ヘリコプターは、あっという間に間近に迫ってきた。ネイサンはエレインを乗せて、スノーモービルを最速で走らせていたが、すぐに追いつかれることを覚悟する。

 吹雪は、気象予報士の予測よりも、そしてネイサンの予想よりも早くおさまり始めていた。小屋で話をするよりすぐに出ていればよかったと、ネイサンは後悔したが、あの時はエレインと話をすること以上に大切なことなどないと思っていたのだから仕方がない。

 それでも、またもや自分の判断ミスで、エレインを危ない目に遭わせているこの現状に、自分自身を猛烈に責めていた。

 ヘリの爆音が耳に痛いほどになり、エレインが不安そうな顔でネイサンを振り返る。運転に集中しているネイサンに、エレインを励ます言葉をかける余裕はなかったので、視線をあわせて小さく頷いてみせた。エレインはそれで安心したのか、頷きかえしてまた前を向く。

 ネイサンの視界確保と、少しでも風の抵抗を小さくしようとしているのか、エレインは姿勢を低く頭を下げている。だが、エレインが少しばかりの努力をしたところで、ヘリとスノーモービルの速度は余りにも違いすぎた。

 爆音の中に銃声を聞き、ネイサンは反射的に大きくハンドルを切る。非常に危険だが、真っ直ぐ走らせて撃たれるより、蛇行運転で距離を稼ぐほうがいい。ネイサンは間近に迫ったヘリから、狙撃者が身を乗り出してこちらを狙っているのを、肩越しに振り返って確認する。そして、銃口から守るために、エレインの体に覆い被さるような前傾姿勢をとった。

 だが、次第に道幅が広くなっていき、風もおさまり、視界も良くなってくる。そんな条件の中、いくらネイサンでも、長くヘリからの狙撃をかわし続けることは出来なかった。

 まず、スノーモービルが被弾し、ハンドル操作がきかなくなる。スノーモービルは、まだ柔らかい新雪の中を激しく蛇行し、雪の吹き溜まりの中に突っ込んでいった。その直前、ネイサンはエレインを抱えてスノーモービルから飛び降り、そのまま雪の中を転がり落ちる。柔らかい雪がクッションとなり、二人は奇跡的に無傷で立ち上がった。

 ヘリは二人の上空に留まれず、一度二人の頭上を越えて飛んでいく。おさまってきたとはいえ、まだ強い風の中、ヘリもホバリング出来ないのが、二人に幸いした。


「こっちに!」


 ネイサンはエレインの手首をしっかりつかむと、雑木林に向かって走り出す。新雪に足を取られて転びかけたエレインを抱きかかえるようにして、ネイサンはどうにか雑木林の中に駆け込んだ。

 木々に邪魔され低空飛行も出来なくなったヘリが、発砲しながら上昇していく。ヘリから二人の姿は見えていないはずなので、悔し紛れに闇雲に撃っているだけなのだろう、銃弾が二人の近くにくることはなかった。




 ヘリの爆音が遠くに消え、しばらくたつと、ネイサンはようやく体の緊張をといた。

 途端に、右肩に鋭い痛みが走り、思わずうめき声をあげてしまった。


「ネイサン! 血が出てるわ!」

「たいしたことありません」


 傷口を見ようとするエレインを、ネイサンは押しとどめる。


「撃たれたのね?」

「大丈夫です」

「そんなわけないじゃない! 止血しなくちゃ」

「そんな暇ありません。ヘリは引き返しましたが、どこから新手がやってくるかわかりません。一刻も早く、下山しないと」


 ネイサンがそう言っている間にも、エレインは自分のスキージャケットを脱いで、アンダーシャツの袖を引きちぎり始めていた。


「エレイン様」

「ひどく痛む?」

「たいしたことありません」


 すでに袖を引きちぎってしまったので、ネイサンは諦めて大人しくエレインのなすがままになった。エレインはネイサンのジャケットを脱がせると、なんとか傷口より心臓に近い場所をしばろうとしたが、銃創が肩であり、引きちぎった袖ではかなり縛りにくかった。そうしている間にも、どんどん出血して、ネイサンのシャツが赤く染まっていく。


「ありがとうございます。先を急ぎましょう」


 手早く身繕いして立ち上がったネイサンは、顔色こそ少し悪かったが声には力もあり動作も素早かった。


「ふもとの部下が迎えにこちらへ向かっています。きっと途中で合流できるでしょう。それまで徒歩で下ります。大丈夫ですか?」

「勿論。頑張るわ」


 エレインは強く頷く。実際、エレインは同年代の女性の中では体力のあるほうだろう。勿論、ネイサンとは比べものにはならないが、スポーツ全般それなりに得意だということも知っている。それに、歩いてもらうしかないのだ。

 時折、頭上をヘリコプターの爆音が通り過ぎていく。ネイサンは平坦な道を下りてきたかったのだが、ヘリから狙撃されるわけにはいかない。道を下っていてヘリが来ても、雪山の中では、身を隠せるような所のほうが少ないのだ。

 ふもとの部下と連絡を取りたくても、携帯はスノーモービルから飛び降りたときの衝撃で壊れてしまっている。連絡が取れないことを不審に思って、部下達が急いで来てくれるのを祈るばかりだ。そうでなければ、きっとエレインの体力がもたない。

 エレインが自分の足跡をたどって歩けるように、ネイサンはエレインの歩幅で歩き、強く雪を踏みしめている。多少歩きやすくなっているだろうが、何の装備もなく、女性の体力で道なき雪山を下るのは難しい。それにきっと、今のエレインは万全の状態ではない。

 昨夜の自分の乱暴なまでの愛撫は、初めてのエレインには辛いばかりだっただろう。しかも、堅い床の上で眠ったのだから、疲れは取れていないはず。それどころかエレインはきっと一睡も出来なかったに違いない。エレインの告白を信じるのなら、きっと自分と同じく罪悪感に苦しんで。

 考え込もうとする自分を、ネイサンは軽く頭を横に振って追いやった。今は余計なことを考えて注意力を散漫にするわけにはいかない。すべて、エレインの安全を確保してから考えればいい。


「きゃあっ!」


 エレインの短い悲鳴に、はっと振り返る間もなく、ネイサンの横をエレインの体が滑り落ちていく。咄嗟にエレインの腕をつかんだが、雪の積もった斜面で踏みとどまることも出来ず、ネイサンもバランスを崩して滑り出してしまった。

 滑り落ちながら、ネイサンはしっかりとエレインの体を抱きかかえる。そこが少し開けた場所だったのは運が悪かったが、すぐにまた雑木林の中に突っ込んで、ネイサンは木の幹に着地するように滑降をとめた。

 安堵のため息をつくと、腕の中のエレインも同じように息をつくのがわかった。抱きしめる腕の力を緩めると、エレインが顔を上げる。


「大丈夫ですか?」

「ええ。ごめんなさい。足を滑らせて」

「歩いて下りてくるより速くてよかったかもしれませんよ」


 慎重にゆっくりと、ネイサンは体勢をたてなおした。これ以上滑り落ちないように、しっかりと足場を固めると、エレインの体から腕をはなす。エレインは自分一人で立てたのだが、体重を利き足の右にかける時、わずかに顔をしかめた。


「痛むんですか?」

「たいしたことないわ。ちゃんと歩ける」


 足首を見ようとするネイサンをとどめ、エレインはその場で足踏みをしてみせた。ネイサンはじっとエレインの表情を見つめ、少しでも痛みを感じていないか注意したが、どうやら大丈夫そうだった。

 一応納得し、ネイサンは歩き始めたが、歩調をゆるめエレインの様子を伺う。予想どおり、エレインはすぐに遅れ始めた。

 だが、ネイサンが心配そうに振り返ると笑顔を作り、遅れを取り戻そうと歩調を速くする。エレインの頑張りと頑固さに、ネイサンは三度まで同じ事を繰り返した。だが、しだいに速くなるエレインの呼吸と、ひきつってきた笑顔に、エレインを座らせる。抗議を無視してスキーズボンの裾をたくし上げると、足をくじいたらしく、右足首が真っ赤に腫れ上がっていた。

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