第18話 天の祭祀 八
入室してきた紫釉に対し祥媛が頭を下げる。「二人で話をしたい」と告げれば祥媛は何も言わず静かに部屋を出て行った。
二人きりとなった空間に玲秋は緊張し、鼓動がうるさいほどに高鳴っていた。
紫釉は正面を向き玲秋の顔を見つめたままゆっくりと近付いてきた。
寝台で上半身だけ起こした状態の玲秋はそのまま頭を下げる。紫釉が寝台の横に置かれた椅子に腰掛けると玲秋の手に触れる。
「顔を上げてほしい」
告げられ、玲秋はゆっくりと顔を上げた。
少しだけ焦燥した表情を浮かべる紫釉がそこにはいた。
「体調はどうだ?」
「毒の影響はないとお医者様から言われました。肩の腫れも安静にしていれば治るだろうと」
「そうか……………そうか」
一度目は軽く返すような声色で、二度目は深く安堵した様子で紫釉が告げた。
それだけで、どれほど玲秋のことを心配していたか分かる。
玲秋は御礼しか出来ないことへの歯がゆさを抱きながらも、紫釉に感謝の言葉を捧げる。
紫釉は静かに笑みを浮かべ、その言葉を受け入れた。
「さて……本題に入ろうか。貴女もずっと気になっていただろう」
「はい。それはもう」
目覚めてから紫釉に会えるまで何度も考えては答えの見つからない思考に悩まされたほどに。
玲秋の答えに苦笑しつつ紫釉は唇を開く。だが、すぐに言葉は紡がれなかった。
どう伝えればよいのか躊躇しながらも口を開いた。
「私は貴女が昨夜傷を負うことを知っている。それだけではなく、この先起きることも知っている」
「…………」
「貴女が私と同じように過去を知っているのであれば教えてほしい。貴女の知る過去のことを」
玲秋は戸惑いながらも一つずつ伝えた。
この先、汪国は国が乱れる。天災が起こり民の心は乱れ、皇帝は政を疎かにしだす。
二年の時を得て紫釉皇子が趙将軍と共に謀反を起こす。
そして。
「…………私は珠玉公主と共に命を落としました」
「……………………」
玲秋は言えなかった。それが、紫釉の命によるものだと。
真実を確認することが怖かった。
「教えて下さいませ。私の身に起きたことは真実なのでしょうか? それとも、何か悪い夢でも見ているのでしょうか」
紫釉ならば知っているのではないか。
そんな期待を抱かずにはいられなかった。
だが、紫釉は少しだけ玲秋から視線を逸らしたまま口を開いた。
「私も同じ事を体験した。それが真実か偽りか、はたまた夢であるのかは知り得ることではない。天の気まぐれで私達にだけ夢を見せているのだと言われれば、それを信じるであろうな」
「そう、ですか……」
紫釉もまた同じで、分からずに過去に戻されたのだと玲秋は納得する。
「過去をご存知であれば珠玉公主が亡くなられたこともお分かりでしょう。もしやり直せるのであれば、私は珠玉公主を御守りしたいのです」
「玲秋殿……」
「不敬であることは重々承知しております。どうか、珠玉公主の命だけはお助けくださいませ」
玲秋はその場で手を前に添え平伏した。肩を動かすしぐさにより傷口が痛むが、それを無視して紫釉に頭を下げた。
「玲秋っ」
「お願い致します。珠玉公主を……」
「珠玉を殺すよう命じたのは私ではない」
紫釉は僅かに声を張り上げながら玲秋の体を支え起こした。
表情は苦く険しさを増していた。驚く様子の玲秋を見つめながらもう一度告げる。
「私は珠玉を、貴女を殺せなど一度たりとも命じていない」
「皇子……」
「信じてほしい」
悲痛なほどに願い乞う声色に偽りはなかった。傷ついたように紫の瞳が揺れながら、玲秋に信じてほしいと訴える。
「救いたいとずっと……ずっと願っていたのだ。貴女と幼い妹を、後宮から引き離し安寧な地で心穏やかに暮らしてほしいと望んでいる。だが、それは今ではないのだ。事を急いて仕損じてしまえば取り返しがつかなくなってしまう……私は過去でその事を知った」
「皇子」
「紫釉と呼んでくれないか? 玲秋」
玲秋には不思議でならなかった。
紫釉の表情は、まだ十四の若き青年が浮かべるにはあまりにも大人びていたことを。
けれど真実を知れば理解できる。
今、目の前にいる紫釉は過去を経験した紫釉なのだ。たとえ肉体の年齢が十四であろうと、彼は既に十六年以上の年月を生きていることを理解した。
「紫釉……皇子の言葉を信じます。死ぬ最期の時までずっと疑問に抱いていたのです。紫釉皇子が公女や私を生き埋めにするようなむごい仕打ちはなさらないはずだと」
「勿論だ。あの時、もっと私が早く王都に戻り処遇を決めていればよかったのだ。愚かにも紹将軍の言葉を信じたことが過ちだった……今更そなたに告げても遅いのだがな。怖い思いをさせた……すまなかった」
紫釉の指が玲秋の頬に触れる。
玲秋と同じぐらいの若々しい手のひらが慈しむように頬を撫でた。
紫釉は、玲秋と珠玉がどのような最期であったのか知っているのだ。生きたまま亡き皇帝の墓所に閉じ込められ命を落としたことを。
あの時は死の恐怖以上に悲しかったのだ。
愛する珠玉を守れなかったことが。
信じたいと思っていた紫釉に裏切られたことが。
けれど、その恐怖はもう無い。
「大丈夫です……もう、大丈夫ですよ」
自身の言葉で紫釉の心が慰められるとは思っていない。
それでも玲秋は願う。
どうか紫釉の中に潜む後悔が少しでも払拭できることを。
それから、いくつか過去に関する話をお互いに語り合った。
互いに相違が無いか確認しあうように過去の出来事を話してみれば、ほとんどの話が一致した。
ただ、玲秋に分かる話は後宮内での情報だけで、紫釉から聞いた外政の話は初耳なことばかりだった。
紫釉は難しい顔をしながら足を組む。
「後宮での話は知らぬ話ばかりであった。やはり、後宮の事は内部の者でしか分からないものだな」
「ええ……後宮は隔離された世界でございましたから」
「……玲秋殿は紹賢妃と面識はあるか?」
「はい。四夫人とは毎朝必ず挨拶を交わさなければなりませんから顔を合わせます。親しいかと言われれば恐れ多いことにございますが……」
「…………玲秋殿には伝えておくべきかもしれない。このことは他言しないよう注意してほしい」
紫釉の声色に緊張が走り、玲秋も息を潜め紫釉の言葉を待った。
「紹賢妃。名は紹充栄……紹大将軍の姉である彼女が秋に亡くなることは知っているか?」
「はい……」
玲秋はつい先日顔を合わせた紹賢妃のことを思い出す。
真っすぐに玲秋を捉えた強い瞳。
他の妃達のように玲秋を嘲ることなく対話してくれる聡き妃。
しかし彼女は臨月となった頃、お腹の子と共に命を落とすことを玲秋は覚えている。
「紹賢妃の死について医師は予期せぬ早産によるものだと伝えていたが、あれは真実ではない。彼女は何者かに殺された。その容疑が趙昭儀……後の趙貴妃なのだ」
「…………え?」
玲秋は目を見開き紫釉の言葉を聞いた。
確かに、噂で流れたことはある。間もなく出産となる紹賢妃が突然命を亡くした時、誰かに暗殺されたのではないかと。
それまで賢妃は体調を悪くすることもなく、早く出たいとばかりにお腹を蹴る我が子を愛おしそうに撫でていたことを玲秋は知っている。
だからこそ亡くなられた話を知った時は信じられなかった。
御子が早くに生まれようとしたため間に合うことなく命を落としてしまったのだという報せが玲秋に届いただけだった。
「彼女の死後、国は大きく荒れる。特に紹賢妃の実弟である紹将軍はこれより汪国に対し叛意を抱く。過去、将軍に共謀し共に父の命を絶った。将軍が皇帝と後宮を憎んでいたことに気が付かず、私は彼の言葉を信じ行動していた。彼は……彼の姉を殺し、真実を闇に葬った後宮を憎んでいた。私はその事実に気付けず、私が城を離れた隙に後宮の者を皆殺しにしていたのだ……だから、全ての責は私にあるのだ」
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