第14話 天の祭祀 四
紹賢妃。
紹大将軍家は名門の出により、紹の名は常に官僚の中に存在した。
父は刑部尚書を勤め、彼女の兄は汪国の大将軍である。その出自と親類の根強さから後宮入りが約束されていた。
昭儀の位を得て後宮へと入った彼女は聡く後宮内の妃からも信頼が厚い。
周賢妃が亡くなられた後、即座に賢妃の位を得て四夫人の一人となった。
玲秋の知る過去で彼女は皇帝の子を身籠るも、臨月を前にして亡くなってしまう。
それが毒殺であったと噂され、後宮内で捜査が行われた。
そして捕らえられた犯人の李淑妃の元官女だった。元官女は紹賢妃の官女として異動してきていた。その彼女が賢妃の料理に毒を盛っていたのだと証人が現れた。実際に調べてみれば証拠品が隠されていた場所も露見し、厳しい尋問の末に官女は淑妃から命じられたのだと口を割った。
そんな命を出したことはない、無実だと泣き叫ぶ淑妃の声に耳を傾ける者はなく。
淑妃は冷宮に命じられ、その三か月後に自ら持っていた簪で命を絶っていた。
官女もまた処刑され、瞬く間に後宮は淑妃と賢妃を失うことになった。
(あの事件が起きていないから……賢妃がいらっしゃるのは当然のこと)
頭では理解できているのに、いざ顔を合わせると動揺してしまった。
何より安堵する。
聡明で後宮に住む妃達にとって憧れ、尊敬を抱く紹賢妃が生きている。
玲秋に対しても彼女は優しく接してくれた。
滅多に会う機会はなかったものの、四夫人に挨拶へ行けば必ず優しい言葉をかけてきてくれた。
(そんな御方がどうして此処に)
それより、何て声を掛けられたっけ。
玲秋が茫然としていると、紹賢妃は官女や使用人を下がるよう命じる。
優雅に一歩、一歩と玲秋に近付いてくる。
眦に付けた紅の化粧がよく映える。彼女の眼差しは強く真っすぐに人を捕らえて逃さない。
絶えず浮かべる笑顔に悪意は感じない。それどころか、まるで幼子のように好奇心で目を輝かせていた。
「あの……」
「ああ、挨拶はいいわ。不躾に見ていたのは私の方だから」
後ずさる玲秋に対してぐんぐんと近付いてくる紹賢妃からは椿の良い香がした。
「徐倢伃も言い返す度胸があるだなんて知らなかったわ。嫌味に聞こえたらごめんなさい。純粋に驚いたの。大人しい方だと思っていたから」
「いえ、そのような……」
紹賢妃の言う通り、玲秋は妃の中でも大人しく主張をほとんどしなかった。
妃の中でも地位は低く、珠玉公主の子守役としてしか見られていないのは玲秋も分かっていた。
(以前と違うと言えば、今の私は確固たる目的を持っているということ)
珠玉を死なせたくない。
それだけが、以前の玲秋と違うところだろう。
その事がどう自身にとって影響を及ぼしているのか分からないが、少なからず今の玲秋に変化を起こしていることは事実だった。
「趙昭儀の一派が近頃あのように他の妃に対し牽制をしていることは報告を受けているわ……今回のことで貴女にまた絡んでくるかもしれない。その時は私の名を使ってくれて構わないから」
「恐れ入ります」
「後宮の
「有難いお言葉です」
玲秋は感謝を述べながらも、それでも紹賢妃の言葉に従うつもりはなかった。
彼女は玲秋以外の妃にも手を貸している。これ以上の負担を掛けたくなかった。
(これから先、賢妃は懐妊なさる)
もし未来が以前と同じ道を辿ることがあるとしたら。
玲秋は紹賢妃の重荷にだけはなりたくなかった。
紹賢妃と別れた後、玲秋の休む天幕に一人の官女が訪れてきた。
祥媛が応対し終えると玲秋の元にやってくる。
「文をお預かり致しました」
誰から、とは言わないものの玲秋に文を送る主など決まっている。
紫釉皇子だ。
玲秋は改めて椅子に座り直すと文を開いた。文は珍しいことに小さな紙で届いた。
紙は貴重なため主流は未だ木簡や竹簡だった。
小さく収まった紙を開くと相変わらず達筆な文字が記されていた。
「…………どういうことかしら?」
紫釉からの文にはこう記されていた。
『明日は貴女が珠玉の元で寝泊まりできるよう手配した。珠玉が不安な夜を過ごしていると思うため、どうか貴女の御手で妹の心を落ち着かせて頂きたい。明日は寒波となるため屋敷の中に留まり妹の世話を任せたい』
同じ地にいるはずなのに顔を合わせる機会がほとんどない紫釉からの手紙は、妹を労わる兄が心配し采配したように書かれていた。
けれど玲秋にはどうしても腑に落ちないことがあった。
(明日が寒波となることをどうしてご存知なのかしら)
風水師による明日の気象は晴天で風も微々たるものであると告げられていることを、玲秋は聞いていた。珠玉の元に訪れていた遣いが報告していたのを聞いていたからだ。
けれど玲秋も知っている。
明日は寒波となり、風強く肌寒い気候となる。
何故なら明日こそが。
紫釉の暗殺計画が行われる当日なのだから。
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