「かなり追い詰められてる感じだな」


 エレインが去っていく後姿を見つめながら、ユージンはため息をつく。

 今回の公式訪問はネイサンと一緒だということで、エレインがずっとぴりぴりしていることは、妻のサラから聞いていた。その上、危険が伴うとなると、エレインの緊張状態もかなりなものだろう。それなのに、毎日のようにネイサンからあんな態度をとられていては、エレインでなくても参ってしまう。

 それでも、毅然と顔を上げて、仕事をやり遂げようとしているエレインは凄い。まだ二十二歳なのにと思うと、王宮に来たばかりのエレインを知るユージンにとっては、ほんの少し寂しくも悲しく感じられた。

 この六年で、エレインは駆け足で大人になってしまった。十代後半から二十代特有の楽しさを奪い、王宮で難しい役割を担わせてしまったことに、ユージンの胸はちくりと痛む。王宮になど行きたくないと泣くエレインを、なだめすかして連れてきたのはユージンなのだから。


「ユージン様」


 いきなり声をかけられて、考え事の最中だったユージンは驚いて、思わず身を引いた。

 声をかけてきたのは、マラカイだった。

 大きな青い瞳を不安そうに曇らせ、しゅんとしているマラカイに、ユージンは小さくため息をつく。

 まだ二十四と若く、ユージンにとっては部下というより弟といった感じだ。腕は立つし、中隊長としての人望もそれなりに厚いのだが、どこか危なっかしくて目が離せない。真っ直ぐなマラカイは多少の困難なら乗り越えていくが、彼の限界を超えた何かにぶつかった時、呆気なくぽっきりと折れてしまいそうに思えて仕方がないのだ。


「すみません、驚かせるつもりはなかったんですけど」

「今日で二度目」

「すみません」


 上目遣いに、マラカイは何か言いたげにユージンの顔を見ている。勿論、ユージンにはマラカイが聞きたいことなどお見通しだ。


「エレインとなら話したよ」


 ユージンの方から話題をだしてやると、マラカイはがばっと身を乗り出してきた。


「彼女、怒ってましたか?」

「そりゃもう。わかっていただろうに」

「そう、なんですけど……」


 しゅんとしたマラカイは、ため息をつきながら、ユージンの隣に腰を下ろした。


「馬鹿なことしたね」

「はい。でも……」


 マラカイは言葉尻を濁すと、顔をこわばらせた。さすがにはっきりと言葉にするのは、ためらったのだろう。マラカイにも、男のプライドというものがある。

 エレインが知らない、マラカイが必要以上にネイサンを意識する理由。それは、ネイサンが密かにエレインを愛しているからだ。

 ネイサンほどの男が自分の恋人に夢中だと知れば、普通の男なら誰だって警戒する。出来るだけ、恋人の側にネイサンを寄せ付けないように努力するだろう。そして、ユージンが知る限り、マラカイはその努力を最大限にしているようだった。

 ユージンがネイサンの気持ちを知ったのは、ごく最近の事だ。ここ数ヶ月、ネイサンのエレインに対する態度は、きわめて悪い。時々、目に余ると思われるほどだ。初めは気にしてない、気づいていないふりをしていたエレインも、さすがに傷ついている表情を隠せなくなってきていた。

 エレインが可哀想になったユージンは、渋るネイサンを自宅に引っ張ってくると、その理由を問いただした。とっておきの酒を三本あけたところで、ネイサンはようやく白状した。エレインをどうしようもなく愛していること。それを、マラカイに気づかれていること。そして、絶対に横恋慕しないと誓わされたことを。

 狭い王宮内、しかもエレインは女王の妹だ。三角関係となり、スキャンダルめいたことになって、もしその話が王宮の外にもれれば、女王の威信にも関わるかもしれない。などと、ネイサンは皮肉げな顔で、自分がエレインを諦めようとしている理由をいくつも話してみせた。

 恋人を奪われたくないマラカイが、様々な理由をこじつけてでもネイサンを諦めさせようとしたのはわかる。だが、ネイサンが大人しく承知したことが、ユージンには信じられなかった。

 ネイサンは情熱的な男だ。貴族の一員で政治家の一面も持ち、軍人でもあるネイサンは、自分の感情をうまくコントロールする術を身につけてはいる。

 だが、理性でおさえている感情は誰よりも激しいと、ユージンは思っている。十代の頃からの付き合いで、それに確信だって持っている。普段のネイサンはシニカルで余裕たっぷりだが、一度本気になると、誰にも、本人にさえ止められないだろう。そして、エレインへの思いは本気だと、ネイサン自身が認めているというのに。

 それなのに、ネイサンはエレインへの思いを封じ込めているというのだ。それは無理だ。不可能だ。燃えさかる業火を身の内に抱え込むようなもので、いつか絶対に押さえられなくなる。内側から燃え尽きてしまう。ネイサンはいずれ爆発するだろうと、ユージンは確信している。


「あんまり気にしないほうがいい。ネイサンの想いは、一方通行なんだから。ネイサンを警戒するより、あんたはしっかりエレインを捕まえておくことのほうが大切だと思うな」


 マラカイがネイサンを警戒し、恐れる気持ちはよくわかる。もし、ネイサンが妻のサラに横恋慕など始めたら、ユージンは妻を連れてこの国から逃げ出すだろうと思う。

 だが、マラカイに同じことは出来ない。エレインは王妹であり、婚約者でもないのだから。出来るのは、しっかりとエレインを自分の元に引き止めておくこと。それこそ、今のマラカイが何より頑張らなければならないことだろう。

 どうも最近、エレインとマラカイはうまくいっていないように思える。先程のエレインも、うまくいっていないことを否定出来ていなかった。


「ネイサンがどれほどエレインに迫ったとしても、エレインが拒否すれば引き下がるさ」


 その点については、ユージンはネイサンを信頼している。過去、ネイサンが強引な真似をして問題を起こしたことはない。もっとも、ネイサンに迫られてその気にならない女性など、一人もいなかったからなのかもしれないが。

 ただ、ネイサンが内に抱えた業火を爆発させたとき、どうなるかはユージンも想像が出来ない。そしてそのときは、最近のネイサンの煮詰まった態度を見ていると、近いのではないかと思われる。

 今度のレイノックス訪問は、色々な意味で危険なのかもしれない。


「……そうですよね」


 小さくつぶやいたマラカイは、ひどく寂しげで悲しい顔をしていた。

 だが、ユージンはネイサンの今後を心配するのに忙しく、マラカイの様子には何も気づけなかった。


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