第四章


 マラカイはネイサンの部下達と一緒に王宮に戻った。

だが、すぐ国には帰されず、とりあえずこの場に留まることになった。ネイサンの副官マックスの判断で、今マラカイを連れ帰る人手もないし、マラカイを一人で帰すわけにもいかないからだ。

 帰るときまで軟禁状態となったが、エレインの情報がすぐ入る場所にいれることを、マラカイはむしろ喜んだ。


「ド阿呆っ」


 電話口、マラカイは直属の上司であるユージンに開口一番に怒鳴りつけられた。


「も、申し訳ありません」


 ユージンには見えないというのに、マラカイは受話器を握りしめて深く頭を下げる。


「ったく。何を考えているんだか」


 ため息混じりの呆れたような声だが、突き放したような感じはない。部下を大切にして、まるで兄のように世話してくれるユージンは、部下達の間では人気が高い。

 マラカイも、ネイサンの次にユージンを尊敬している。そんな上司に心配をかけさせてしまったのが本当に申し訳なくて、マラカイは再び謝って頭を下げた。


「いいよ。ネイサンにたっぷり叱られたんだろうし」

「……はい」

「行ってしまったもんはしかたないさ。それに、情報流したサラにも非はある」

「あ、あの、サラさんには、あの、俺が無理言って聞き出したんで」

「どうだか」


 エレインの秘書官サラは、ユージンの妻だ。非常に有能な女性なのだが、夫以上に世話焼きでゴシップ好きでもある。どうなるかわかっていて、マラカイにエレイン誘拐の情報を流したのだろう。

 マラカイがそう推測出来るぐらいだ。夫であるユージンが、それを確信していないはずもない。


「しかしさ。そういう事をして、エレインが喜ぶか、ちゃんと考えたのか?」

「…………」

「お前がネイサンを気にしてるのはわかる。二人はうまくいっていないようだし。だからといって」

「違うんです」


 マラカイはひどく苦しげな声で、ユージンの言葉を遮った。


「あのな。うまくいってないのは、エレインの様子を見ていればわかる。だから誤魔化さなくても」

「そうじゃないんです、ユージン様」


 声が震えてしまって、マラカイは一度口を閉ざした。だがもう、自分がそれを胸の内に秘めて置けなくなっていることはわかっていた。


「エレインは、僕じゃなくてネイサン様を愛しているんです」

「……マラカイ?」

「彼女自身、まだ気づいていません。でも、僕にはわかります。いつも彼女を見つめてきましたから」


 力ない笑い声をあげ、マラカイはくしゃりと前髪に指を差し込んでうつむいた。


「僕はユージン様が思っている以上に、情けない男なんですよ」

「マラカイ」

「でももう、終わりです」


 今日のネイサンはいつもと違っていた。いつもマラカイの前では、どこか後ろめたいような、申し訳ないような遠慮があり、なんとなく避けられていた。だが、今日のネイサンは、後ろめたいどころか、開き直っているように見えた。

 ネイサンがその気になってエレインに迫り告白すれば、きっとエレインも自分の気持ちに気づくはずだ。そうなれば……。


「僕の話、聞いてもらえますか?」


 なぜか、喪失感よりも安堵感の方が強かった。

 そんな自分があらゆる意味で情けなくて、マラカイはじっと目を閉ざした。



 風は次第に強くなってきていた。

 扉は頑丈に固定されて開かないくせに、すきま風はかなりひどく、エレインは小屋の隅で風を逃れながら震えていた。

 勿論、何とか暖をとろうと努力はした。だが、ここにエレインを監禁したテロリストは、エレインがゆっくりと凍死することを望んでいたのだろう。火をおこすための適当な木材も、すきま風を防ぐ毛布も、食料もアルコールも、何もかもなかった。

 エレインは出来るだけ運動して体を温めようとしたが、その内に空腹と疲労に負けて動けなくなってしまった。小屋の中でも比較的寒くないところ、風が来ないところにうずくまり、眠らないように努力するのが、今のエレインに出来る唯一のことだった。


「小屋ってことは、ここに来るまでの道があるってことよ」


 がちがち歯を震わせながら、エレインはあえて声を出して話し続けている。勿論、眠ってしまわないためだ。


「きっと、遭難者用の小屋だったのよ。それならきっと、地図にものっているし。運が良ければ、私の現在位置をサラが把握してくれてるかもしれないし」


 右手の薬指、エメラルドの小さな指輪に、エレインは唇を押し当てる。宝石としての価値はそれほど高くない。宝石目当てに盗られてしまっては、意味がないからだ。

 可愛らしいファッションリングといった感じで、誰もがマラカイからのプレゼントだと誤解している。エレインもその誤解をとこうとはしなかった。そのほうが、いつも肌身離さずつけていることを不審に思われないから。


「そうしたら、きっと助けに来てくれる。ああ、でも、この吹雪が終わってからかしら」


 吹雪がおさまる前に、凍死してしまいそうな予感があった。


「大丈夫よ。ネイサンはこれぐらいの吹雪なんて……」


 自分で言っておいて、エレインは苦笑をもらした。


「ネイサンが来るわけないじゃない。来るとしたら、マラカイかしら。それこそ、まさかって感じ?」


 くすくすと、声に出して笑ってみる。でも、すぐに虚しくなって、笑いは消えていった。

 マラカイはきっと助けようとしてくれるだろう。彼の気持ちが恋や愛だとエレインには思えないが、責任感と正義感はとても強い人だから。

 だが、マラカイはエレインが誘拐されたことさえ知らないかもしれない。知ったとしても、彼にここまでたどり着くことが出来るだろうか?

 マラカイが努力することを疑ったりはしない。でも、努力すれば何でも出来るというわけではない。多分。

 だが、ネイサンには出来ないことなどないのではと思える。いつものあの冷笑の下に、もの凄い力を隠してる。あの完璧な女王アンドレアだって、ネイサンには一目も二目もおいていて、密かに頼りにしているのだから。


(でも、私にはいつだって本気を見せてはくれない)


 慇懃無礼という仮面をつけた、冷ややかな表面だけ。本当のネイサンは、きっともっと熱い人だと思えるのに。


(彼にとって、私は子供だから? 魅力のない女だから?)


 唐突に、さっきの光景が目に浮かび、エレインは動揺した。ネイサンとグラマーな美女がぴったりと寄り添い合っていた。自分とは全く違う、成熟した魅力的な女性と。


「これって、嫉妬?」


 口に出し、エレインは自分を笑うつもりだったが、笑えなくなってしまった。

 図星なのかもしれない。嫉妬しているのかもしれない。羨ましいと思っているのかもしれない。

 ネイサンに認めてもらいたい。そして、彼の本気に触れてみたい。そう思うのは、王妹として一人前だと認めてほしいからだけだろうか。それとも。


 だん! だん! だん!

 風以外の音に、エレインは、はっと我に返った。

 だん! だん! だん!

 音は閉ざされた扉の向こうから。そして、エレインの力ではびくともしなかった扉が今、みしみしと音を立てながら動こうとしていた。

 敵か味方か。エレインは恐怖と寒さに身動きできず、開かれようとしている扉を凝視する。

 大きな音を立てて開いた扉から、勢いよく雪が吹き込んできた。突風がエレインの視界を一瞬奪う。再び目を開けたとき、小屋の中には雪まみれの大きな男が仁王立ちしていた。

 銃を構えながら、狭い小屋の中をさっと見回す。そして、エレインだけしかいないことを確認すると、雪まみれのマスクを無造作な仕草で引き下ろした。

 ネイサンの、男らしい精悍な顔が、まっすぐにエレインを見つめていた。


「エレイン様、ご無事ですか」


 エレインは無我夢中でネイサンに駆け寄った。逞しい体に抱きつきながら、彼にどうしようもなく惹かれている自分を自覚していた。

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