第11話 天の祭祀 一

 天の祭祀は、天地を祀る儀式。

 汪国より南郊で天を祀るための大礼である。これには必ず天子たる皇帝、ならびに皇帝の子孫は全て参加しなければならない。

 始祖を敬い天を敬うための儀であり、何より新たな年を始めるための儀式として汪国では執り行われている。

 これには必ず妃嬪も参列する。

 南郊に大移動する行列は町民にとっても年の瀬を感じさせる恒例行事となっていた。

 


 玲秋が過去に戻る以前のことだ。

 天の祭祀に参加した玲秋は、移動で疲れ体調を崩すことが多かった珠玉の世話をしていた。

 その日は特に寒く、寝付きの悪かった珠玉を休ませた後に玲秋の寝所である天幕に移動する時だった。


 薄暗い中、側仕えの官女は寝所の支度で不在だった。

 それでも近辺に衛兵もいるため、何一つ不安を抱くこともなかったのだが。

 その考えは大いに覆されることとなった。

 

 玲秋が歩いていると一人の若き皇子と対面した。

 玲秋は相手が紫釉と分かるや否や膝を折り頭を下げた。

 当時、玲秋と紫釉は顔を合わせ話す機会もなかったが、玲秋は一方的に紫釉の顔を知っていた。

 何かと行事の折に顔を拝見する機会が多かったためである。

 紫釉は慣れた様子で玲秋の前を通り過ぎ、自身の寝所となる建物に向かうところだった。

 

 皇族にのみ用意された行宮があった。

 この地は冬の時期に利用される別荘地でもあった。皇族に連なる者および皇帝にお呼びのある妃嬪のみ行宮で過ごすことが許されていた。

 玲秋は選ばれなかったため、他の官女達と同様に天幕を与えられその中で過ごすように言われている。

 だが、珠玉の遊び相手であり子守役でもあったために行宮の内部に入ることは許されていたのだった。


 そんな中で出会った紫釉皇子が行宮に居ることは当然であった。

 玲秋は紫釉が通り過ぎ姿が見えなくなるまで頭を下げていたのだが、下げていたために発見することが出来たものがある。


 暗い木々の中で矢尻が輝くその光を。


「皇子!」


 何を、どう説明すべきかなどその時の玲秋には分からなかった。

 ただ紫釉に向けられた殺意を目の当たりにした玲秋は、不敬を承知で紫釉の前に飛び出た。

 

 振り返り驚いた様子で玲秋を見る紫釉の瞳と目が合った。

 薄暗い中でさえも濃紫の瞳がよく映えた。

 

 途端、首筋に燃えるような痛みが生じた。

 あまりの痛みに声をあげることすらできず、玲秋はその場に倒れた。

 首から溢れ出る自身の血の匂い。

 焼けるような痛み。

 傷みに蹲り脂汗をかく玲秋に誰かが近づいた気配だけが分かった。

 耳鳴りがする中で、喧騒の音だけがぼんやりと霞み聞こえてくる。


 体を起こされ、出血する首を強く布で押し当てられた。その圧迫に悲鳴を上げる。

 痛くて涙が滲む瞳に紫釉皇子の姿が映った。

 やはり美しい宝石のような紫の瞳がこちらを見ていた。

 その表情は澄ました表情とはかけ離れ、悲壮なほど焦った表情だった。


(困ったお顔は公主に似ていらっしゃるのね)


 痛く辛く、体も悲鳴をあげているというのにそんなことを考えて。

 おもわず玲秋は笑った。


 その後意識を失った玲秋は五日の間生死を彷徨い、どうにか目を覚ました。

 首の皮を破いた矢傷であったが、矢に毒が塗られていたため玲秋は解毒するまで瀕死の状態だったのだ。

 目覚めてから暫くは病床の身として扱われたが、毎日お見舞いと言っては会いに来る珠玉と共に床にいながら遊び回復を待った。

 ようやく起き上がれるようになった時には既に夏の日差しとなっていた。




(また繰り返されるのであれば、私は皇子をお救いしたい)


 あの時の痛みは覚えている。

 思い出すだけで恐怖に身は震える。本能的に避けたいとさえ思うが玲秋は自身にそれを許さなかった。

 ただ、少しだけ考える。


(けれどもし、皇子をお救いしなければ……)


 謀反が起きないのではないか?

 二年後に起きる、紫釉の謀反によって玲秋と珠玉は殺された。

 その元凶となる紫釉を見殺しにするという選択を、玲秋は思いついてしまう。

 体が自然と震え、己の考えに恐怖した。

 しかし……玲秋はそれでも決意する。


(そうだとしても、私は皇子をお救いしたい)


 もし彼が非道で残虐な皇子であればこんな決意も抱かなかっただろう。

 だが、今も以前も紫釉は優しい皇子だった。

 謀反の首謀者が紫釉であったと知らされた時も、最後の最後まで玲秋は紫釉を信じていたのには理由がある。

 むしろ、何故玲秋と珠玉が紫釉に殺されたのか知りたかった。

 

 玲秋は夕暮れに差し掛かった日暮れの光を頼りに文を書き始めた。


 紫釉にあてた文には、丁寧に相手の気遣いに感謝する言葉を並べると共に。

 天の祭祀への出席を望んでいることを記したのだった。

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