第12話 天の祭祀 二

 汪国の東部にある安州。

 州都となる春雷の都に州城が構えられている。名は燕青城という。

 広大な東の山脈から飛び交う燕の中に青い目を持つ燕が建設中の城に立ち止まったことから名付けられた城の中。

 紫釉は竹簡を読んでいた。

 

 燕青城は外的からの攻撃に備え標高ある箇所に城を構えている。窓辺からは汪国の恵みの水と言われる広い河が見える。

 水路を貿易の主とする民の舟が小さいながら見えるが、紫釉は外の景色を一切見ず竹簡に集中していた。

 読み終えた後、憂いた溜め息が漏れる。

 側仕えしている官吏が滅多にない主君の溜め息に手を止め視線を向けた。

 墨で汚れても目立たないという理由で黒い服を好む主君が物憂げに竹簡を見つめていた。


 側仕えの男は、近頃雰囲気が変わった君主に首を傾げる日々だった。

 服装も今のように自らの意思で実用的な黒い服を着るようになった。以前は、多少の好みはあったものの官女が持ってきた服を着ていた。


 何より変わったのは仕事だ。

 安州州牧に命じられた日は一年と経たないため、慣れない呼称や仕事も多いため他の役人の手助けを常に必要としていたのだが、この頃は全くといって見られない。

 それどころか先を急ぐように物事を進めるため、周囲の者が手助けを必要とするほどだった。

 その甲斐もあり安州は見違えるほど景気が回復していた。

 

 だが官吏の男が最も変わったものは表情だと思った。

 彼は十四歳という若者でありながら、時折ひどく大人びた表情を見せるのだ。

 子供なのだからと思い侮っていた感情は瞬く間に消え去った。

 子供だからと舐めた家臣は皆痛い思いをし、再起不能なまでに陥った。

 そんな姿を目の当たりにしていれば嫌でも理解するだろう。

 

 そんな、大きく変わったように見える君主が最も人間味ある表情を見せるのはいつだって届けられる文の前でだった。

 文の差出人は紫釉の乳母にして家庭教師でもあった女性、祥媛からである。

 近頃は凰柳城で母娘と共に勤めていると聞く。

 官吏は近親者に近い祥媛だからこそ、そのような表情を浮かべるのだと思っていたが。


 その文の差出人が祥媛の名で送られてくるだけで、玲秋による文だと知る者は。

 紫釉以外、誰も知ることはない。




 月日は巡り、後宮を飾っていた紅葉の木々も葉を散らし寒々しい景観となっていた。

 時折夜には雪もちらつくようになり、本格的に越冬に向けて支度が整えられていった頃。

 天の祭祀の日が訪れた。


 早朝から後宮だけではなく外朝も賑わいを見せていた。

 幾千にも及ぶ守衛兵が列を乱さず並び広場で起立し、皇帝が現れる時を待つ。

 皇帝、徐欣は深夜までの深酒に寵姫との時間で寝不足ではあったが、その疲れを見せず正装に身支度し人籠に乗って移動を始めた。

 徐欣の体は大きく、近頃は酒により一層重みを増したため人籠の人員が増えた。

 人籠の揺れが大きければ叱責を食らう。それどころか極刑の恐れもある。

 籠を運ぶ男達の手は緊張していた。

 回廊を進み広間まで向かえば、南部へ向かうための轀輬車おんりょうしゃが用意されていた。轀輬車は広く人が横になれるほどの広さを誇る。屋根、荷台至るところに装飾が施されている。

 民に対し威厳を示すために命じ作らせた宮殿のような馬車を見て、徐欣は満足そうに口角を上げた。

 広場で立っていた守衛兵らが一斉に跪拝し皇帝に敬意を見せた。

 皇帝はその光景を静かに受け止めた後、轀輬車に乗り移動が始まった。


 この時守衛兵らの中には各州を守護する大将軍らも含まれていた。

 一人、長い髪を垂らしながら跪拝していた男は地を睨みながら心の中で悪態を吐いていた。


(醜悪な乗り物だ)


 あれを見て民が抱く感情が敬意や畏れと思う皇帝の頭がおかしいのではないかというのが男の率直な感想だ。

 言葉には出来ない悪態を延々と思う。

 民は昨今の不作に不満が多い。

 その中で必要以上に華美な馬車で皇帝が徘徊したらどのような印象を与えるのかなど、賢い頭さえあれば分かるではないか。

 だが、現皇帝はそのような進言をする者の声を何一つ聞かなかった。

 それどころか、今以上に悪政に傾いていることを男は知っていた。


 皇帝の馬車が去った後、暫くして後宮から幾多もの馬車が進みだした。

 まずは皇后であるが、彼女は体調が思わしくないためひどくゆっくりと移動する。

 そのため道を譲る形で四つの馬車が進む。

 四夫人である。

 

 四夫人から少し離れて現れた馬車に頭を下げながら様子見ていた者達は驚いて僅かに動揺が走る。

 九嬪の中で、明らかに華美な馬車があったのだ。

 その華やかさから、明らかに皇帝徐欣と共に作られた馬車だと分かる。

 馬車の現れた順から察し、乗っている嬪は趙昭儀であった。

 最も皇帝から寵愛を得ている彼女が、内外に対し己の立ち位置を主張しているのだ。


 何よりも醜悪なことだと将軍の位にいる男は更に悪態を心の中で吐いた。

 皇帝が代わったところで次の代に立つ第一皇子も似たような人間であることを知っている。

 それでも男は皇帝に跪拝する。

 敬う理由が失われていく汪国皇帝の中に唯一の縁が現れるからだ。


 九嬪の馬車が通りすぎる中、そのいずれかの一つに大将軍たる紹劉偉が信頼する者が乗っている。


 馬車は皇帝や趙昭儀のように寝台のような作りではないため、一般的な馬車であった。平民と異なるのは馬車に天蓋を設け、席には寛ぐための装飾や枕が用意されていた。

 布で覆われた馬車から妃嬪の顔を見る機会を得るはずもなく、ただ確実にその中にいることだけは分かっている。

 他、二十七世婦、十一御妻の妃嬪らが立ち去り姿が見えなくなった後、将軍は立ち上がった。


「すぐに移動する」


 低く通った声に周囲の配下は声を挙げる。

 劉偉は長い髪を軽く払い、長い足で馬を待たせた城外に向かったのだった。




 移動が始まってから暫くして、玲秋は覆っていた布を自身で捲りあげ紐で留めた。そうすることで外の景色がよく見えた。


「…………懐かしい」


 外の景色はいたって平凡であった。

 広大な草原。時折畑が見える。

 畑仕事をしていた者らは皆頭を下げているが、作法がなっていない者は時々顔をあげてこちらを覗いている。

 何処か遠くで子供達の習い歌が聞こえてくる。

 玲秋は目を閉じた。草木の匂いを嗅ぎ、小さな子供の笑い声を聞いた。


 遠い、懐かしい幼い頃の思い出を感じさせる景色と匂いは。

 ほんの少しだけ、玲秋に郷愁を思い出させたのだった。

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