第五章



 外から固定されていた扉を開けると、暗く狭い小屋の中、ぽつんと立つエレインの姿があった。

 エレインはしばし呆然としていたようだった。だがすぐに、声にならない歓声を上げてネイサンに駆け寄ってきた。

 無我夢中という感じに抱きついてきたエレインに、ネイサンは驚きを隠せなかった。これほどまでに、歓迎されるとは思っていなかったのだ。冷たい態度のエレインを予想していたネイサンは、抱きついてきた細い体に腕を回すこともなく呆然としていた。

 涙で潤んだ瞳のエレインが、どこかうっとりとした表情でネイサンを見上げたときも、ネイサンの表情は硬く強ばっていた。そして、エレインもそんなネイサンにすぐ表情を消し、後じさった。


「……どこか、お怪我などは?」


 ネイサンは狼狽し、何を言うべきか咄嗟に思いつくことも出来なかった。


「どこも。大丈夫」

「ここには一人ですか?」

「ええ、そう」

「そうですか。ご無事でなによりでした」


 次第に自分のペースを取り戻し、ネイサンはいつも通り無表情の仮面をかぶった。そして、ネイサンがいつもの自分を取り戻した途端、エレインは顔を強ばらせ、ネイサンに背を向ける。まるで夢から覚めたかのように、態度を豹変させたエレインに、ネイサンは口の端を苦々しくゆがめた。

 助けに来たのが、俺ではなくマラカイだったらよかったですねと、心の中でつぶやいてみる。エレインは小屋に入ってきたのはネイサンではなく、マラカイだと勘違いして抱きついてきたのだろう。そして、ネイサンだと気が付いて、慌てて離れたのだ。


(俺が歓迎されるわけがない)


 だが、それがどうだというのだ? エレインが誰を想っているのか、誰の助けを待っていたのか、わかっていて自分が来たのではないか。

 もう多くを望まない。エレインに愛されなくてもいい。エレインが誰を想っていてもいい。心が手に入らないのなら、そう、体だけでもいい。もう何でもいい。エレインの何かを自分のものに出来るのなら。


(必ず、手に入れてみせる)


 出来るはずだ。

 他のどんな事情も常識も何もかも無視して、ただエレインを手に入れることだけ考えればいい。

 寒そうに肩を抱くエレインの後ろ姿を、ネイサンは食い入るように見つめる。

 清らかで美しいエレイン。その白い体にくまなく触れて、俺の色に染めてやる。指先からつま先まで唇を這わせ、体中に俺の刻印をつけてやる。そして彼女の中に俺の欲望を注ぎ込み、彼女を汚濁にまみれさせてやる。エレインを汚し、どこまでも堕落させ、この俺と同じ所にまで引きずりおろしてやる。

 ネイサンはぞくりと震えた。エレインを手中にする時、きっと今までにない快感を得られるだろう。その時を想像して。




 ネイサンはまず電波受信機で、この小屋の内部に盗聴器やカメラの類が設置されていないか調べた。案の定、設置されていた盗聴器を見つけだすと、念入りに破壊する。もっとも、この吹雪では機能を果たせていたかは非常に怪しいところだが。それから、スノーモービルに積んできた荷物を、小屋の中に引き入れた。

 小屋の外にまだ少しだけ残っていた薪をすべて中に運び込むと、あいたスペースにスノーモービルを隠す。この吹雪では、小屋を見張っているテロリストなど絶対にいないだろうが、吹雪がやんだら話は違ってくる。外から扉を固定していた木材を中に運び込み、今度は中から扉を固定した。

 これで、突然に侵入されることはなくなった。ネイサンはようやく一息つくと、ふもとの部下達と連絡を取る。電波状態はかなり悪いが、ネイサンの持つ衛星携帯電話はかなりの高性能で、現在位置とエレインと小屋の状態を、何度も言い返しながら報告した。


「ごめんなさい。迷惑かけてしまって」


 ネイサンが電話を切るのを待っていたタイミングで、エレインが謝ってきた。

 びしょぬれのネイサンに抱きついたために濡れてしまったドレスを脱ぎ、ネイサンが持ってきた男物のフリースを着ている。毛布をショールのように肩から体に巻きつけ、ネイサンに深く頭を下げていた。


「顔を上げてください」


 できるだけ優しくと気を付けながら声をかけると、エレインは顔を上げてネイサンを見てくれた。


「一人になるなと、言われていたのに。本当にごめんなさい」

「少しなら大丈夫だと判断した、俺のミスです」

「違うわ」


 つぶやいて、エレインは目をそらした。

 毛布を耳の下まで引っ張り上げ、まるでネイサンから姿を隠すかのように小さくなる。


「私が馬鹿だったのよ」

「エレイン様」

「ここはどこなの?」


 ネイサンの言葉を遮るように、エレインは聞いてきた。

 話題を変えようという意図が明らかだったが、ネイサンもエレインを一人にしてしまった理由、クロウディアとの会話内容について言及するのがいやで、話題変更にのる。


「雪山の中です」

「雪山?」


 ネイサンが詳しい位置を話すと、エレインは顔をこわばらせた。


「危険だわ。こんな吹雪いてて、いくらネイサンだって、遭難する可能性があったのに。どうしてお姉さまは許可したの?」

「女王陛下から、エレイン様救出に関して一任されています」

「ネイサン、私はこうなる可能性をちゃんと知って、今回の訪問に参加したのよ。私は捨て駒になる覚悟だって出来ていた。ネイサンはテロリスト殲滅に必要な人で」

「俺にはそんな覚悟はありませんでした」


 遠回しに、なぜ助けに来たのだとなじられ、ネイサンは怒りと苛立ちを抑えきれなかった。

 強くエレインの言葉を遮り、睨みつけてしまう。


「俺がついていて、あなたに危険が及ぶことなどないと思っていました。あなたが攫われたのは、俺の失態であり、俺の責任です。あなたを助けるために、俺ができる限りのことをするのは当然です。俺にとって、吹雪いている山を登るぐらい、何ということはないんです」


 エレインを失うことに比べたら、すべてが何ということもないのだが。

 捨て駒だなんて、ネイサンは考えたことなど一度もない。それどころか、エレイン以上に大切なものなど何もない。自分の命だって、エレインのためならばいつだって差し出せるというのに。


「あ、ありがとう、ネイサン。……助けに来てくれて、本当にありがとう」


 戸惑うように、エレインは揺れる声で礼を言ってくれた。

 いつもエレインを罵倒し、子供だと馬鹿にしていたネイサンが、突然態度を変えても信じられないだろう。クロウディア相手にエレインを子供だと罵倒したのは、ついさっきのことだ。

 だが、ネイサンと目が合うと、エレインは頬や目元を赤く染める。そして、毛布の中に顔を隠すように首をすくめる。それがまるで照れているようにも、嬉しさを隠しているようにも見えた。


(いい感じだ)


 凍死寸前の危機の中、命を賭けてネイサンが救出に現れたことで、エレインの中でのネイサンの心証はぐっとよくなったのだろう。

 異国の地で誘拐され、どこともわかならい場所に監禁されていたのだ。心細くてたまらなかったはず。ネイサンに縋りたい、頼りたいと思っているに違いない。こんな特殊な状況下では、当然のことだ。

 ネイサンはさりげなくエレインへと一歩近づく。腕を伸ばせばすぐに抱き寄せられる距離。だが、エレインはその距離を受け入れ、目元を赤くしたまま、ネイサンを上目遣いに見上げてきた。

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