしても、玲秋の記憶の中でさほど大きな変化はなかった。


 ただ一つを除いて。


 二年前に戻ってから違うことがあった。


 祥月命日で会った紫釉。

 以前よりも早い文のやりとり。

 そして今日の指示。


 その、紫釉に関係するどれもが過去と異なっていた。

 何が原因かは分からない。

 ただ、紫釉との関係が以前と違うことだけは確かだった。

 だからこそ、玲秋は走った。

 彼を救うためでもあり、何よりこの違和感の答えを知るために。

 

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