エレインがマラカイと知り合ったのは、十六歳で王宮に迎えられてすぐのことだった。

 当時マラカイは若くして中隊長に抜擢されたばかりで、エレインの身辺警護の現場責任者に任じられた。マラカイはとても親身になってエレインの心配をしてくれて、右も左もわからない王宮で怯えるエレインの力になってくれた。

 まだ恋ともいえないような、ごく淡い気持ちから、ゆっくりと愛を育て始めている二人を、周囲はとても温かい目で見守ってくれた。女王が黙認していることもあって、二人はもう王宮内では公認とも言えるほど有名なカップルだ。

 マラカイは王宮の中庭まで出ると、木陰にあるベンチにエレインを促した。


「怖い顔をしているのね」


 ベンチに腰をおろし、エレインは座ろうとしないマラカイを見上げながらそうつぶやいた。

 人目がなくなってから、マラカイは苛々しているのを隠せなくなっている。そんなマラカイの相手をしなければならないことに、エレインは疲労を感じていた。


「レイノックスの公式訪問、僕も一緒に行きたいんだ」


 エレインは驚いて目を丸くした。


「何、言ってるの」

「護衛のメンバーに入れてもらえないか、聞いてみるつもりだ」

「やめて! 何を考えているの」


 どうやらマラカイは本気だ。だが、言っている内容はとても正気だとは思えない。


「今回の公式訪問の護衛は、第一大隊が担当しているのよ。あなたは第二大隊でしょ。行けるわけがないじゃない」

「ネイサン様に直接お願いしてみる」

「理由は? なぜ、あなたがそんな特別待遇を受けられるの」


 マラカイは、公私混同が多すぎる。付き合い始めた頃は、そんなところに救われたこともあった。常に仕事公務でプライベートのなさが辛かったとき、マラカイが王宮を抜け出して息抜きさせてくれたりしたことは、今だっていい思い出だ。

 だがそれは、十六歳の無知な少女だったからこそ、許されたこと。王宮に来て六年もたつ今のエレインには許されないし、自分が仕事を勝手に抜け出せば周囲にどれだけ迷惑をかけてしまうか、よくわかっている今では、とてもそんなことをしようとも思わない。

 それなのに、マラカイは今もあまりわかっていないような、変わっていないような気がする。その天真爛漫さは彼の魅力なのかもしれないが、エレインはどうしても苛々させられることのほうが多い。


「ずっとネイサン様と一緒だって聞いたよ」


 マラカイの言葉に、エレインは今度こそ大きなため息を隠せなかった。


「どうして、そんなにネイサンを気にするの」

「そんなことは」

「あるでしょ。気づいているわよ。あなたはネイサンをとても意識している。特に、彼と私が一緒に仕事することをよ。どうして?」


 マラカイは目をそらした。


「君に他の男が近づくのを、黙って見てはいられないよ」

「もっともらしい言い訳だけど、その相手がネイサンだという時点で、嘘だとしか思えないわ。ネイサンがどれほど私を嫌っているか、あなただって知っているでしょう?」

「でも、ネイサン様はとても凄い人だ。いつ君が」


 言いながら、自分がどれほど愚かな主張をしようとしているのか気づいたのだろう。マラカイはぐっと口を閉ざし、体ごと横を向いて、エレインの視線から逃げた。


「あなたがネイサンを軍人として意識しているのか、本気で私との仲を気にしているのか知らないけど。同行したいなんて、ネイサンに言わないで」

「…………」

「そんなことしたら、またネイサンにどれほど嫌味を言われるか。お願いだから、私の立場も考えて」

「……悪かったよ」


 うつむいたままつぶやいて、マラカイはそのままエレインの顔を見ることもなく、走り出した。

 最近、口喧嘩でマラカイはエレインにまったく勝てない。理詰めで押し切られると反論できないのが悔しいのか、今日のように逃亡することが多い。

 だが多分、これでマラカイもわかってくれたはずだ。やれやれ、である。


「エレインじゃない。元気?」


 植え込みの向こうから現れたのは、ユージンだった。

 近衛第二大隊隊長。エレインの秘書官サラの夫でもある。

 ユージンは、六年前、女王の命によってエレインを捜索し、迎えに来た人だった。突然の変化に戸惑い怖がるエレインを、親身になって助けてくれた。今でもエレインの数少ない理解者の一人であり、二人きりのときは身分関係なく気さくに話をしてくれる。


「ユージン。お散歩ですか?」

「そんなとこかな。今、マラカイに会ったよ」


 マラカイが走って逃げていく途中で、ユージンとすれ違ったのだろう。マラカイの上司でもあるユージンは、ちょっと心配そうに、マラカイが走り去っていった方向を振り返っていた。


「喧嘩でもしたのかな?」

「そんなとこ」

「なんか暗いな。詳しく聞いてもいい?」

 エレインはベンチの背もたれによりかかり、青い空を見上げた。

「詳しく話すほどのこともないのよ。今度の出張のこと」

「ああ。復興の挨拶まわりね」

「そう。で、行きたいって言いだして」

「マラカイが?」

「そう」


 クーデター後の国内の復興と、正式な国交再開の挨拶に、エレインは隣国のレイノックスに行くことが決まっている。勿論、女王の名代としての正式な訪問であり、護衛には近衛軍から精鋭がつくことになり、護衛責任は近衛軍第一大隊長のネイサンが受け持っている。

 マラカイは第二大隊長ユージン配下の中隊長であり、今回の護衛メンバーには入っていないのだ。


「う~ん。ネイサンはメンバーに入れてもいいって言うと思うけど」


 ユージンは何かとても複雑な表情で、そうつぶやいた。エレインは、ぶるぶると首を横に振る。

 ネイサンは、いいと言うかもしれない。エレインの側近くに、常にマラカイがいれるように手配するかもしれない。そして、嫌味をたっぷり言うことも間違いない。訪問中、ずっとそれが続くのかと思うと、エレインはぞっとした。


「駄目に決まってるじゃない。しかも、特別扱いする理由だってないわ」

「エレインと一緒に行きたいんだよ」

「それは理由にならないわ」

「まあねぇ。でも、ちょっとぐらい構わないんじゃない?」

「駄目です」


 言って、エレインは深いため息をついた。否定の速さも、そのため息も、恋人としては少々問題があったようだった。

 ユージンが隣に座り、エレインの顔を覗き込むようにして聞いてきた。


「あんた達、うまくいってるの?」

「……いってますよ、勿論」


 エレインの返事は一瞬、遅れた。

 それに気が付かないユージンではない。


「ふ~ん。いってないんだ。だから、マラカイはそんなこと言い出したんじゃないの? 不安で」

「…………」

「今回だけは大目に見てあげたら?」

「無理。今更、メンバーをかえられないのよ」


 声を潜め、硬い表情で、エレインは早口に言う。

 ユージンは眉をひそめた。


「何。また何かトラブル? 最近、やっと静かだと思っていたのに」

「大したトラブルじゃないの。でも、無視は出来ないぐらいかな」


 国内でのクーデターの動きは完全に納まった。だが、国内を追われた勢力の一部は外国の地下に潜り、今も女王暗殺を狙っている。特に隣国レイノックスでその動きは活発で、メンバーも増えていることが報告され、王宮も無視出来なくなってきたのだ。

 だが、地下に潜った相手を捜し出し殲滅するのは難しい。そこで、王妹のエレインがレイノックスに乗り込み挑発し、地下からあぶり出そうということになった。


「テロの可能性が大いにあるわけか」

「無視できない程度にはあるってことよ。だからネイサンは万全の計画を練っているわ。彼の完璧な計画に、不安要素を入れたくはないの」

「なるほどね。でも、秘密にしておく程の事じゃないんじゃない?」

「これを聞いたら、みんなユージンと同じ事を言うと思うわ。やっと最近、平和だったのにって」

「……なるほど」

「休養は必要だから」


 今回の公式訪問の本当の目的を知るのは、第一大隊の主だったメンバーとエレイン、そしてエレインを補佐する秘書官のみだ。その秘書官の夫で第二大隊長のユージンには、出発前に話す予定だったが、軍幹部にも徹底して秘密にされている。これは、ネイサンの意向だ。

 王宮内に内通者がいることを疑っているわけではないが、万が一にも情報がもれることがあっては困る。ネイサンは、どうしてもクーデター派を根絶やしにしたいのだ。その機会を、ありとあらゆる準備をし、じっと待っている。

 その用心深さ、執念深さと周到さには、エレインもただただ関心するばかりだ。今のネイサンにとって、自分もコマの一つでしかないし、それは当然だとも思う。

 ネイサンの有能さの前には、自分はやはり無能だ。お子様だ邪魔だと思われないためにも、自分の役割は完璧にこなしたかった。マラカイを突然参加させるなんて、とんでもない話なのだ。


「それに、マラカイに話しても、納得しないわ」


 マラカイはネイサンに対して、非常に強い敵対心を持っているのだ。昔から、ネイサンのように強くなりたい、ネイサンのような男になりたいという憧れがあったが、今はそれがライバル心に取って代わっているように見える。

 もし、今の話をマラカイにすれば、ネイサンではなく自分がエレインを守ると主張して譲らなかっただろう。


「護衛がネイサン以外の人だったら、マラカイはこれほど同行することにこだわったかしら。私、どうしてマラカイがそれほどネイサンを意識するのか、本当にわからない。ネイサンの女性関係が華やかだから? 女の人には手が早いから? でも、ネイサンが私を嫌っていることは、王宮の人なら誰でも知ってることだわ。そうでしょう?」

「そんな事ない。ネイサンはエレインを嫌ってなんかない。同じ仕事をするパートナーとして、対等に扱っているだけだよ」

「嘘が下手ね、ユージン。私以外の女性に対して、ネイサンはいつも丁寧だわ」

「エレイン」


 ユージンは困っているようだ。エレインに対しネイサンの援護をしたいのだろうが、その材料が皆無だからだろう。

 ユージンとネイサンは同い年で、親友といっても差し支えないほどの関係だ。きっと、ネイサンもユージンの前では、エレインの悪口もはっきり言うのだろう。一緒に仕事をする価値のない女だと、出て行けばいいのだぐらい、言っているのかもしれない。

 そんな話を聞いて、ユージンはエレインの弁護をしてくれるのだろうか。それとも、ネイサンと一緒にエレインの批判をするのか。考えるまでもない。エレインとは六年の付き合いだが、ネイサンとはその何倍もの付き合いがある。苦しいクーデターを一緒に乗り切った戦友の二人の絆に、エレインが勝てるわけがない。

 そんな風に考えてしまうと、目の前にいるユージンも、エレインを否定する存在に思えてきた。王妹など必要ない。妾腹の無能な女など王宮には必要ない。出て行けばいい。ユージンまでもが、そんな言葉を口にしている姿を想像してしまって、胸が苦しくなった。


「私だって、ネイサンと一緒に行くのは嫌よ。でも、私に出来る限り、ネイサンに協力するつもり。邪魔にならないように頑張るわ」

「君が邪魔だなんて、ネイサンは思っていないよ」


 ユージンが肩に手を乗せようとしているのを、エレインは立ち上がることで避けた。優しく慰められたりしたら、泣いてしまう。仕事時間中に泣いて、ユージンに慰められているところをネイサンに見られたら、何て言われるか。


「仕事に戻るわ」

「エレイン」


 ユージンはまだ何か言いたげだったが、やはり口は開かない。

 エレインはユージンを振り返ることなく、王宮へと小走りに戻り始めた。


(もう、こんなこと、終わりにしたい)


 何もかも、投げ出してしまいたい。

 公務で忙しすぎる日々。どれほど努力をしても、貴族達はエレインを妾腹だという事実のみで完全否定する。唯一の肉親であり拠り所になるはずだった姉は、姉である前に女王で、家族というより上司とも言える存在で。兄とも思っていたネイサンは、無視をするか、嫌味を言うか。


(ここには、私の居場所がない)


 誰も、心からエレインを必要としてくれる人がいない。愛してくれる人もいない。


(もう、やめたいよ)


 それでも、真面目なエレインは、仕事を放り出すことなど出来ない。無意識に足は自分の執務室へと向かい、仕事を続けようとしている。

 どれほど絶望していても、今の自分がここから逃げ出すことが不可能なことぐらい、よくわかってもいる。今の自分には、逃げる自由さえないのだ。

 それに、今度のレイノックス訪問は、絶対に成功させなければならない。


(ネイサンにそれで少しでも認めてもらえれば……)


 もし、彼が、昔のように優しくしてくれたなら。一緒に仕事をしようと言ってくれたなら。きっともっと生きやすくなる。

 ネイサンは怖いぐらいに有能な人だ。そしてとても強い。精神的にも肉体的にも。彼に不可能なことなどないと、本気で思える。そのネイサンに認めてもらえれば、自分にも少し自信を持てそうな気がする。

 今度のレイノックス訪問は、見方を変えれば、とてもいい機会だ。ネイサンはずっとエレインと一緒にいなければならない。いつもは、無視をして通り過ぎるか、一方的に嫌味を投げかけてくるだけだが、レイノックスの要人達を前にしてまでそれは出来ないだろう。きっと、エレインが話しかければそれなりに答えてくれるはず。ずっと聞きたくて聞けなかったこと、なぜ無視をするのか認めてもらえないのか、その理由を聞くチャンスがあるということだ。

 もしその理由が、エレインの努力しだいで何とかなることなら努力を惜しまない。どうにもならない理由なら、それはもう絶望するだろうが、いつかは認めてもらえるのではないかという無駄な期待をしなくてすむようになる。

 それに、エレインがこれからどう頑張りたいか、その意気込みだって聞いてもらえるかもしれない。そうやって、本音で話し合うことが出来れば、少しは今の関係がよいほうに変わるのではないだろうか。


(逃げてる場合じゃない。頑張らないと)


 秘書官のサラとアリシアは、心配しつつも応援してくれている。平民出身の官僚達は、いつもなにかとエレインに便宜を図ってくれる。護衛をしてくれる軍人達も、上司のネイサンがああだというのに、エレインに優しい心配りをしてくれる。

 エレインは一人だが、一人ではない。そういうことを忘れてはいけないのだ。いつも前向きに、毅然としていよう。そして、レイノックスではネイサンと話をしようと、エレインは自分に気合を入れた。

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