第8話 閑話 紫釉 一
ようやく。
ようやく相まみえたのだ。
久方ぶりに再会した彼の女性は何も変わってなどいなかった。
質素な衣を身に纏い、真っ直ぐに紫釉を見つめた。
そこには媚びるような感情もなければ妬みや殺意などもっての外だった。
ただひたすらに敬愛している公主を守るため、彼女は必死だった。
何も変わってなどいなかった。
紫釉は後宮の外で待っていたらしい官女と共に彼女が正門をくぐる姿を黙って見つめていた。
誰もが立ち寄れない皇帝の妻に与えられた後宮に、紫釉は足一歩踏み入れることは出来ない。
しかし彼女はここにいるのだ。
たとえ父である夫に相手にされまいと、無下な扱いを受け妃というには貧しい暮らしをしていようと。
紫釉の愛する人はここにいるのだ。
紫釉は一つだけ小さな溜め息を吐いた。
それが感嘆によるものなのか、それとも嘆きからくるものなのかは自身でさえも分からなかった。
ただ、先ほどから指先が微かに震えているため、ひどく緊張をしていたらしい。
もう一度だけ息を吐いてから、愛馬に跨った。
「城に戻る」
遠くから見守っていた衛兵に声を掛ける。
彼等は黙って紫釉の後ろをついていく。
ここに長居しては父と兄に勘ぐられてしまう。
そもそも一介の倢伃を馬に乗せて後宮に戻したことすら噂されてはならないのだが。
紫釉には我慢が出来なかった。
何年も会いたいと願っていたのだ。
いつか出会い、必ず彼女を幸せにするのだと。彼女によって生き永らえた命を、彼女のために使えることを本望としていたのだ。
現実は容易くない。
紫釉は汪国の第三皇子だ。決して軽はずみな行動をしてはならない。行動一つで命を失う可能性があることは重々承知している。
馬上から振り返る。
遠ざかった後宮は仰々しい堀に囲まれ、別空間のように存在している。
後宮に一度入った妃は、二度と出ることを許されない。
出る日があるとすれば、それは死か、はたまた出家か。その二択である。
それでも、短い時間ではあるが妃達が表に出る機会はある。
幸いなことに現皇帝は宴を好むため、幾多の妃達と宴を催すために外朝へ連れ出すことがある。今日のような祥月命日が良い例だ。何かと理由をつけては外に出て享楽に耽る。
父の愚行も、この時ばかりは感謝すべきだと紫釉は笑った。
後宮の天に昇る太陽を見上げた。
この空の下に彼の女性はいる。
生きて存在している。
それが何よりも、紫釉の心を安堵させたのだった。
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