第六章

 199X年12月22日


 ネイサンは肘を突いた手で顔をおおいながら、じっと暖炉の炎を見つめている。ちらりと視線を移すと、エレインがこちらに背中を向け、丸くなって眠っている姿が視界に入った。エレインとは、あの後、全くなにも話していなかった。

 エレインは何も言わなかった。ただ、なんとも悲しげな顔でネイサンを見つめていたが、ネイサンが何も言わないのを知ると、背を向けて眠ってしまった。ネイサンは何を言えばいいのか、見当さえつかなかった。

 こんな形で処女を失ったエレインに対し、言わなければならないことはたくさんあるはずなのだが、言葉にならなかった。胸がいっぱいで、苦しいほどで、何を言えばいいのか、何を言う資格があるのか、エレインに対して言葉を発することさえ怖くなった。


(俺は馬鹿だ)


 何度目かもわからない言葉を心の中でつぶやき、頭を抱える。


(気が狂っていたとしか思えない)


 力任せに髪をかきむしり、ネイサンはうめき声を上げる。


(本当に、俺が彼女を汚してしまった)


 エレインはまだ誰のものでもない、清らかな乙女だったというのに。

 優しい愛撫をするわけではなく、容赦なく徹底的に貪るだけだった。初めてのエレインを労ることもなく、強引に押し入った。エレインはかなりの痛みを感じたはずだ。あの直前、エレインが優しくしてくれるように懇願してきたこと、更に自分がそれを無視したことも思い出したネイサンは、再びうめき声を上げる。


(俺は何てことを。なんて罪深いことを)


 最低だ。

 そうだ、俺は最低の男だ。わかっていたじゃないか。取り澄ました仮面を外した本当の自分は、所詮、こんな男なのだ。どす黒い感情に支配され、それを快楽にさえ感じ、舌なめずりしてエレインを貪った。


(理性のある人間のやることじゃない)


 かみしめた唇から、不意に笑いが漏れた。

 欲望のまま行動するなんて、獣だ。化け物だ。野獣のように醜い俺が、美しいエレインを求めたりするから、こんな事になる。


「……わかっていた。わかっていたさ」


 エレインを求めるのが間違っていたことは。だがそれでも、どうしても、エレインを求める気持ちを抑えられなかったのだ。

 ピーピーピーという甲高い電子音が、ネイサンを我にかえさせた。衛星携帯電話の呼び出し音だ。ネイサンはさっと緊張するとスイッチを入れた。

 もう太陽が昇る時間になっていた。そして、吹雪も収まりつつあるらしい。気象予報士の予測では、あと一時間ほどで移動可能になるとのことだった。携帯を切ると、ネイサンは外の様子を見に立ち上がった。

 窓は外から板でふさがれていたが、端の一枚の釘を外しておいたので、簡単に外を見ることが出来た。連絡通り、吹雪はかなり収まり始めていた。これなら、一時間も待たずに出発できるだろう。出発の準備をしようと振り返ると、いつの間にか起き出していたエレインが服を着ているところだった。

 ネイサンが持ってきたスキーウェアを着たエレインは、青ざめた顔を堅く強ばらせていた。勿論、ネイサンの方を見ようとはせず、じっと暖炉の火を見つめている。


「……出発するの?」


 エレインの声はひどくかすれていた。もしかしたら、喉が痛むのかもしれない。


「もうすぐ出ます。下は一時間後だと言ってきましたが、三十分後ぐらいに」

「わかりました」

「エレイン様……」


 あまりにも強い罪悪感に、ネイサンは謝罪の言葉さえ口に出来なかった。言葉だけの謝罪など、なんの意味もないように思えて。だが、このまま謝罪さえしないわけにはいかない。


「申し訳ありませんでした。謝ってすむことではないのはわかっていますが。俺はどうかしていました。本当に申し訳なく……」

「どうして、ネイサンが謝るの?」


 エレインのはっきりとした強い声に、ネイサンの謝罪は遮られた。

 ネイサンが深く下げた頭を上げると、エレインは泣き出してしまうのをこらえている顔をしていた。


「謝らないで。あれは合意の上でのことだったわ。ネイサンが無理強いしたわけじゃないでしょ」

「エレイン様、俺は」

「そんな、体中で後悔してますって主張するのはやめて。私だって傷つくのよ」


 大きな瞳から涙がこぼれ落ち、エレインはそれを隠すためだろう、ネイサンに背を向けた。


「……ここでおきたことは、誰にも知られない。二人だけの秘密だって、あなた言ったわ。だからもう、なかったことにしましょう」


 肩を震わせ、しゃくり上げながら、エレインがつぶやく。

 その薄い肩を見つめながら、ネイサンは爪を立ててきつく拳を握りしめた。


「俺は……、俺は、あなたを愛しています」


 せめて出来る限り誠心誠意の謝罪をしようと、ネイサンはずっと隠してきた想いを口にした。

 だが、その告白に対し、エレインは驚いて唖然とし、ネイサンの表情で冗談ではないと知ると、涙の量を増やし怒り出した。

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